表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スキルを駆使して人生勝ち組っ!R  作者: 此花サギリ
小学生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/34

第25話 本物の天才

 スタジオを出た後も、私の胸は奇妙な高鳴りを収めきれずにいた。


 ――なんという子だ。


 車の後部座席に身を預けながら、私は目を閉じる。指先に残る感触。あの小さな手から紡がれる、伸びやかで、迷いのない音。


 秋月(あきつき)燈由(ひより)


 十一歳。


 だが、あの音は年齢という枠に収まらない。


 最初は正直、侮っていた。スポンサーの顔色、世間の話題性、子役との共演という安易な企画。私の経歴に泥を塗るのではないかとすら思った。


 だが――違った。


 彼女は本物だ。


 それも、恐ろしいほどに。


 「旦那様、本日の合わせは如何でしたか?」


 前席から秘書が問う。


 私はしばし沈黙し、やがて小さく笑った。


 「……楽しかったよ。」


 それ以上の言葉はすぐには出てこなかった。


 楽しい。


 その感情を純粋に抱いたのは、いつ以来だろうか。


 若い頃は、ただ上を目指していた。(いただき)だけを見つめ、血の滲むような練習を重ね、コンクールを勝ち抜き、海外へ渡った。喝采も批評も浴びてきた。


 だがいつからか、“失敗しない演奏”を選ぶようになっていた。


 観客を満足させる、安全な解釈。


 拍手を確実に得られる構成。


 私は知らぬ間に、守りに入っていたのかもしれない。


 彼女の音は違う。


 危ういほど真っ直ぐで、時に大胆で、だが決して独りよがりではない。


 私が和声を変えたときの、あの目。


 驚きと、悔しさと、歓喜が混ざった輝き。


 あの瞬間、私は確信した。


 彼女は音で会話ができる。


 それも、対等に。


 「……先生じゃなくて、たまきでいい。」


 思わず口にした言葉を思い出し、苦笑する。


 大人げない。


 だが、あの距離感のままでは共演などできないと思ったのだ。


 彼女は礼儀正しい。計算高いほどに。


 あれは芸能界で生きる術なのだろう。


 だが、演奏中の彼女はまったく別人だった。


 無防備で、むき出しで、真剣だ。


 あの姿を、私はもっと見たい。


 コンサートホールに到着すると、私はそのまま舞台を見渡した。


 客席は三千。満席は確実だろう。


 話題性も十分。


 だが――私は今、数字よりも別のことを考えていた。


 どうすれば、彼女の音を最大限に引き出せるか。


 モーツァルトは問題ない。あれは既に完成度が高い。


 問題は《黎明の祈り》だ。


 あの曲は彼女自身だ。


 夜明け前の静寂。


 孤独。


 そして希望。


 十一歳の少女が、なぜあの旋律を書けるのか。


 背景に何がある?


 家庭か、経験か、それとも天性か。


 私は資料で彼女の経歴を何度も読み返している。


 五歳でショパン。


 コンクール優勝。


 作曲。


 アイドルへの楽曲提供。


 完璧すぎる。


 だが、完璧な経歴の裏に、必ず何かがある。


 それは嫉妬でも、葛藤でも、迷いでもいい。


 人は矛盾を抱えているからこそ、深みが出る。


 本番前日。


 私は一人で《黎明の祈り》を弾いた。


 彼女のパートを思い浮かべながら。


 すると、不思議なことに、彼女の呼吸が聞こえるような気がした。


 テンポの揺れ。


 フレーズの終わりの微かな溜め。


 彼女は常に“前”を見ている。


 未来へ向かう音だ。


 私は、どうだ?


 過去の栄光に縋っていないか?


 安全な評価に甘えていないか?


 鍵盤から手を離し、天井を見上げる。


 ――まだ、やれる。


 彼女となら、もっと高みへ行ける。


 それは競争ではない。


 共鳴だ。


 本番当日の朝。


 楽屋でネクタイを整えながら、私は鏡越しに自分を見る。


 四十を過ぎた男の顔。


 だが、目は若い頃に戻っている。


 ノック。


 「失礼します。」


 入ってきたのは秋月(あきつき)燈由(ひより)


 今日もきちんとした挨拶。


 だが、その瞳の奥に、闘志がある。


 「今日はよろしくお願いします、たまきさん。」


 自然にそう呼ばれ、胸の奥が温かくなる。


 「こちらこそ。遠慮は無用だ。」


 「はい。負けません。」


 ふっと笑う。


 この子は、本当に恐れを知らない。


 いや、恐れていても前に出るのだろう。


 舞台袖。


 開演のアナウンス。


 拍手が響く。


 私は深呼吸をする。


 隣を見ると、彼女は静かに目を閉じている。


 祈るように。


 その横顔は、年相応の少女だ。


 だが一歩舞台に出れば、彼女は音楽家になる。


 幕が上がる。


 光が差す。


 私は思う。


 今日、この舞台で何かが変わる。


 彼女の未来も。


 そして、私の未来も。


 鍵盤に指を置く。


 隣から、あの小さな手の温もりが伝わる。


 ――さあ、行こう。


 音楽のその先へ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