第23話 八百万たまき
※原文の流れを活かしつつ、心理描写・音楽描写・人物の温度差を強め、三千文字以上で再構成しました。ルビ表記はそのまま維持しています。
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私は世界を巡るピアニストだ。
ウィーン、パリ、ニューヨーク、ベルリン。
名だたるホールで演奏し、批評家に称賛され、観客に喝采を浴びる。それが私の日常だった。
だからこそ、その依頼書を見た時、私は眉をひそめた。
――特別企画公演。ゲスト:小学校五年生。
思わず書類を机に置く。
「冗談だろう……」
主役は子供。しかも日本で大人気の子役だという。話題性は十分だろう。だが、世界を相手に弾いてきた私と“セッション”とは。
馬鹿にしているのか。
私は即座に断りの連絡を入れた。しかし数時間後、スポンサーから直接電話が入る。
「受けていただけない場合、今後の支援は再考せざるを得ません」
脅しだ。
芸術は自由であるべきだが、現実はそう甘くない。
私は舌打ちを飲み込み、了承の返事をした。
子供のお遊びに付き合うつもりはない。だが、条件は同等。
手は抜かない。
「旦那様、此方を――…」
執事が新たな資料を差し出す。
秋月燈由。十一歳。東京都世田谷区出身。
五歳でショパンの夜想曲を披露し、芸能プロデューサー三村健午に見い出される。以後、日本音楽コンクール連続優勝。国際ピアノコンクール参加予定。自作曲をアイドルへ提供。年一回のクラシック単独公演。アルバム多数。
……子供、か?
「映像はあるか?」
「はい、すぐに」
再生されたコンサート映像。
最初の一音で、私は息を止めた。
澄んだ音。
だが軽くはない。
音の芯が、驚くほど深い。
単に技巧が優れているのではない。
フレーズの呼吸、間の取り方、和声の色彩感。
十一歳の解釈とは思えない。
彼女は鍵盤に触れるたび、音に“意味”を与えていた。
気付けば、三時間が過ぎていた。
私は立ち上がる。
「是非とも秋月燈由嬢に会いたい。事前に時間を取ってもらえ」
胸が高鳴る。
久しく忘れていた感覚だった。
――ああ、これが“出会い”か。
私は執事に命じ、彼女のCDを全て買い揃えさせた。
あぁ――…私の音楽の女神に、早く会いたい。
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一方その頃。
「とうとう顔合わせかぁ――…」
私はソファに沈み込みながら呟いた。
マネージャーの容子さんは鬼の形相でスケジュールを睨んでいる。
「海外で活躍してるピアニストよ? 愛想良く媚を売りなさい」
「えぇ……」
正直、気乗りはしない。
当初は向こうが断ったらしい。なのに今は前のめりで会いたいと言っているとか。
大人の事情、怖い。
「私ってセミプロだと思うの」
「何言ってるの? コンサート開いてCD出してる人がプロじゃなかったら何なの?」
秒で論破。
さらに国際コンクールの話まで持ち出される。
「絶対仕事取ってこないでよ?」
「そんなことしないよ!」
「映画のバーター取ってきたの誰?」
……ぐうの音も出ない。
ノックの音。
仕事モードへ切り替える。
入ってきたのは、想像以上にダンディーなおじ様。
八百万たまき氏。
だが――。
距離が近い。
目がキラキラしている。
「初めまして、秋月燈由さん! 私の音楽の女神よ!」
……圧が強い。
いきなりサインを求められ、私はスン顔で応じる。
ちらりと容子さんを見ると、今度は逆にサインを貰えとCDを渡される。
営業スマイル発動。
「八百万先生のような方にお会いできて光栄です」
本音:仕事依頼まで存じ上げませんでした。
だが、いざ話してみると違った。
彼は音楽の話になると真剣だった。
海外ホールの響きの違い、観客の呼吸、即興の怖さと快感。
私の編曲の癖や和声選択について、的確な質問を投げてくる。
あれ?
この人、ちゃんと聴いてる。
「君の左手の重心移動は面白い。だが、二楽章ではもっと抑制できるはずだ」
具体的すぎる指摘に、私は思わず目を見開いた。
「先生こそ、三拍子の揺らし方が独特ですよね」
気付けば、互いに楽譜を広げて議論していた。
最初の偏見は、いつの間にか消えていた。
彼は確かに世界を知る演奏家だった。
そして私を、子供扱いしなかった。
「セッション、本番で遊ぼう」
彼が言う。
遊ぶ――即興で、呼吸で、対話で。
胸がわくわくする。
単なる話題作りの企画だと思っていた。
違う。
これは勝負だ。
互いの音で語り合う、本気の舞台。
帰り際、容子さんが小声で言った。
「どう?」
「……面白い人」
私は笑う。
八百万たまき。
世界の舞台で鳴らしてきた男。
その音とぶつかる日を思い、私は静かに拳を握った。
話題性でもスポンサー事情でもない。
ただ純粋に――
音で、勝ちたい。
こうして私と八百万たまき氏の、本気のセッションへ向けた物語が始まったのだった。




