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影からの来訪者

 夕暮れの冷たい空気が冬の始まりを感じさせる。自分の部屋へ戻ろうと中庭に面した廊下を歩いていた仁梧は、正面からこちらに向かってきた姉に足を止めた。和梧の方も仁梧に気づいたが、足取りが止まったのは一瞬だけで何事もなかったように歩いてくる。

 言葉も交わさずすれ違おうとする姉に、仁梧は努めて明るく声をかけた。

「お、おかえりなさい。今帰ったのね」

「見ればわかるでしょ」

「えっと…学校はどうだった?」

「別に…仁梧に話したってわからないでしょ」

 ぶっきらぼうな口調に、仁梧は気まずそうに眉を下げて唇を噛む。二人の間に流れる重い空気。夕陽が作り出す影は、寂しげに伸びている。

 その時だった。

「おいおい、喧嘩は良くないぜお二人さん」

「「⁉」」

 突然、和梧の後ろから軽い男の声が聞こえる。

「誰⁉」

 いつの間にこんなにも近づかれていたのかと驚いたのも束の間、和梧はすぐに印を結び臨戦態勢に入る。

 黒いスーツに身を包んだ若い男、年は二十代前半だろうか。長めの前髪を軽く流した少し癖のある黒髪は夕陽でオレンジ色に染まり、ネクタイをしていない首元はシャツのボタンが外されている。その見た目のせいか、それとも先程の声の調子のせいか、全体的に軽薄な印象を受けた。

 男を睨み見ていた和梧は、彼の肩にある肩章に目を留める。

「その紋章…あなた、神異対策庁の人間?」

「え?」

 和梧の言葉に、驚きで固まってしまっていた仁梧は小さく目を見開く。確かに、男の肩に縫いつけられているのは先日要請を受けて赴いた先にいた者達と同じ徽章(きしょう)である。対して男は、人好きのする笑みを浮かべて言った。

「あ、やっぱわかるよな。ホントは私服で来たかったんだけどさ。この制服、防護用の(まじな)いがかかってるからこの格好の方が都合良かったんだよな」

「どうやって屋敷に入ったの?まさか堂々と玄関からなんて言わないわよね?」

「それができりゃ苦労しねぇんだけどな。公式の訪問じゃない政府の人間なんて、門前払いどころか叩き出されるだろ。だからちょっと、な。いやぁ、流石は祓戸の屋敷。ここまで潜入するのは骨が折れたぜ」

「潜入、って…」

 言葉の割に余裕を見せる男に、仁梧は衝撃を隠せないでいた。この屋敷には対異形の結界は勿論、あちらこちらで一族や傘下の人間が常に異能を使いながら見回りをしている。鼠一匹入り込む余地のない警備の中を、この男はここまで入り込んだと言うのか。

 只者ではない事は仁梧にもわかった。それだけに、相手の意図がわからず戸惑いが隠せない。

 警戒と困惑の視線を受けた男は、ズボンのポケットに両手を入れて一歩彼女達に近づく。

「まあまあ、そんな目で見るなって。今日は噂に名高い祓戸家のご令嬢方を一目見てみたかっただけだよ。この間の感じと照らし合わせると、威勢のいい君が次期当主の御前様って事でいいのかな?」

「っ」

 ぱっと和梧を庇うように仁梧が前に出る。それを見た男はきょとんと意外そうに目を瞬き、そしてへぇと感心したような声を出した。

「成程?露払いの妹君は跡取りを守る為なら素性も知れない相手には怯みません、ってか。今の動き、ほとんど反射的なものだろ。随分しっかり"教育"されてるみたいだな」

「っ、瞬ける光よ…」

「あー、大丈夫大丈夫。危害を加える気はねぇよ」

 呪符を出し霊気を練る仁梧に、ひらひらと両手を上げて敵意がない事を示す。

「それにしても…」

「?」

 何かを考えるように自分達の顔を交互に見比べる男に、仁梧達は怪訝そうに視線を通わせる。

「この前は顔を隠しててわからなかったけど、祓戸の双子がこんなに可愛い子達だったとはね。御前様は赤、露払いの影前は青、と。確かに、こんなわかりやすい目印があったんじゃ顔を隠したくもなるよな」

