(六) 説得
前日に向かい側の張り番をしていた男に源二郎が確認したところ、石を置きに現れたのは、作五郎ではないということだった。作五郎のような大柄な男は現れず、石を置いたと思われるのは小柄な男だという。道から川岸に降りたということで、船頭かどうかもわからない。
作五郎が頼んだのか、時蔵の指図なのか。ここに潜む第三の男がその男なのか。
源二郎達が川岸の叢に潜んで四半刻近く経った頃、ようやく大柄な男が一人、東から川岸を歩いてきた。
清六がその男を見て駆け寄った。
「お父、ごめん!おはるが重い病気にかかっちまった……三日前においら、ここへ来ようとして、町方の連中を巻かなきゃと思ってあちこち寄り道してたら、迷っちまって店へ帰れず……」
「なんだと?はるの具合はそんなに悪いのか?」
「ずっと高い熱が出てて、昨日から少し上向いてるけど、先生は油断してはいけないって……」
「先生?医者にみせたのか。金は?」
「後からで良いって言ってくれてる。名医って評判の、優しい先生だよ」
「よくそんな良い先生に……まさか……」
源二郎は潮時だと思った。作五郎に清六を責めさせてはならない。立ち上がり、大股に作五郎と清六に近づいた。
近づいてみると、作五郎はこの時代では大柄な方の源二郎よりさらに二寸(約6㎝)くらい背が高く、人足仕事で鍛えたのか、肩幅も広い。時蔵が目をつけるわけだと納得した。
「作五郎、私は北の御番所の同心、榊源二郎だ。おまえに大事な話がある。清六とおはるのために時蔵一味から抜けなさい。抜けて大人しく町方に出頭するんだ。今なら重くても遠島だ。軽ければ、人足寄場行きですむ」
源二郎の姿に作五郎は数歩、後ろへ下がった。
「清六、おめえ……」
「ごめん!約束破ってごめんなさい!!でもおはるが『お父』って呼んだんだ!熱で苦しいなか、『お父』って……それにさ、時蔵ってお頭は平気で手下を殺すって……」
作五郎は清六から源二郎に視線を移した。
源二郎は動かず、落ち着いた声で話しかけた。
「おまえが入っているのは因幡の時蔵一味だろう?因幡の時蔵は長く上方で暴れていた男だ。次から次へと手下を変えながら、だ」
作五郎もまた動かなかった。
「ある時、大坂の奉行所が時蔵のねぐらを見つけて乗り込んだら、六人の手下が毒殺されていた。時蔵と腹心の二人だけが逃げていた。あいつはそういう奴だ。おまえは遅かれ早かれ、殺される。それで良いのか?」
作五郎が拳を握った。
「おまえがどういう誘いを受けたかも見当はついている。なめくじ長屋を出ておふでという女と所帯を持つつもりで大金がいると思っていたのだろう。だが、おふでは時蔵の唯一の腹心、覚造の女だ。おふでがおまえに言いよったのは、おまえをたぶらかして仲間に引き入れるための策略だ。他にも同じような手に引っ掛かりかけた男がいる」
作五郎の顔つきの変わったのが、月明かりの下でも源二郎にわかった。この時まで作五郎はふでが言ったことを信じていたのだ。
「う、嘘だ……」
作五郎の呟くような声が聞こえた。
「残念ながら、本当のことだ。三月前に六尺(駕籠かき)の米吉が溺死したのだが、死ぬ前におふでのことを仲間に打ち明けていた。どうやら時蔵一味の誘いを断ったために、殺されたようなのだ。おふでがおまえに誘いをかけたのは、米吉が死んでからだ」
「嘘だ……」
「信じられねぇなら、こっそりおふでの家を見張るといい。そのうち覚造が現れる」
勘六親分の声だった。二人潜んでいたうちの一人が勘六親分だったことに源二郎は驚いた。
