第2話 ピアノ教室に通う
逆行して四ヶ月が経過した。
三歳児の体にもすっかり慣れ、朝の着替えも歯磨きも、見た目はよちよち、中身はアラフォーという奇妙なバランスでこなしている。
社交性9という悲惨な初期値を見たときはどうなることかと思ったが、私は決意した。前世で人間関係に失敗したのは、間違いなく愛嬌と積極性の不足だ。
だからこそ、幼稚園では“良い子ムーブ”を徹底した。
挨拶は誰よりも大きな声で。
おもちゃは譲る。
転んだ子にはすぐ手を差し伸べる。
「ありがとう」と「ごめんね」は即座に言う。
デイリーの【友達と仲良くしよう】【お礼を言おう】を毎日欠かさず達成し続けた結果――
社交性43。
四倍以上である。
やればできる子、私。
勉強も順調だ。完全記憶∞の恩恵は絶大だった。幼稚園児のドリルなど一瞬で終わり、小学校低学年範囲もすでにクリア。今は高学年の内容に突入している。
公務員一直線。盤石である。
……そう思っていたのに。
「燈由ちゃんは習い事とかしたくない?」
夕食後、母がにこにこしながら爆弾を投下してきた。
来た。
私は一瞬で計算する。ここで無難なのは将来性のあるスキル。
「じゃあ、英会話を習いたいなぁ。きっと将来役に立つと思うから!」
グローバル化社会。公務員でも英語力は武器になる。完璧な選択だ。
だが母は首を傾げる。
「英会話かぁ。燈由ちゃんはピアノとかバレエとか興味ないの?」
きた、お姫様路線。
前世の私なら「お金がもったいない」と言って逃げただろう。だが今は違う。
「それも面白そうだけど、やっぱり将来を見越して英会話が良いなぁ。プロになれるなら習いたいけど、プロは難しいと思うし……」
現実主義を装う。
母は目を細めた。
「燈由ちゃんって現実的ねぇ。じゃあ、ピアノと英会話を習うのならどう?」
両取り!?
どうしてもピアノを習わせたいらしい。
……まあいい。芸術は公務員試験には関係ないが、ミニステータスの底上げにはなるだろう。
「別に良いよ。その代わり英会話に通わせてね」
念押し。
母は満足げに頷いた。
その夜、私はデイリー報酬を受け取り、スキル生成で【絶対音感】を取得。どうせやるなら効率重視だ。
そして迎えた初レッスン日。
「初めまして、秋月燈由と申します。宜しくお願いします」
三歳児とは思えない丁寧さで挨拶する。
「初めまして、私の名前は卯月愛華と言います。燈由ちゃんのピアノの先生をします。今日から宜しくね」
二十代後半の美人。優しげな笑顔。これはモテる。
「愛華先生、宜しくお願いします!」
満面の笑み。社交性43は伊達ではない。
だがいきなりピアノではなかった。
「まずはお手玉で遊ぼうか」
三歳児仕様である。
三十分後、リズム遊び。さらに三十分。
やっと鍵盤の前に座れた。
「これがド、次がレ……」
愛華先生と一緒に鍵盤を押す。
きらきら星。
指が思うように動かない。絶対音感はあっても、運動神経は別だ。
休憩中、私は即座に【模倣】を生成。レベル4まで強化。
効率第一。
「じゃあ、最後にもう一回弾いてみよう」
愛華先生の指の動きを凝視。
模倣、発動。
ー♪ーー♪ーー♪
さっきより滑らかだ。
「素晴らしいわ、燈由ちゃん。本当に初めて?」
母が誇らしげに頷く。
「先生の手の動きをそのまま真似したの。駄目だった?」
もちろんスキルのおかげだが。
愛華先生は呆然と呟く。
「天才……発表会なら……」
え、待って。
「次はバッハのメヌエット・ト長調をしましょう」
難易度が跳ね上がった。
私は営業スマイルで頷く。
教室を出ると、母は上機嫌だ。
「燈由の為にピアノを購入しないと駄目ねぇ」
ちょっと待て。
「お母さん、ピアノは高いよ」
堅実第一。
「でも練習するには必要よ?」
「なら中古の安い電子ピアノにしよーよ」
本気のグランドピアノなんて要らない。
渋る母に、私は最後の一手。
「中古の安い電子ピアノじゃないならピアノ教室に通わないからね!」
三歳児の必殺技、拗ね宣言。
母は折れた。
「新品の電子ピアノにしましょう」
妥協成立。
その夜、ステータス確認。
---------STATUS---------
名前:秋月燈由
レベル:18
年齢:3歳
体力:27
魔力:44
知能:260
運:82
■スキル:完全記憶∞・空間魔法∞・成長促進∞・経験値倍化∞・スキル生成∞・魅了3・絶対音感∞・模倣4
ミニステータス
L魅力62・芸術20・運動27・学力141・社交性43
芸術が上がっている。
やはりピアノか。
……いや、私はピアニストにはならない。
目指すは堅実公務員。
なのに。
なぜか芸術値が、じわじわと光っている気がした。
こうして私は、ピアノ教室と英会話教室に通うことになった。
堅実な未来を目指すはずの二周目人生は、なぜか少しずつ、華やかな方向へと舵を切り始めていたのだった。




