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序章

 秋の肌寒い夜風が静かな町を撫でる。ぼうっと灯る街灯の下、ゴミ捨て場で食料となるものを漁る一匹の猫の姿があった。がさがさとゴミ袋を引っ掻く音が風に乗り、空に溶けていく。

 ちかちかと街灯の灯りが不規則に点滅する。そこから一歩遅れて猫の耳がぴんと立ち、青い目がきょろきょろと辺りを見渡す。

 刹那、この世のものとは思えぬ何かの咆哮が眠っていた町に木霊した。猫は警戒するように丸めていた尻尾の毛を逆立て、その場から一目散に逃げ出す。

 咆哮は町中に響いているが、不思議と誰も起きてくる気配はない。やがて一瞬の静寂が訪れたかと思うと、あちらこちらの空がぐにゃりと歪み複数の民家の上に異形の姿をした"何か"が姿を現した。

〈ギャオオオオオ!〉

 (いたち)に似た、けれども明らかにただの獣ではない雰囲気を纏うそれらを電柱の上から見つめる人間が一人。長い黒髪を一つに束ね、黒い袴に身を包んだ少女はすっと頭から被った(うすぎぬ)越しに目を細めた。

「出たわね」

 少女が小さくその一言を漏らした次の瞬間、体からゆらりと金色の光が立ち昇る。

「ネズ、トラ、出ておいで」

 呼びかけに応えるように少女の肩に一匹の鼠が、そして傍らには虎が現れた。

〈うわぁ、化け(いたち)だ。相変わらずうるさい奴らだなぁ〉

〈文句があんなら引っ込んでな、チビ助。あの程度の雑魚共、俺様一人で十分だ〉

〈出た出た、トラの自信過剰〉

〈あんだと⁉︎〉

「ネズ、あんまり煽らないの。トラもいちいち反応しない」

 出てくるなり言い合いを始める両者を窘め、少女は右手で印を結ぶ。

「じゃ、行くわよ」

〈よっしゃ!〉

 主の声に合わせ、ネズは民家の屋根を伝って化け(いたち)の方へ走っていく。不思議な事に屋根から屋根へ飛び移る度にその姿は数を増やしていき、それぞれの化け(いたち)の元まで到着する頃には何十にもなっていた。

〈ギギギ、ギャオオ!〉

〈キィーッ!〉

〈ギャアアアアア!〉

 化け(いたち)達は自分の周りを駆け回るネズに翻弄され、手当たり次第に潰そうと暴れている。

〈ぎゃあぎゃあ耳障りなんだよ。やだね、暴れるしか能がない奴って〉

〈おい、あいつ完全に遊んでんぞ〉

「ネズの悪い癖ね」

 呆れたようにため息をつくと、少女は右手にさらに力を込める。

「じゃあ、トラ。お願い」

〈おう〉

 少女から漂う光がトラに渡されるように吸収されていく。それに呼応して大きくなったトラは俊敏な動きで夜空を駆け、瞬き一つする間に化け(いたち)の内の一匹の喉元を食い破った。

〈ギャオオオオオ!〉

〈おら、もう一丁!〉

 断末魔を聞く間もなく、トラは次々と化け(いたち)達に噛みついていく。ほんの数秒の間に全ての化け(いたち)が倒されると、再び町には静寂が訪れた。



御前(ごぜん)!」

 化け(いたち)達の死体を前に立っていた少女は、呼ばれた声に振り返る。鶯茶(うぐいすちゃ)色の装束に身を包んだ男がこちらに走り寄り、怪我はないかと問いかける。

「あの程度の妖相手に怪我なんかするわけないでしょ。それより、状況は?」

「は、はい!化け(いたち)と共に現れた(もう)、及び邪気に当てられた(りょう)は粗方殲滅が完了しました!今夜はもう(あや)の出現はないかと思われま…」

「トラ」

〈おう〉

 男の報告を遮るように、少女は虎を出現させる。たじろぐ男を無視し、右手の指を男の背後めがけて下ろすと、トラが真っ直ぐに駆けた。

〈ギャッ〉

 短く聞こえた声に驚いた男が振り向くと、そこには化け(いたち)の子供がトラに食われるところだった。

「っ」

(あや)の出現が、何って?」

 言葉をなくす男に、少女の低い声が追い打ちをかける。

「も、申し訳ありません!」

「誰が判断したのか知らないけど、詰めの甘い馬鹿のせいで不必要な火の粉をかけないで」

「はっ!」

 真っ青な顔で頭を下げる男には目もくれず、その場を後にする少女。一連のやりとりを見ていた周囲の者達は、わっと興奮した様子で少女を囲み声をかけた。

「お見事です、御前!」

「まだ十八の御身であの力。あの大きさの化け(いたち)なんて、普通は一体を数人がかりで倒すものだというのに」

「流石は祓戸(はらえど)家の次期当主。俺達とはまさに格が違いますね!」

「…」

 かけられるのは称賛の声ばかりだが、幼い頃から幾度も聞いてきた言葉に少女はうんざりだとでも言いたげに耳元の髪を掻き上げる。どいつもこいつも、口を開けば安っぽい言葉で人を持ち上げ褒め称える。先程の男など自分の親ほどの年齢だというのに、へいこらと(へりくだ)ってはあたふたと場をまとめる事に必死だ。まったく滑稽でならない。

 軽い身のこなしで一軒の家の屋根へ飛び乗ると、この辺り一帯で騒いでいた(もう)(りょう)の討伐に当たっていた者達が戻ってくるのが見えた。皆同じ鶯茶(うぐいすちゃ)色の装束に身を包む中、一人自分と同じ黒い袴を穿()いた人影を見つけた少女はその人物をじっと見つめる。

 低い位置で長い黒髪を一つに結っている彼女は、装束だけでなく同じ(うすぎぬ)で顔を隠している。それがふわりと風に吹かれ、一瞬だけその顔が露わになった。自分と全く同じ顔立ち、しかしその表情は自分とは真逆で自信がなさそうに俯き気味である。

 他の者達と合流した彼女は、何人かと言葉を交わすと何か了承するように一つ頷いた。すると彼女の体から自分と同じように、こちらは銀色の光が立ち昇り彼女が立っている位置を中心に町一帯に広がっていく。地面を這うように伸びていった光は町を四方から囲むように空へ昇っていき、やがて空中へと消えた。

 途端、町から邪気が消え去り、辺りには秋の夜らしい澄んだ空気が漂う。その気配を感じたのか、下に集まっていた者達が表情を明るくして言った。

「おお、邪気が消えた」

(もう)(りょう)の気配もない。御前が化け(いたち)を祓ったからだ」

「…」

 少女がちらりと視線を移すと、どこかほっとしながらも肩を落とす彼女の姿が目に入った。それまで感情を表に出さなかった少女は、ほんの少し眉根を寄せる。

 しかし、それも一瞬の出来事で、少女は静寂を取り戻した町の中に溶け込むように家路につくのだった。

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