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小春風  作者: 空木弓
7/8

(七) 捕物

 

 まもなく鯨舟が小さく見えてきた。

 源二郎は海辺橋の中程に向かった。

 月明かりだから、顔は見極められなかったが、体つきから、鯨船の一艘目には大野と本所方与力の中島伴左衛門(なかじまばんざえもん)が、二艘目に安藤が乗っていると見えた。

 本所方与力の中島がいることに源二郎は驚いた。見間違いではないかと目を凝らしたが、どう見ても、その恰幅の良い立ち姿は中島である。

 鯨舟の指揮ができる中島に小松が自分の代理を頼んだ形なのだろうが、その手回しや説得も安藤が行ったとしか思えない。


 安藤は源二郎に気づいたらしく、手を大きく振った。

 息を整え、源二郎は絶好の、一瞬の機会を待った。橋はそれほど高くはないが、降りる先が小舟なのが難しい。暗いと微妙に距離感が狂うこともある。正直なところ、川に飛び込む方が気は楽である。

 そのうえ、川岸からの視線を感じていた。

 万蔵と勘六親分はとうに徒歩で小梅村へ向かっている。しかし、作五郎と清六は舟庵の診療所へ行くはずが、川岸に残って源二郎を見ているのだ。

 源二郎は自分に向いている視線のことは頭から消し、降りる時宜(じぎ)を判断することに集中した。


 鯨舟がぐんぐん近づいてくる。と、二艘目の水夫がゆっくり漕ぎ始めた。

 一艘目が白波をたてて橋の下をあっという間に通っていった。

 二艘目もまもなく橋の下を通る。

 源二郎は欄干に立った。

 (とも)に立つ安藤と最後尾の水夫の間にわずかな空きがある。そこへ降りろということだ。

 失敗は許されない。心の臓が大きく打つ。

 源二郎は大きく深呼吸した。

 二艘目の舳先(へさき)が橋の下を潜り始めたのを見て、ふわりと黒羽織を膨らませて欄干から降りた。

 股関節に膝、足首を柔軟に使って衝撃を和らげ、源二郎は計算どおり、安藤と最後尾の水夫の間の、船幅の真ん中に、ストンと降りた。

 舟は源二郎の降りた衝撃に一瞬舳先が大きく上がったが、ぐらつくことはなく、水夫達はまた大きく激しく漕ぎ始めた。

 拍手と声が聞こえた。

「さすがだねぇ!」

 源二郎は屈んだ状態のまま、顔だけあげて言った。

「安藤さん、こんなことは二度とごめんですよ!」



 鯨舟は、由次達の舟を追いかけた時と同じように、夜の堀をグイグイ遡っていった。すぐに横川に入り、両岸に町屋や武家屋敷が建ち並ぶ中をひたすら北へ進んだ。


 やがて灯りの全くない、大きく真っ暗な空間が見えてきた。小梅村、須崎村、中之郷、三村の入会地だ。その先の小梅村内に時蔵のねぐらがある。まもなく目的地に着く。


 鯨舟に乗っている武士は同心三名と与力一人だが、水夫にも武芸に長けた下っ引きがいる。

 安藤は二艘の水夫、十六人のうち、半分近い六人は戦力になると源二郎に教えた。

 万蔵と勘六、その下っ引きふたりもこちらに向かっている。さらには韋駄天の下っ引きが安藤達に知らせた後は北町奉行所に向かっているはずだった。

 一気に片付けられれば、それに越したことはないが、時間を稼げば応援が来る。

「どうなるかは、今、やつらが何してるか次第だが、おめえの腕前なら、六人くらいどうってこたねぇだろ」

 安藤は源二郎に向かって気楽に言ってきた。


「時蔵一味に手練れはいるのですか?」

「時蔵は若い頃は刃傷沙汰に強かったらしいが、今じゃかなりの年だ。腹心の覚造は時蔵より二十くれぇ若くてかなり使える。あとは雑魚(ざこ)だ。どうってことねぇよ」

「安藤さんと大野さんが援護してくださるのなら、なんとかなりそうですね」

 源二郎は前半を強めに言った。その後で頭に浮かんだことを口にした。

「ひょっとして、覚造は時蔵の息子なんじゃありませんか?」

 すぐに答えが返ってこなかったので、源二郎は振り向いて安藤を見た。

 月が柔らかく照らしている安藤の顔は、驚いている顔だった。

「言われてみりゃ、親子で不思議はねぇな。顔つきは似てねぇようだが。そうかもしれねぇ。親子だからこそ、時蔵は覚造を腹心として使ってるのか……いやぁ、おめぇに言われるまで全く頭になかったよ!間抜けだな、おいら」

 言われるまで頭に浮かばなかったのは、安藤が役人であり、ごく真っ当(まっとう)な親だからだと源二郎は思った。大抵の親は自分自身は悪の道に落ちても、子供には真っ当な道を歩かせたいと思うことだろう。


