第19話 逆転
教室の空気は、ぴんと張り詰めていた。
宮園春香は入口で一瞬立ち尽くし、それから何事もなかったかのように自分の席へ向かった。だが、その背中は明らかに強張っている。
誰も声を掛けない。
昨日まで普通に挨拶していた子さえ、視線を落とす。
私は胸の奥で小さく息を吐いた。
――これが“集団”の怖さ。
味方にも敵にもなる。
私は香織ちゃんのノートに赤ペンを入れながら、さりげなく言った。
「はい、今日はここまで。授業始まるよー」
わざといつも通りの声。
“普通”を保つ。
それが今の私に出来る最大の防御だった。
◆
昼休み。
屋上に向かおうとすると、廊下の角で呼び止められた。
「……燈由」
振り返る。
宮園春香だった。
周囲に誰もいないことを確認しているらしい。
「何?」
私は平静を装う。
彼女は腕を組み、顎を上げた。
「私を無視させるなんて、やるじゃない」
「無視させてないよ。みんなが勝手にそうしてるだけ」
事実だ。
だが彼女は鼻で笑う。
「どうせ裏で何か言ったんでしょ?被害者ぶって」
「被害者ぶってテレビで泣いたのはどっち?」
ぴたり、と彼女の表情が凍る。
一歩、距離を詰める。
「どうしてあんなこと言ったの?」
声を低くする。
怒鳴らない。
淡々と。
「……だって」
彼女は一瞬、視線を泳がせた。
「アンタばっかり注目されて、ムカついたのよ」
ああ。
そういうことか。
「ドラマで悪役やって、本当に性格悪いって言われて、仕事も減って、家も荒らされてる。これ以上何を奪うの?」
「……知らない」
「知ってるでしょ」
沈黙。
彼女の拳が震えている。
「私だって、必死なのよ」
吐き出すように言った。
「事務所に言われたの。“爪痕残せ”って。バラエティで話題作れって。アンタなら炎上するって」
私は目を細める。
――やっぱり。
背後に大人がいる。
「利用されたんだね」
「違う!自分で言った!」
強がり。
でも、その目は揺れている。
私は小さく息を吐いた。
「今ならまだ間に合うよ」
「何が?」
「本当のことを言うの。番組で。訂正するの」
彼女は顔を歪めた。
「そんなことしたら干される!」
「嘘を続けたら、もっと大きくなるよ」
私の言葉は冷たい。
だが、事実だ。
彼女は何も言わず、踵を返して去った。
◆
その夜。
社長から連絡が入った。
「宮園春香の事務所、全面対決の姿勢よ」
やっぱりか。
「向こうは“本人の主観的感想”で押し通すつもり。番組側も編集で逃げるでしょうね」
「訴訟は?」
「準備中。証拠が揃い次第、動くわ」
防犯カメラの映像、学校関係者の証言、ドラマ現場の証言。
材料はある。
だが時間がかかる。
「二時間ドラマの脚本、届いたわよ。安生先生、本気よ」
渡されたプロットは――重い。
いじめをテーマにした社会派ドラマ。
被害者と加害者、両方の心理を描く。
……皮肉だ。
私は被害者役。
世間はどう受け取るだろう。
「やる?」
社長が問う。
少し考える。
「やる。逃げない」
◆
撮影が始まった。
役は、クラスで孤立する少女。
根も葉もない噂を流され、居場所を奪われる。
台本を読んだ瞬間、胸が締め付けられた。
今の自分と重なる。
カメラが回る。
机に落書きを見つめるシーン。
教科書がゴミ箱に捨てられるシーン。
誰も助けてくれない廊下。
私は、涙を流した。
演技ではない。
感情が溢れた。
「カット!」
監督の声。
静まり返る現場。
「……いい」
それだけだった。
◆
放送日。
視聴率は高かった。
SNSでも話題になる。
「演技すごい」
「本当に辛そう」
「悪役の子と同一人物?」
風向きが、わずかに変わる。
そして数日後。
衝撃のニュースが流れた。
宮園春香が記者会見を開いたのだ。
画面の向こうで、彼女は震えていた。
「燈由さんにいじめられたという発言は、事実ではありませんでした」
会場がざわつく。
「事務所から“話題になるから言え”と言われました。私は……嫉妬していました」
私はテレビを見つめたまま、動けなかった。
社長から着信。
「勝ったわ」
短い言葉。
だが、まだ終わりではない。
彼女の事務所は謝罪文を出し、番組も訂正放送をした。
スポンサーも一部戻る。
だが、傷は消えない。
家族が受けた恐怖も。
父の会社への影響も。
私自身の心の疲労も。
◆
翌日、学校。
宮園春香は教室に入ると、深く頭を下げた。
「ごめんなさい」
小さな声。
誰もすぐには反応しない。
私は立ち上がった。
「謝罪、受け取るよ」
教室がざわめく。
「でもね」
彼女を見る。
「信頼を取り戻すのは時間がかかる。頑張って」
突き放さない。
だが甘やかさない。
彼女は目を潤ませながら頷いた。
◆
放課後。
光が言う。
「燈由ちゃん、許すの?」
「許すよ。でも忘れない」
それでいい。
芸能界は柵だらけ。
綺麗事だけじゃ生き残れない。
それでも私は、自分のやり方で進む。
悪役も、被害者も、どちらも演じられる。
だが現実では――
私は私だ。
守るべきものがある。
家族。
友達。
そして、自分の未来。
窓の外を見る。
空は高い。
嵐は過ぎつつある。
けれど私は知っている。
芸能界という戦場に“平穏”はない。
次の火種は、もうどこかで燻っている。
それでも。
私は逃げない。
強くなると決めたのだから。