 男が言っているのは彼女達の目の事だろう。二人とも黒曜石のような黒い目をしているが、和梧は左目が、そして仁梧は右目がそれぞれ赤と青のオッドアイだった。

 興味深そうに仁梧達を見ていた男がうんと頷いた刹那、ゆらりと空気が揺れた気がした。

「タイプは違うけど、二人とも俺の好みだな。どう?今度デートでも。楽しんでもらえる自信はあるぜ?」

「な…っ」

 突然の誘いに和梧は顔を赤らめ、わなわなと肩を震わせる。鼓膜を震わせる声がやけに甘く感じる。怪しさしかない相手だというのに、心臓の音が早くなるのがわかった。

「?でーと、って何ですか?」

 一方で仁梧は不思議そうに首を傾げ、問い返す。

 二人の、特に仁梧の反応を見た男は片眉を上げ、にっと口端を上げた。

「…やっぱりな」

 男が二人に聞こえないほどの声で呟くと、ふっと空気が軽くなる。と同時に、男は更に一歩距離を詰めた。

「っ、なん…」

「まあまあ。言ったろ?危害を加える気はねぇって。でも…」

 動揺する仁梧の耳元に顔を近づけると、そっと囁く。

「君の力って…ホントにそんなもの?」

「え?」

「トラ!」

「おっと、おっかねぇな」

 仁梧の後ろから飛びかかってきたトラを間一髪で後ろに飛びのき避ける男。その顔には言葉とは裏腹に余裕の笑みが浮かんでいた。

「積極的だねぇ。嫌いじゃないぜ、そういうの」

「ふざけるな!」

 怒気を込めて叫ぶ和梧に、男はけらけらと笑いながら手を振る。

「冗談だって。最初に言ったけど、今日は顔を見に来ただけさ。また改めて、正式に挨拶させてもらうよ」

 そう言って、男の姿は廊下の奥の影に溶けて消えた。残された仁梧と和梧は、何が起こったのか理解しきれずただ立ち尽くす。

「和梧。あの人、一体何だったのかしら」

「知らないわよ。一つ言えるのは、典祓庁(てんぱつちょう)の人間なんて信用ならないって事だけ」

「"てんぱつちょう"?神異対策庁の人ではないの?」

 そう尋ねる仁梧に、和梧はトラの背中を撫でながらああと答える。

「仁梧は知らなかったわね。神異対策庁っていうのは一般人向けの呼称で、私達異能者の間では典祓庁(てんぱつちょう)が本来の組織の名前なのよ。表向きには都市伝説に関する事件や原因不明の災害対応をしている省庁として認識されているけど、実際はそれ以上に深く妖祓いや異能者の管理に関わっているらしいわ」

「妖祓いはわかるけど、異能者の管理って?」

典祓庁(てんぱつちょう)の構成員のほとんどが異能者だっていうのはこの間話したでしょ?異能と言っても、ただ異形が見える程度のものから(あや)を祓えるくらいのものまでその幅はすごく広いのよ」

「待って。それって、妖祓いができない異能者もいるという事なの?」

 重ねて問う仁梧に、そうだと頷く。

「異能者と一般人の決定的な違いは、異形に与える影響の大きさ。異形は霊気を持つ人間を狙う。つまり、戦う術を持たない異能者は異形にとって格好の餌食。運良く助かる場合もあるけど、巻き添えを食らって家族や周囲の人間を喪うケースは少なくないと聞くわ。典祓庁(てんぱつちょう)では、そんな異能者を保護する活動も行なっているのよ」

「そうなのね。じゃあ、異能者にとってはとてもいいところのように思えるのだけど」

 窺うような視線に、和梧はどうかしらと肩を竦める。

「そこだけ聞けば真っ当な組織だけど、噂じゃ保護した異能を持つ子供を戦闘員に仕立てる為に結構えげつない事もやってるらしいわよ。国を守る政府の機関が聞いて呆れるわね。まあ、ウチもやってる事は大して変わらないけど。とにかく、たかだか百年そこらの歴史しかない新参者の組織に口を出されたくない祓戸家にとって異能者全てを管理したい典祓庁(てんぱつちょう)は鬱陶しい存在でしかないのよ。仁梧も気をつけなさい」

「…ええ、わかったわ」

 立ち去る姉の背中を見送り、もう一度男がいた場所をじっと見つめる。夕陽が傾き先程よりも濃くなった影の色は胸をざわつかせたが、何故だか嫌だとは思わなかった。

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