 作五郎が教えた時蔵達のねぐらは小百姓の家だ。無人の家に入りこんだのてはなく、住んでいた家族、老母と息子を脅して占拠していた。

 息子は時蔵達を怖れて何事もないように毎日田畑へ出掛けているという。そのせいでなかなか時蔵達のねぐらがわからなかったのだ。

 うまい隠れ家を見つけたものである。

 母子は人質にもなる。単純に隠れ家に乗り込むことはできない。

「連中が逃げようとしてくれてた方がやりやすいな」

 安藤が舟をつける場所を探しながら言った。


 二艘の鯨舟を目的の家からは少し離れた川岸に泊めて水夫をそれぞれ四人ずつ残し、月明かりを頼りに源二郎達は川岸から時蔵達がねぐらにしているという百姓家へ向かった。

 案内役なしで夜中にねぐらを突き止めることに不安のあった源二郎だが、作五郎が言ったとおり、いざ行ってみると、迷うことはなかった。

 目印の柿の木を背に平屋がポツンと田んぼの中に立っていた。

 百姓家は大抵家の半分が土間になっている。時蔵達に乗っ取られた家は、土間と板の間二つだけの質素な家で、持ち主の母子は奥の部屋に押し込められているという。

 ということは、戸口から捕り方が入れば、賊の誰かが奥の部屋に入って母子を人質に取るだろう。


 少し離れた所から様子を(うかが)った限りでは、人の気配が多く感じられ、時蔵達は百姓家の入り口側の部屋にいると思われた。灯りが隙間からこぼれているから、まだ起きている。

 長く事務方を勤めてきた中島は、なんとか母子を無事に解放してやりたいと、源二郎達に良い攻め方はないかと尋ねてきた。

「やつらが眠るのを待つのが一番ではないでしょうか。その頃には助手(すけて)がここに着いているでしょうから、こちらは万全の態勢で臨めます」

 大野が最初に口を開いた。

 大野の提案を聞いている間も源二郎はじっと百姓家を見ていた。

 嫌な感じがしていたのだ。うまく言葉にできない、何かを感じていた。


「それがし、家に探りを入れてみます。気になることがあります」

 源二郎はそう言って、忍び足で百姓家に近づいていった。

 小窓から覗かれてもすぐには見つからないよう、慎重に歩を進める。

 百姓家にたどり着くと、壁に張りついて中の気配を窺った。木造だから、中で話している声がよく聞こえる。

「加七と作五郎、遅ぇなぁ」

「あれ?お頭はどこへ行ったんだ?」

 源二郎の背筋に悪寒が走った。

「そういや、いつの間にか覚造もいねぇな」

 源二郎は急いで安藤達の元へ戻ろうとした。その時、中からさらに聞こえた。

「加七達が戻ってきてから開けろって言ってたけどさ、先に飲んじまおうぜ。これしか残ってねぇし」

 源二郎は慄然(りつぜん)とした。時蔵は大坂の時と同じことをしようとしていると。


 源二郎は戸口へ走った。引戸を思い切り開け放った。

「飲むな!飲むんじゃない!毒が入ってるぞ!」

 後ろから安藤達が駆けてくる足音がしていた。

 手前の部屋の入り口にいた町人髷の男が唖然とした顔で源二郎を見た。大徳利を手にしている。

「おそらくその酒には毒が入っている。飲むな!時蔵と覚造は何時いなくなった?」

 源二郎の剣幕に大徳利を持っている男は口をパクパクさせただけで、板の間の奥の方から別の声がした。

「ついさっきまでいたんだ。厠へ行ったんだとばかり……」

 源二郎はすぐに戸口から出た。もう少しで安藤とぶつかるところだった。

 源二郎が時蔵の手下に向かって叫んだ声が聞こえたらしく、安藤はどうした、何があったと質すことはなかった。

「少なくとも、おいら達が来た方へは逃げちゃいねぇ。だとすると、おそらく曳舟川(ひきふねがわ)の方だ。まだそう遠くへは行っちゃいめぇ」

 安藤は後ろに向いて、大野と水夫に命じた。

「手前の部屋にいる連中を縛っておけ!逃がすなよ!」


 源二郎は安藤の言う通り、曳舟川の方へ走り出した。後ろから安藤がついてくる。

 またも時蔵に逃げられてしまうのは、公儀役人としての面目云々もさることながら、何よりも作五郎親子の命が狙われる可能性を残してしまう。

 源二郎はそれが許せなかった。なんとしても捕まえる。その気持ちで畦道を駆けた。

 すぐに川が見えてきた。満月間近の月が川面を美しく照らしている。そして、何かが土手を動いている。

 動いていた何かは二人の人間で、二人の行く手には小舟があった。

 源二郎は静かに駆け続けた。駆けながら、左手で鯉口を切り、いつでも刀を抜ける準備をした。


 曳舟川は幅三間ほど(約5.5メートル)の細く浅い水路である。浅いため、上流へは呼び名のとおり、舟を道から引く必要がある。()を使えるのは下流へ向かう時だけだ。下流へは水の流れで放っておいても進むが、櫓を浅く軽く使えばさらに早く進む。

 源二郎は舟が流れてくる速度を考慮しながら、土手へと走った。


 小舟の二人は一人が櫓を使い、もう一人は舟の中ほどに座った。

 座っている人物が源二郎に気づいたらしく、立ち上がった。櫓を握る男よりも大柄で、年も若く見えた。

 源二郎は走った勢いで土手から、舟というよりも、その男めがけて跳んだ。

 舟上に立つ男が脇差を抜いた。

 小柄な男は櫓を必死に使っている。

 源二郎は放物線の頂点で刀を抜いた。

 舟の上の男が懐から何かを取り出した。匕首だ。

 源二郎の振り下ろす刀を小舟の上の男は脇差で受けた。同時に匕首を突き出してきた。






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