「俺は長く香具師の元締めと町方の御用聞きをしてるんで、かなりの悪党を見聞してきたが、時蔵の奴ぁ、その中でも片手に入るくれぇの、下衆のあくどい野郎だ」
「お、おいらが裏切ったら、子供の命はねえって言われてるんだ!」
作五郎の叫びに勘六が凄みのある声を出した。
「そいつがなによりあくどいってことの証しじゃねぇか!」
作五郎の身体がびくついた。
「おめぇの子を守るのに一番良い手は、俺たちに時蔵の居所を教えることだ。町方が一味を全員取っ捕まえることだ」
作五郎は傍にいる清六を見た。
「お父、おはるに会っておくれよ!」
作五郎は動かない。頭の中では色々なことを考えているのだろう。
その時、源二郎は殺気を感じた。
「みんな、伏せろ!早く!」
とっさに源二郎は「みんな」と叫んだ。おそらく狙いは作五郎だと思ったが、相手の腕が大したことなければ、誰にとばっちりがいくかわからない。
源二郎の緊迫した声に、全員が一斉に叢にしゃがんだ。
直後に何かが空を横切った。
源二郎は空気を裂いた感じから、矢だと思った。
出所に向かって小束(小刀)をしゃがんだ姿勢から、渾身の力で投げる。下半身の力を使えない分弱くなったが、手応えはあった。
「ウッ」という短い呻きが聞こえた。
源二郎よりも矢の出所の近くにいた万蔵と勘六が姿勢低く、そちらへ行こうとしている。
「待て!」と一声かけ、源二郎は立ち上がると前傾姿勢で駆けた。右手には十手を握っている。
第二の矢が飛んでくるのを気配で察して十手で弾き、源二郎はあっという間に相手に接近した。弓を持つ手を十手で打つ。間をおかず、左手で相手の片腕を後ろに回しながら十手を首筋に突きつけ、膝を使って地面にうつぶせに押さえ込んだ。
弓を構えていたのは、町人髷の小柄な男だった。
「因幡の時蔵の手下だな?名前を言え!」
万蔵が縄を手に源二郎の視界に入ってきた。
「旦那、あっしが縛りやす」
「加七……おめぇがここにいるとは……」
作五郎の動揺している声が聞こえた。
加七と呼ばれた男は作五郎の方を見なかった。
「お頭の指図か……」
作五郎は呻くように言った。動揺している作五郎をさらに追いこむように勘六は告げた。
「こいつが先回りしてここに潜んでたのを知らなかったようだな。これでわかったろう、時蔵って奴の性根が」
勘六親分の言葉に源二郎は重みを感じた。これまでに多くの悪党を見てきた知見が裏打ちしているからだ。作五郎の説得は勘六親分に任せようと思った。
作五郎は頭を抱えた。清六が心配そうにその顔を見上げる。
絞り出すような声が聞こえた。
「あれが全部嘘だったなんて、信じられねぇ……それに、おいらが惚れたから、だけじゃねぇ……おふでと所帯持つことは清六とおはるのためにも良いと思ったんだ……」
説得は勘六親分に任せようと思った源二郎だったが、作五郎の言葉に言わずにいられなくなった。
「本当に清六とおはるのためになることは、おふでと一緒になることじゃない。出頭し、時蔵のねぐらを俺たちに教えることだ。清六とおはるは守る。俺が必ず守る。そのためにも時蔵達を逃がしはしない。必ず捕まえる」
作五郎は頭を抱えたまま動かない。
「清六もおはるも気持ちの優しい子だ。それはおまえが二人を大切に育ててきたからだ。おまえが良い父親だという証しだ。そんなおまえなら、本当に二人のためになることが何かはわかるはずだ」
源二郎は気持ちがたかぶってくるのを押さえられなかった。
