第101話 二律探究録
春の柔らかな陽光が星城学園の校舎を照らしていた。
新学期の空気はどこか軽やかで、だが燈由の机の上だけは明らかに異質だった。
◇
分厚い医学書。
そして、さらに分厚い六法全書。
◇
「……物理的に机が狭いです」
◇
ノートを広げるスペースが圧迫されている。
◇
〈配置を最適化してください〉
◇
「……了解です」
◇
淡々と積み直す。
◇
◇
周囲の視線が集まる。
◇
「……あれ何の勉強?」
「法律と医学って書いてあるけど……」
◇
◇
ひそひそ声が聞こえる。
◇
だが、燈由は気にしない。
◇
ページをめくる。
◇
「……医療過誤における責任の所在」
◇
小さく呟く。
◇
◇
(医学だけでは完結しません)
◇
〈はい〉
◇
◇
そのとき――
◇
「……相変わらずだな」
◇
背後から声。
◇
振り向けば、綾小路 英隆。
◇
そして近衛 樹。
◇
◇
「今度は何だそれ」
◇
「……勉強です」
◇
◇
「いやそれは見れば分かる」
◇
「内容が問題なんだよ」
◇
◇
六法全書を指差す樹。
◇
「弁護士でも目指すのか?」
◇
◇
「……検討中です」
◇
◇
「で、そっちは医者の本」
◇
「両方やる気か?」
◇
◇
「……はい」
◇
即答。
◇
◇
「即答するな」
◇
「普通は迷うだろ」
◇
◇
「……迷ってはいます」
◇
「ですが、両方理解したいです」
◇
◇
「理解したい、ねぇ」
◇
英隆が腕を組む。
◇
「理由は?」
◇
◇
一瞬だけ、沈黙。
◇
◇
「……どちらも、人を守る仕事だからです」
◇
◇
静かな答え。
◇
◇
樹が苦笑する。
◇
「スケールでかいな」
◇
「でもまあ……らしいか」
◇
◇
「……効率は悪いですが」
◇
「無駄ではありません」
◇
◇
「その理屈で突っ走るのが怖いんだよ」
◇
◇
◇
その日の放課後。
燈由は自室に戻ると、すぐに机に向かった。
◇
タブレット端末を起動する。
◇
画面に表示されるのは――
複数のケースデータ。
◇
〈本日の演習を開始します〉
◇
◇
「……お願いします」
◇
◇
表示されたのは、医療事故の事例。
◇
術後に合併症が発生し、患者が重篤な状態に陥ったケース。
◇
◇
「……」
◇
燈由は資料を読み込む。
◇
症状。
処置内容。
経過。
◇
すべてを整理する。
◇
◇
「……医学的には予見可能性があります」
◇
ノートに書き込む。
◇
◇
「……対応は適切だったか」
◇
さらに分析。
◇
◇
「……完全ではありません」
◇
◇
続いて――
法的視点。
◇
「……注意義務違反」
◇
「……因果関係」
◇
◇
条文を参照する。
◇
ページをめくる音が続く。
◇
◇
「……過失の認定は可能」
◇
◇
ペンを止める。
◇
深く息を吐く。
◇
◇
「……難易度が高いです」
◇
◇
〈複合領域のためです〉
◇
◇
「……ですが」
◇
再びペンを握る。
◇
「理解は進んでいます」
◇
◇
◇
続いて、実演。
◇
〈模擬法廷を開始〉
◇
◇
姿勢を正す。
◇
◇
「弁護側として主張します」
◇
◇
声色が変わる。
◇
冷静で論理的。
◇
◇
「本件における医師の判断は、当時の状況に照らして合理的でした」
◇
◇
論点を整理し、順序立てて述べる。
◇
◇
「したがって、過失の認定には慎重であるべきです」
◇
◇
言葉に迷いはない。
◇
◇
〈良好です〉
◇
◇
「……演技と近いですね」
◇
◇
法廷もまた“伝える場”。
◇
相手を納得させる技術。
◇
◇
次に――
◇
〈医療実技シミュレーション〉
◇
◇
画面に手術映像。
◇
◇
「……出血点確認」
◇
◇
思考と動作を連動させる。
◇
◇
「……ここで処置」
◇
◇
判断は速い。
◇
◇
〈精度向上〉
◇
◇
◇
すべての訓練が終わる。
◇
◇
椅子に背を預ける。
◇
「……」
◇
静かな疲労。
◇
◇
だが、その目はまだ動いている。
◇
◇
机の上の本へ。
◇
医学書。
六法全書。
◇
◇
「……どちらも、必要です」
◇
◇
誰かを救うために。
◇
身体を救うか。
人生を救うか。
◇
あるいは――
その両方か。
◇
◇
「……まだ、選びません」
◇
◇
その言葉は、迷いではなく選択だった。
◇
◇
未来を限定しない。
◇
可能性を狭めない。
◇
◇
静かな夜。
◇
ページをめくる音が続く。
◇
◇
燈由は進み続ける。
◇
医療と法律。
◇
二つの道を同時に歩むという、常識外れの挑戦。
◇
◇
だが――
◇
それを不可能だと決める理由は、どこにもない。
◇
◇
「……続けます」
◇
小さな決意。
◇
◇
その積み重ねが、やがて大きな力になる。
◇
◇
二律の探究は、まだ始まったばかり。
◇
その先にある未来は――
誰にも予測できない。




