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孤独と安らぎ

 大きな屋敷の離れ、まるで追いやるように(しつら)えられた一室。自室として与えられたこの部屋へ戻ってきた少女は、部屋の真ん中に朝餉が乗った膳が置かれているのを見て諦めたように目を伏せた。中身こそ和梧と同じものを用意されてはいるものの、そこにあるのは出来立ての温かいものではなく明らかに最後に用意されたであろう事がわかるほど冷め切っている食事だ。

 仕方がない。次期当主として多くの世話係に囲まれている和梧と違い、自分には専属で面倒を見てくれる女中などいないのだ。たとえ片手間だろうが、こうして他の仕事の合間を縫って食事を運んでもらえるだけマシな方だろう。

 丁寧な所作で畳に膝をつき、膳の前に正座する。手を合わせ、箸を取るかと思われたその目は自身の斜め前に向けられた。

「ほしみ、朝ご飯よ」

 誰もいないその場所からみぃ、という鳴き声がしたかと思うと、しゅるりと何かが姿を現した。一見普通の白黒の八割れの仔猫に見えるその生き物は、その尾が二つに分かれている。所謂(いわゆる)猫又と呼ばれるそれは、ぺろぺろと顔を洗うと大きく伸びをして少女を見上げた。

〈おはよう、仁梧(にこ)。何だか浮かない顔だね〉

「おはよう、ほしみ。ちょっと、ね」

〈また当主に釘を刺されたんだろ。もしくは片割れにきつい一言でも貰った?〉

「ええと…」

〈ああはいはい、両方ってわけだね〉

 人間のように肩を竦め、ほしみはぴょんと身軽な動きで仁梧の膝に飛び乗る。

〈やった、今朝は鯖の干物だ!ねぇ仁梧、僕これが食べたいな〉

「勿論、好きなだけ食べてね」

 嬉しそうに干物に(かぶ)りつくほしみを見て、ようやく仁梧の口許には小さな笑みが浮かぶ。ほしみに続くように、きちんと手を合わせてから食事に手をつける。

〈今朝はまあまあ冷えるね〉

「秋ももうすぐ終わりだもの。中庭の木もすっかり赤や黄色に染まっているわ。食事を終えたら、一緒に縁側の外で眺めましょう」

〈仁梧が膝に乗せてくれるならいいよ。あったかくないと嫌だからね〉

「ええ、私もほしみがくっついてくれていたら暖かくて嬉しいわ」

 そんな会話をしながら、(しばら)くの間穏やかな時間を二人で過ごす。だがそれも束の間、仁梧が箸を置くとほぼ同時に障子の向こうから声がかけられた。

「失礼致します。ご膳を下げに参りました」

「あ、はい。ど…」

 「どうぞ」の言葉も待たず、すっと障子が開けられる。まるで絡繰人形のように無機質な一礼だけをすると、女中は部屋に入り淡々と膳を持ち上げた。その際、ほしみの姿を視界に捉えたのかあからさまに表情が歪められる。

「汚らわしき(もう)が」

 吐き捨てるような一言に、仁梧はほしみを庇うように抱き上げる。しかし、その姿すらも女中は蔑むようにふんと鼻を鳴らし部屋を後にした。



〈何で仁梧がそんな顔をしてるのさ〉

「だって…ほしみは何も悪くないのに」

 眉を下げる仁梧に、ほしみは何でもないように欠伸をする。

〈仕方ないじゃないか。僕が妖である事に間違いはないんだから〉

「それはそうだけど、ほしみは他の(もう)と違って人に害をなしたりしないわ」

〈そういう目で僕を見ている変わり者なんて、仁梧くらいのものだよ。そんなんでよく妖祓いができてるよね〉

「…」

〈あーごめんごめん!僕が悪かったって!落ち込まないでよ!〉

 自身の言葉にずーんと暗い空気を背負う仁梧に、ほしみは膝の上から前足で彼女の着物を引っ掻く。

「いいの。本当の事だもの。昨日の晩だって、和梧が一人で化け(いたち)を祓っている間、私はただ町に影響が出ないように結界を張る事しかできなかったわ。異能を持って生まれたと言っても、私に相手ができるのは(もう)(りょう)が限界。父上の仰る通り、"二十五番目の存在"を召喚できるようになるには未熟すぎるのよ」

