第11話 日本舞踊と外国人
日本拳法の稽古で汗を流し、ピアノの鍵盤に向かい、子役として台本を読み込み、キッズモデルとして笑顔を作る。
その合間に、日本舞踊。
六年間、欠かさず続けてきた。
師事しているのは西川流家元、西川静戸先生。
そして挑んでいる演目は、京鹿子娘道成寺。
女の情念、恋慕、執着、狂気――。
子どもが演じるには、あまりにも重い。
「もうちょっと“恋”が欲しいわぁ」
扇を閉じながら、静戸先生が首を傾げる。
「だからその“恋”が分からないんですってば……」
本気で困る。
前世込みで人生経験は豊富だが、今の私は小学生だ。恋愛禁止の芸能界に身を置きながら、恋に溺れる娘を演じろと言われても。
「ミュンミュンの表紙、良かったじゃない」
黒歴史を抉られる。
ミュンミュンでの星宮裕翔との擬似デート撮影。
「あれは演技です!」
「舞も演技よ?」
ぐうの音も出ない。
私は深く息を吸った。
ならば演技として構築するしかない。
感情を“作る”。
恋を知らないなら、恋を設計する。
◇◇◇
本番は京都・嵐山の料亭、錦。
格式ある座敷に赤い毛氈が敷かれ、三味線が静かに調弦される。
「本当にここで舞うんですか……?」
「舞台が取れなかったのよぅ。でも“本物”が見たいって仰ってね」
静戸先生は上機嫌だ。
客はイギリス人のスミス夫妻。
動画サイトで私の舞を見て、どうしても生で観たいと来日したらしい。
座敷に入ると、二人の目がぱっと輝いた。
『Oh my… beautiful.』
『Like a living painting.』
赤地に金の刺繍の振袖。
金銀の姫扇。
私は英語で丁寧に挨拶をする。
「本日はお越し頂きありがとうございます。演目は“Kyōganoko Musume Dōjōji”。恋する娘の物語です」
静戸先生は横でにこにこしている。完全に通訳任せだ。
『動画を撮っても?』
一瞬だけ迷う。
だが私は微笑んだ。
「どうぞ。ただし、舞の最中はフラッシュなしでお願いします」
◇◇◇
三味線が鳴る。
空気が変わる。
私は“秋月燈由”ではなくなる。
道成寺へ向かう白拍子花子。
扇を掲げ、ゆるやかに歩を進める。
くるり、と回る。
袖が翻る。
恋人との逢瀬を思い出す場面。
――会えぬ苦しみ。
手ぬぐいを使った“クドキ”。
切なさを滲ませ、視線を伏せる。
想像する。
もし、誰かを失ったら?
もし、想いが届かなかったら?
胸の奥を静かに締め付ける感情。
それをゆっくりと解放する。
やがて舞は情念へ。
嫉妬。
執着。
狂おしいほどの想い。
足拍子が強くなる。
扇が鋭く切る。
座敷の空気が震える。
一時間。
長いはずの時間が、刹那のように過ぎた。
最後の決め。
静寂。
そして――。
『……Magnificent.』
スミス夫妻は立ち上がって拍手していた。
奥様は涙ぐんでいる。
『恋の痛みが伝わったわ』
私は深く礼をした。
静戸先生は満面の笑み。
「やっぱり燈由ちゃんねぇ」
◇◇◇
数日後。
事態は思わぬ方向へ転がる。
スミス夫妻が撮影した動画が、YouTubeに投稿されたのだ。
タイトルは――
《A Young Japanese Girl Performing Dojoji – Incredible》
最初は数千回再生。
それが数万。
数十万。
そして――百万人。
再生回数が七桁に到達した瞬間、マネージャーから電話が鳴った。
「燈由、今すぐSNS見るな」
もう遅い。
トレンド入りしていた。
《#Hiyori》
《#Dojoji》
《#JapaneseTraditionalDance》
海外コメントが溢れる。
“Next generation prodigy”
“She made me cry”
“Protect this treasure”
国内メディアも食いついた。
“子役・秋月燈由、日本舞踊で世界を魅了”
学校でも騒ぎに。
廊下で視線が集まる。
「動画見た!」
「凄くない?」
「海外でバズってるって!」
そして。
宮園春香が静かに近付いてきた。
「……凄いじゃない」
声は平静。
だが目の奥が揺れている。
「偶然だよ」
「偶然で百万再生いく?」
言葉に棘はない。
だが複雑な感情が滲む。
「あなた、本当に辞めるの?」
唐突な問い。
「予定では」
「もったいない」
ぽつりと零れた本音。
私は少しだけ笑った。
「舞は続けるかもね」
芸能界とは別に。
彼女は視線を逸らした。
「……負けたくない」
「舞で?」
「全部で」
らしい。
◇◇◇
しかし、バズは光だけを運ばない。
匿名掲示板。
“子どもに情念を演じさせるのはどうなのか”
“演出過剰”
“話題作りでは?”
火種はすぐに広がる。
マネージャーは頭を抱えた。
「メディア取材が殺到してる」
静戸先生は笑っている。
「話題になるのは良いことよぅ」
私は静かに思う。
――目立てば、叩かれる。
それがこの世界。
けれど。
舞っている間、私は自由だった。
嫉妬も炎上も関係ない。
ただ物語の中で生きる。
その快感を知ってしまった。
夜、自室で動画を再生する。
画面の中の私は、確かに“恋する娘”だった。
恋を知らないはずなのに。
「……出来てるじゃん」
小さく呟く。
もしかしたら。
恋とは、誰かを想うことだけではないのかもしれない。
何かに心を焦がすこと。
舞台に立つこと。
表現すること。
それもまた、恋。
スマホが震える。
星宮裕翔からのメッセージ。
《動画見た。やばいな》
短い一文。
私は返信する。
《弟子入りする?》
すぐに既読がついた。
《遠慮しとく》
思わず笑う。
世界が騒がしく動き出している。
引退まで、あと一年。
それでも今は。
私は舞う。
誰かの心を震わせるために。
そして何より、自分のために。