「頼む!おはるのためにも御番所(奉行所)へ出頭してくれ!このままおまえが殺されたり、死罪になったら、まだ四歳のおはるはどうなる?あの子に約束したのだろう?必ず戻ってくるから良い子にしていろと。違うか?あの子をこれ以上辛い目に遭わせないでくれ!頼む!あの子の将来のためにもここで仕切り直すんだ。今ならやり直せる!」
作五郎が顔をあげた。
「なんで、旦那はおはるのことをそんなに……」
源二郎は一瞬迷った。だが、人を説得するには、こちらも心を開かなければいけない。剣術の師匠だけでなく、亡き父も青井真右衛門も言っていたことだ。
「俺と同じように、生まれてすぐに母親を亡くしているからかもしれない。そのうえ心はきれいだ。きれいで、思いやりがある。俺は……俺は感動したんだ。あの子が見せた俺への思いやりと気遣いに……俺も母親の顔を知らず、育ててくれた人もとうに亡くなってると聞いた時にあの子が言った言葉と行動に……」
そこで源二郎は一息ついた。
「あの子は大事そうに懐から御守りを出して、こう言った。これはお父からもらった御守りだ、持ってると良いことがあるって……。そのあとになんと言ったと思う?『あたいはおとうとあんちゃんがいるから、寂しくないの。だから、あげる』そう言って、俺にその御守りを渡そうとしたんだ。二月近くもおまえはおはるに姿を見せていないのに、おはるはおまえが戻ってくると信じて待っていたんだ!今も待ってるんだ!そんな子をおまえは裏切るのか?裏切っていいのか?」
途中から源二郎は涙ぐんでいた。
作五郎がまた手で顔を覆った。嗚咽が聞こえてきた。
清六も父親を見上げながら、顔を拭った。
勘六親分が作五郎に近づき、その肩に手を置いた。
「良い娘じゃねえか。清六もしっかりした、おめぇにもったいねぇ良い息子だ。おめぇは簡単に手に入れられねぇものを二つも手に入れてる。どんなに金を積んだって手に入らねぇもんだ。大事にしねぇといけねぇ。何よりも大切にしねぇといけねぇよ」
勘六親分の穏やかで優しい声が、大きな声ではなかったのに、源二郎は川原に大きく広がり、場の雰囲気をガラリと変えたように感じた。
作五郎がついに時蔵のねぐらを教えた。小梅村の中の、橫川が源森川と名を変える辺りにある百姓家だった。
源二郎はすぐにそのねぐらに向かう必要があると思った。昨日からの動きと大坂での顛末からして、時蔵はもう逃げる算段をつけている可能性が高いのだ。
賊の人数は作五郎と加七、船頭として作五郎を舟に乗せてきた三四郎のほかに六人いるという。
源二郎は万蔵、勘六の下っ引き一人と先行し、勘六親分には安藤への繋ぎを頼もうと考えた。
すると、勘六が下っ引きに指図し、走らせてからいった。
「安藤の旦那は、鯨舟で近くに控えておられるはずです。あいつを知らせに走らせやした。足の早さは天下一品なんで。舟はすぐにここへやって来やすよ」
源二郎は嬉しい驚きにすぐには言葉が出なかった。
「それで、その……舟を河岸に泊める間がねぇから、榊の旦那には橋の上から二艘めの舟の、後ろの方の真ん中に飛び下りてくれと……舟がひっくり返らねぇように……」
勘六親分が言いにくそうに続けて言い、源二郎は苦笑いが出た。
「安藤さんは俺のことを買いかぶり過ぎてる。今度会ったら、そう言っておいてくれ」
下っ引きについていったら、そこで舟に乗れるのではないかと思ったが、足の早い下っ引きの姿はあっという間に見えなくなっていた。
この土壇場では安藤の指図に従うしかない。
本所方が持っている鯨船は小さい曳舟である。舟に飛びおり損ねたら、泳いで追いつくしかない。
一番怖いのは舟をひっくり返してしまうことだ。それだけはなんとしても避けたい。