〈確かに和梧の力は強大だよ?妖気が小さすぎて祓うにも値しないって理由でこうして見逃してもらってる僕からしたら、向こうの方が化け物だ。だけど、そもそも仁梧の力は防御やサポート向きの異能なんだからそこを比べる方がおかしいんだよ。仁梧の父親もこの屋敷の連中もみんな仁梧に守りを丸投げしてるくせに、どうしてそんな簡単な事に気づかないかなぁ〉

 尻尾をゆらゆらと揺らして口を尖らせるほしみの背中を優しく撫でながら、仁梧は寂しそうに微笑む。

「ありがとう、ほしみ。こんな私とまともに話をしてくれるのはあなただけよ」

〈だーかーらー!そういうところがあいつらをつけ上がらせるんだよ!〉

「うっ…ふふ、ふふふ。擽ったいわ、ほしみ」

 尻尾で頬を擽られ、声を上げる仁梧の表情はここまでで一番柔らかい。他の人間には見せない、見せる事を許されない笑顔。それが彼女とほしみの関係性が如何に近しいものかを如実に物語っていた。

 一頻(ひとしき)り戯れた後、仁梧はさあと腰掛けていた縁側から立ち上がる。

「そろそろ鍛練をしないと。ほしみ、今日もお願いね」

〈いいよ、やろうか〉

 何かを招くように前足を動かすほしみにありがとうと礼を言い、仁梧は部屋の中へ戻っていった。



 祓戸家の屋敷の離れは厠や洗面所などを除き二つの部屋に分かれている。一つは寝食を行う私室、そしてもう一つは修行を行う道場である。浅葱色の着物から仕事用の黒装束に着替えた仁梧は道場の真ん中で正座し、目を閉じて心を落ち着けていた。正面には、ほしみが彼女と向かい合うように座っている。その床には黒いテープで正方形の線が貼られていた。

 ゆらゆらと立ち昇っていた銀色の霊気が仁梧の体の輪郭をなぞるように収まると、ふっと目が開かれる。そのまま静かに懐から呪符を取り出し、口上を唱える。

「綾なす光よ、光を結び盾と成れ。守星(しゅせい)房宿(そい)

 途端、空気がぴんと張り詰めほしみを囲うように透明な箱が作られる。ただ箱を作ったのではない。底面の辺は床に貼られた線と寸分違わぬ位置にあった。ほしみはくるくると箱の中を歩き回り、爪で箱を壊そうと引っ搔いてみるが、箱は傷一つつかない。

〈いいんじゃないかな。まあまあの強度だ〉

「じゃあ次に行くわね」

 仁梧は更に力を込める。すると箱の側面の一つに丸い穴が空いた。穴はちょうどほしみが通れるほどの大きさで、そこからまるで水道管のように円柱状の道が伸びていく。

 その道を追いかけるようにほしみが箱の外に飛び出る。縦横無尽に伸びる透明な道。ところどころで部屋のような箱を挟み、一分もかからぬ間に道場には巨大なキャットタワーのようなものが出来上がった。

 その中を楽しそうに駆け回っているほしみを見上げ、仁梧は声をかける。

「どう、ほしみ?」

〈最っ高!僕の速さでも追いつけないスピードでこれだけ複雑な形の結界を作れるんだ。やっぱり仁梧はもっと自信を持つべきだよ〉

「駄目よ。実際はこの何十倍も大きな結界を張らなきゃいけないんだもの。成形のスピードがまだまだ足りないわ」

〈真面目だなぁ〉

 謙虚な反省に、一番上に作られた結界の箱の中で寛ぎながら呆れたような声を返すほしみ。その姿に苦笑を返した仁梧は、ゆっくりと立ち上がり呪符を破く。

〈にゃっ⁉︎〉

 突然消えた結界にほしみは驚きの声を上げるが、ぽすっと軽い音を立てて仁梧の腕に抱き止められる。

〈びっくりするじゃないか〉

「ふふ、ごめんなさい。もう一度やりたいから、付き合ってくれる?ほしみと鍛練をするのはすごく楽しいの」

 仁梧の言葉にほしみはきょと、と金色の目を瞬かせ、そしてにやりと笑った。

〈仕方ないなぁ。仁梧は僕がいないと駄目なんだから〉

 そう言って、甘えるように喉を鳴らしながら仁梧の体に擦り寄るのだった。

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