第15話 私の本気
世界はまだ、私の本気を知らない。
けれど――世界のほうが、先に私へ手を伸ばしてきた。
◆
翌週。
事務所の応接室は、いつもより空気が重かった。
ガラス張りのテーブル越しに座るのは、スーツ姿の男女三人。無駄のない仕草、感情を読ませない微笑み。
海外投資ファンド――表向きは“未来志向の教育支援団体”を名乗っているが、実態は新興市場を荒らして急成長する資本集団だ。
「燈由さん。本日はお時間ありがとうございます」
流暢な日本語。だがイントネーションがわずかに違う。
私はランドセル姿のまま、にこりと微笑んだ。
「こちらこそ。今日は授業が早く終わったので」
子供らしさを、あえて残す。
相手は私を“天才子役”“幸運の少女”として見ている。裏にいる思考の深さまでは、まだ掴んでいない。
「最近の投資実績、素晴らしいですね。医療、IT、エンタメ……非常に先見性がある」
褒め言葉の裏に、探る視線。
私は肩をすくめた。
「ニュースと本をいっぱい読んでるだけです」
嘘ではない。ただし“未来のニュース”という部分は伏せている。
男は一枚の資料を差し出した。
「我々と共同で、次世代IT教育プラットフォームを立ち上げませんか? 出資比率は五分五分。世界展開も視野に入れています」
五分五分。
つまり、主導権は握らせないという意味だ。
私は資料をめくりながら、静かに分析する。
――このモデルは、二〇〇〇年代初頭に一度流行るが、バブル崩壊で淘汰される。生き残るのは、より柔軟でコミュニティ型の仕組み。
提案は悪くない。だが“今”ではない。
「面白いです。でも、私はまだ勉強中なので……三年後でもいいですか?」
三年後。
ちょうど市場が熟すタイミング。
相手は一瞬だけ眉を動かした。
「三年後、ですか?」
「はい。その頃には、もっと具体的なビジョンを持てると思います」
十一歳が三年先を見据える。
その違和感に、彼らは戸惑いを隠せなかった。
結局、その場は名刺交換だけで終わった。
帰り際、男が小声で言う。
「あなたは、本当に子供ですか?」
私は振り返り、にっこり笑った。
「もちろんです」
◆
だが、その日を境に、周囲の空気が変わった。
学校の門前に見慣れない車。
自宅近くを歩く、同じ顔の男。
――監視。
私は確信した。
巨大な資本は、偶然を信じない。私の成功を“幸運”で片付けず、分析し始めている。
夜、自室でパソコンを開き、セキュリティを強化する。資産は複数の法人名義へ分散。信託契約も準備。
父にはまだ言わない。
心配をかけたくない。
だが――
「燈由」
背後から声がした。
振り向くと、父が立っている。
「最近、様子がおかしいな」
私は一瞬迷い、そして正直に話した。
投資ファンドのこと。監視の気配。
父は黙って聞き、やがて低く言った。
「お前はまだ子供だ。だが、もう普通の子供ではいられないのかもしれないな」
その声には、誇りと不安が混じっていた。
「守る。だが、俺達だけでは限界もある。信頼できる大人を増やそう」
翌日から、弁護士と税理士が家に出入りするようになった。
私の資産は正式に管理体制へ組み込まれる。
――これで簡単には触れられない。
◆
一方、ぷくもん人気は第二波に突入していた。
新弾カード発売日。
私はイベント会場でサイン会を開く。
列は数百メートル。子供達の目は輝いている。
その光景を見た瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。
前世の私は、こんな風に誰かを笑顔にしたことがあっただろうか。
仕事は、ただ生きるための義務だった。
でも今は違う。
「ありがとう!」
カードを受け取った少年が、満面の笑みで言う。
私はしゃがみ込み、目線を合わせた。
「こちらこそ。大事にしてね」
その瞬間、決意が固まった。
お金は武器。
でも、本当に欲しいのは――
守れる力。
この笑顔を、奪わせない力。
◆
数ヶ月後。
世界経済に小さな揺らぎが生じた。
新興IT企業の不正会計疑惑。
市場がざわつく。
私はチャートを見つめ、静かに呟いた。
「来る……」
前世で体験した、あの暴落の前兆。
私は即座に動いた。
保有株の一部を売却。安全資産へ移行。逆に、暴落後に跳ねる銘柄をリストアップ。
周囲が混乱する中、私は淡々と準備する。
そして一週間後。
市場は急落。
テレビは大騒ぎ。投資家達は悲鳴。
私は静かに、底値で買いを入れた。
恐怖の中で動けるかどうか。
それが差を生む。
数ヶ月後、市場は回復。
私の資産はさらに膨らんだ。
◆
ある夜、ベランダで夜風に当たりながら、私は星空を見上げた。
未来を知る優位性。
だが、それは永遠ではない。
どこかで記憶と現実がズレ始める。
その時、私は“本当の実力”を問われる。
「……望むところだよ」
私は小さく笑った。
十一歳の体。
三十後半の記憶。
莫大な資産。
狙うのは、ただの富豪ではない。
文化を支え、教育を変え、誰かの選択肢を増やせる存在。
ブラック企業で泣いたあの日の私のような人間を、減らすために。
スマホもまだ普及していないこの時代。
だが、十数年後、世界はネットで繋がり、個人が力を持つ。
その土台を、今から作る。
私は部屋に戻り、パソコンを開く。
新規フォルダを作成。
名前は――
『プロジェクト・フリー』
誰にも縛られない未来。
誰かを縛らせない社会。
その第一歩として、私は教育系ポータルサイトの設計図を書き始めた。
世界はまだ、私を知らない。
でもきっと近い。
次に名を呼ばれる時。
それは“天才子役”でも“幸運の投資家”でもない。
――未来を設計する者として。
私はキーボードを打ち続けた。
夜が明けるまで。




