(最終回) 父と子
だが匕首は源二郎に刺さらなかった。
源二郎が左手で抜いた脇差が匕首を脇へそらしていた。
そして、船上の男は刀を受けたと思った次の瞬間、その刀で首のつけ根をしたたかに打たれていた。
源二郎は鎬を当てて脇差を反らす動きで攻撃に出たのだ。
それこそが、一刀流の極意、切り落としである。付け焼き刃でできる技ではない。
船上の男が倒れていった。
源二郎は男と入れ代わりながらその衿をつかみ、男が川に落ちるのと舟がひっくり返るのをなんとか防いだ。
舟は大きく左右に揺れた。
足元が定まらない。屈んだ源二郎の顔に水しぶきがあたった。
櫓を持つ男が叫んだ。
「覚造!」
泣き叫んだような声だった。
源二郎が差していたのは刃引きした刀だから、斬ってはいない。
しかし木刀よりも鋭い分、深く食い込むし、一瞬のことだから、櫓を持つ初老の男は覚造が斬られたと思ったらしい。雄叫びをあげながら、櫓を両手で握り源二郎に向かってきた。
揺れ続ける舟の中でも低い姿勢で迫ってきた足腰はしっかりしていた。脇差と匕首の両刀遣いをした男よりも迫力があった。
何度も白刃の下を潜り、生き延びてきた男が感情を剥き出しにした迫力に、源二郎は久しぶりに恐怖を感じた。その気迫に思わず屈んだまま後ずさった。
だが源二郎が身につけた剣術も並みではない。片手で舟べりを掴んだまま、荒れ狂う櫓を刀でそらし、弾き、返す動きで男の首に突きつけた。
「時蔵、観念しろ。もう逃げられない。百姓家のおまえが殺そうとした仲間も無事だ。全員揃ってお白州だ」
初老の男が首に突きつけられた刀を気にしたのは一瞬で、櫓を手放し、気を失っている男に手を延ばして抱えた。それから、驚いたようにその首に右手をそわせた。
「斬られたんじゃねぇのか……」
男の呟きに源二郎はこれまでにも何度か言ってきたセリフを口にした。
「町方の同心が捕物で差しているのは刃引きした刀だ。覚造は気を失っているだけだ」
次に初老の男が取った言動に源二郎は驚いた。気を失っている男を抱きながら泣き出したのだ。
「わしをこいつより先に殺してくれ……頼む……こいつが死ぬのを見たくない……」
源二郎はその姿に腹が立った。
「そんなに大事に思う息子なら、なんで盗賊にした!どうして同じ轍を踏ませたんだ!」
初老の男、時蔵は、源二郎の質しに答えなかった。
子を見捨ててしまう親よりはマシといえるのだろうか。手下を平気で毒殺するような悪党も、自分の子供は人並みに愛していたということだが、源二郎は時蔵の心情を納得しきれなかった。
土手に安藤の姿が見えていた。そして、小舟の流れていく水路の先、源森川に合流する箇所には鯨舟が現れた。
時蔵は覚造が意識を取り戻すまで抱えていた。
源二郎達は速やかに奉行に必要な書類をすべて提出して承認を得、時蔵達を伝馬町の牢屋敷へ送った。
本来なら、作五郎も刑罰が決まるまで大番屋か伝馬町だが、時蔵達の捕縛に協力したことと逃亡の恐れはないということが認められ、はるが元気になるまでは舟庵の診療所預け、その後、刑罰が決まるまで日陰町の名主預けとなった。破格の処置である。おそらく刑罰も人足寄場に一年か二年だろう。
もちろん、源二郎と安藤が熱心に作五郎の弁護と刑罰の提案をした成果である。
作五郎が人足寄場にいる間の清六とはるのことは、安藤が預け先を見つけると言ってくれている。心当たりがあるらしい。
「おいらに任せてくれ。清六はそろそろ奉公する年だしな」
伝馬町へ送る時に見た覚造は開き直りからか、淡々としていた。一方の時蔵は一気に十くらい老けて見えた。
押し入った家の人間や手下を直接殺害したのは主に覚造だが、主犯であることと、積み重ねてきた悪事により、時蔵も獄門(死罪のうえ晒し首)を言い渡されることは確実だ。
小舟の上で涙を流しながら時蔵が頼んできたことを源二郎は小松に報告はした。
最終的に決めるのは御奉行である。
源二郎は疑問に思っていたことを安藤に尋ねてみた。安藤には二人の息子がいるのだ。
「確かに大抵の親は子供を悪の道に入れまいとするだろうな。けどよ、親が悪人ってことで、世間から冷たい目で見られて真っ当に生きられなかったり、そもそも息子がどうしようもねぇ奴で悪事を働いちまったとしたら、自分の手元に置いて、面倒みようって気になるかもしれねぇよ」
源二郎は作五郎にも聞いてみたいと思った。
源二郎は時蔵達を伝馬町へ送ると、すぐに舟庵の診療所に向かった。用件ははるの見舞いと作五郎の処遇決定を告げるためだ。もうひとつ、作五郎への伝言を預かっていた。
昼頃、万蔵にはるの様子を見に行かせ、この日の昼に卵粥を椀に半分近く食べたと聞いていた。着実に回復している。
清水屋の卵の裾分けも続いているらしい。
いつものように源二郎の後ろを万蔵が歩いている。
もう夕暮れが始まっていたが、源二郎の頬を撫でる風は数日前の冷え込みが嘘のような優しい風だった。
源二郎は舟庵の診療所の枝折戸から庭を進んで奥へ向かった。最近ではすっかり歩きなれた経路である。
はるが寝ている部屋の腰高障子は閉じられ、中からは作五郎と清六の楽しげなやり取りと笑いが聞こえた。
その和やかさに、源二郎は声をかけるのをためらった。気恥ずかしさと気後れを感じた。親子水入らずの邪魔をすることになると気づいたのだ。
必要なことを告げたら、すぐに帰ろう。そんなことを心に決めて、さぁ声をかけようとした時だった。
「おやくにしゃまが来てくれた」
はるの声が小さく聞こえた。
源二郎は聞き間違いではないかと、動きが止まってしまった。
直後に障子が開けられ、清六が顔を出した。源二郎を見て、笑顔になった。
子供らしい笑顔だと源二郎は思った。それまで清六から感じていた斜に構えた風はない。父親がいない間、妹と二人で生き抜くために、清六は精一杯背伸びをしていたらしい。
「榊の旦那、やっと来てくれたね!おはるが待ってたんだよ。あがってよ……っと、あがってくだせぇ」
「あ、いや、その……俺は伝令として来たわけで、部屋に上がる必要はない。ここで……」
作五郎までが濡れ縁へ出てきた。
「榊様、どうぞ、どうぞ、お上がりくだせぇ。ひとん家ですがね」
初めて源二郎が見た作五郎の笑顔は、いかにも人のよさそうな、気さくな笑顔だった。清六と目が同じだ。
顔を見せたことから、源二郎は先に作五郎への伝言を済ませることにした。
「おふでがあんたに謝っていたよ。騙したくはなかったが、覚造が怖くて逆らえなかったと」
作五郎の顔が歪んだ。
「おふでも伝馬町でやすか?」
源二郎はかぶりを振った。
「今は鞘番所(仮牢)にいる。脅されてやったことが認められれば、おそらく住んでいる蛤町の名主預けになるだろう」
作五郎の顔が柔らかくなった。安堵の顔だ。
「バカな奴だとお思いになるでしょうが、あっしはおふでを憎むことができやせん。覚造に脅されて、覚造が怖くてやったことなんですよ。あっしは憎んじゃいねぇと、おふでにお伝えくださいやし」
そう言った作五郎の顔に、源二郎ははると同じ心根を感じた。
作五郎に尋ねようと思っていたことをやめた。聞かなくても答えがわかった気がしたのだ。安藤と同じ答えをするだろうと。
ふと、源二郎の頭に時蔵と覚造の姿が浮かんだ。あの親子にも先ほど聞こえてきた、作五郎と清六のような会話があっただろうかと考えた。
おそらくなかったと源二郎は思った。父親は息子を悪党なりに愛していたが、息子の目には父親を見た時にも冷酷さしか感じられなかったのだ。
翻って、自分はどんな目で父を、榊源之丞を見ていたのだろう。そんな自問まで源二郎の頭に浮かんだ。
そんなことを考えていた源二郎の前後で、清六と万蔵が掛け合いを始めた。
「おめぇにもや~っと榊の旦那の凄さがわかったようだな」
「ふん、あんたみてぇなのが御用聞きじゃ旦那も大変だろうぜ」
「なんだとぉ!おめぇに言われたかねぇな。散々旦那に世話かけておいてよ」
「今はガキだから、仕方ねぇよ。けど、見てな。もうちっとしたら、あんたより役に立ってみせるぜ」
源二郎は驚いた。清六は町方の御用聞きになるつもりなのかと。まだ十才である。これから色々なことを知り、色々なことに興味を持っていくだろうから、あてにするつもりはないが、町方の人間として嬉しいことである。
源二郎が濡れ縁に上がると、すぐに布団に横たわるはると視線があった。
はるは一段とやつれていたが笑顔になり、源二郎に向かって手を伸ばしてきた。
「熱はほぼ下がりやした。咳がしばらく続くかもしれないけど、あとは食べて寝て、身体に力をつけることだと先生が言ってくれやした」
源二郎は作五郎の声を聴きながら、はるが伸ばしてきた手をそっと握った。
「よく頑張ったな、おはる。よかった……」
はるの笑顔に涙がにじんでくるのを源二郎はこらえた。
「おやくにしゃまがあっためてくれたからだよ。ずうっと一緒にいてくれたからだよぉ。ものすごぉく寒かったのが、あったかくなって、誰かなぁって顔を見たら、おやくにしゃまだった……」
駄目だ。こらえきれない。源二郎は袖でこぼれそうになった涙を拭った。記憶にあるかぎり、初めての嬉し泣きだ。
「何か食べたいものがあるかい?買ってきてやるよ」
照れもあって源二郎はそう言った。
途端にはるは目を輝かせて言った。
「おやくにしゃまの作ってくれたご飯とお味噌汁!あんなに美味しいの食べたことなかったぁ。あのご飯とお味噌汁が食べたいぃ」
源二郎はおはるに初めて会ったあの日、帰りがけに見た、真剣な顔つきで一心不乱に食べていたはるの姿を思い出した。自然と顔がほころんだ。
「よし。明日はちょうど非番だし、作って持ってきてやる」
はるにそう返したあとで、源二郎は作五郎に囁いた。
「普通に炊いた米に青菜を入れただけの味噌汁だ。削り節で出汁をとったからだろう。誰でも作れる。後で作り方を教えるから……」
囁いている間に源二郎は、はるのためにもっと美味しく病み上がりにも良いと思える料理があることを思い出した。
――そうだ。あのきえが「ふわふわ」と呼んだ卵料理を作ってこよう。きっとおはるも目を丸くして美味しいと頬張るだろう。きえにも、清水屋へも、万蔵に持って行かせるか……ここへ卵を分けてくれたのだから、礼をせんとな……
清水屋のことを考えるとみのの姿が浮かび、胸苦しさを感じた。そんな思いを振り切ろうとした源二郎は、視線を感じてはるに向き直った。
はるがじっと源二郎を見ていた。その目は、源二郎を信じきっている、嬉しそうな目だ。幸せを感じている目だ。
守りたかった命を守れた。まだ油断はできないが、大きな山は間違いなく越えた。父親と会いたい望みも叶えることがことができた。はるの目を見返しながら、源二郎は心の底からの安堵と達成感を感じていた。
そして、はるが自分を見つめる目に、自分を、自分の存在を信じることができそうな気がした。
―― 終 ――
最後までお読みいただいた方、誠にありがとうございますm(_ _)m
地味な作品ですが、読んだ方の心に響くなにかが、どこかにあればと思いますm(_ _)m




