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小春風  作者: 空木弓
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(四) 父との約束

 

 みのとの出会いは、由次達捕縛のための探索だった。しかも、みのとその娘、きえを助けたことが源二郎の兄、恭一郎(きょういちろう)が賊に殺害された原因だった。

 さらにその兄を斬った賊は、源二郎が短い間にも兄と慕うような知己(ちき)だった。

 そうした事実が判明するたびに、なんという因果かと源二郎は己の運命を呪ったものである。


 みのは十日前に、男の子を産んだ。その後、赤子は順調だが、みの自身の産後の体調が思わしくないという話が聞こえてきて、源二郎は血の気の引く思いをした。自分が関わりを持ったのが悪かったのではないかと考えてしまった。五日前に持ち直したと万蔵から立ち話で聞いたときには、安堵のあまり座り込みそうになったくらいである。

 赤子は「源太(げんた)」と名付けられた。清水屋の夫婦としては源二郎から一字もらってつけたのだろうが、皮肉にも、字も読みも、源二郎と短い付き合いにも深い絆を培ったが、実は兄の敵であり、由次の仲間だった白井般右衛門(しらいはんえもん)の幼名と同じだった。そこにも源二郎は因縁を感じた。


 みのも自分を好いてくれている。二人はいつの間にか相思相愛になっていた。

 しかし、みのは人妻である。みのに惚れて結婚を申し込んできた今の夫の人柄はすこぶる良い。賊に殺害された先の旦那との子供であるきえを実の娘のように可愛がっている。

 これでは真面目な性格の源二郎とみのは気持ちを抑えるしかない。

 会いたい気持ちはもちろんある。だが実際に会えば辛くなるに違いない。

 それに源二郎は自身を不器用なうえに不運を背負っているように感じているから、大事に思う人、会いたい人ほど、会うのをためらう。

 みののことは忘れるしかないのだ。

 しかし、人の気持ちはそう簡単に変えられない。となると、愛しく思う気持ちが消えるまで、近づいてはいけない。

 そんな気持ちと考えから、源二郎は由次一味を捕らえて以降は、贈り物を何度か万蔵に届けさせただけで、自身は清水屋に近づくことすらしていない。

 しかし、どうやらみのの方は源二郎の様子を万蔵や真乃から聞いているらしい。



 はるは溶き卵汁のような重湯(粥)をほとんど食べなかった。無理やり食べさせてももどしてしまうと、源二郎は水分を取らせるために、なんとか五滴、匙から口に落としただけで諦めた。

 そんなはるを見ていたら、源二郎の食欲も湧かなかったが、自分はしっかりしなければいけないし、清水屋の、おそらくみのの、心遣いを無駄にしないためにもと、卵粥を食べるというより飲みきった。


 食事を終えた頃に現れた万蔵に、源二郎は余計なことをみのや清水屋の人々に言うなと釘をさした。

「少なくとも今日のことはあっしが喋ったんじゃありやせんぜ。血相変えて幼な児抱えて町中を走ってた旦那が目立ってたからでやすよ」

 そう言われると、確かに目立っていたろうなと思った源二郎である。

「清六はどうした?」

「それがでやすね……どうも昨夜(ゆうべ)出かけた折に、張り番の貞次郎につけられてると気づいて、巻こうとして迷子になっちまったらしいんで」

「どこにいるかわからないのか?」

「さっき見つかりやした。もうすぐここへ連れてこられるはずでやす」


 清六が血相を変えて舟庵の診療所に現れたのは、それから四半刻ほど経った頃だった。源二郎は自分がやって来たときもこんな感じだったのだろうかと、このときになって少々恥ずかしさを覚えた。

 しかし、それも一瞬のことで、清六が濡れ縁から部屋に駆け上がるように入ってきた時には、思わず怒鳴っていた。

「おはるを一人残してどこへ行っていた!ちゃんと面倒見ると言ったのはおまえだぞ!もう少しで取り返しのつかないことになるところだったんだ!」


 紅潮していた清六の顔が一気に青ざめていった。

 源二郎は、はるが寒くないように布団で肩まで覆うようにして、上半身を起こした。

 いつもならすぐに口答えする清六が、源二郎の胸元に見えるはるを見つめながら、恐る恐るという様子で言った。

「は、はるは、おはるは大丈夫か?」

「今、おはるは病魔と戦っている。俺たちにできることは、おはるが少しでも楽になるよう気を配ってやることだけだ」

 そこへ万蔵も現れた。

「旦那、あっしが代わりやすよ。旦那にはお役目があるんだから」

 清六がやっと顔を上げて源二郎を見た。

「おいらが添い寝する。おいらの妹なんだから。これ以上、あんたには世話かけねぇ」

 ゴンと万蔵の拳骨が清六の頭に落ちた。


「『あんた』たぁなんだ!『榊様』だろうが!榊の旦那がいなけりゃ、今頃おはるは冷たくなってたかもしれねぇんだぞ!しかもよ、これ以上世話かけねぇなんて、できもしねぇこと言いやがって!」

 清六は頭を抱えて踞った。万蔵はあまり手加減しなかったらしい。

 万蔵の怒る様子に源二郎の怒りは冷めた。

 自分にもたれているはるを見た。苦しそうな息をしている。

 代われるものなら、代わってやりたい。源二郎は本気でそう思った。

「おとう……」

 はるが呟いた。


 源二郎はいたたまれない気持ちになり、清六の顔を見た。

「聞こえたろう?親父は、作五郎はどこにいる?」

 清六ははるを見つめたまま、答えなかった。

「居所を知っているんだろう?」

 清六は激しく首を横に振った。

「こっちから繋ぎは取れねぇんだ。あるところへ行って、そこに印があれば、次の日に会える」

「その、印があるのは何処だ?」

 清六は答えなかった。


「おはるもお父も大事だろう?ならば、教えるんだ。今を逃したら、おはるもお父も、おまえの前から永遠にいなくなるかもしれないぞ。お父が加わっている賊のことは知っているのか?」

 清六は身動きしなかった。

「町方の調べで、因幡の時蔵とわかった。そいつは気にいらなけりゃ、足手まといになると思えば、手下を平気で殺す奴だ。おまえのお父は悪人じゃない。うまく誘いをかけられ、乗ってしまったんだ。だからこそ、危ない。わかってくれ、清六」

 清六は動かなかった。

 源二郎が何度か「お父」と言ったからだろうか。はるがまた「おとう……」と呟いた。

 源二郎はたまらず「もうすぐお父に会えるからな」とはるに声をかけ、頭を優しく撫でた。


「因幡の時蔵って奴は、そんなにひどい奴なのかい?」

 清六が呟くように言った。

 それに答えたのは、万蔵だった。

「ああ、ひでぇ奴だよ。上方で長く押込みをやってたんだが、押し込んだ家に奴の手下と思われる骸がちょいちょい残ってたんだ。一度、捕り方がねぐらに乗り込んだら、そん時の手下のほとんどが毒飲まされて死んでたとさ。おめぇの親父なんざ、このまま時蔵の下にいたら、遅かれ早かれ殺される。町方に捕まった方が生き延びられる」

 清六はそれからも暫く黙り込んだ。

 源二郎は清六の心の葛藤を見守った。


 暫くして顔を上げた清六が言った。

「本当に町方に捕まっても死罪にはならねぇんだな?」

 万蔵がまたゴンと清六の頭に拳骨を落とした。

「おめぇ、何べん言ったら、わかるんでい!旦那にそんな口のきき方があるか!」

「いってぇ」と清六がまた頭を抱えた。

「万蔵、俺は気にしていないから、いちいち目くじらたてるな」

 源二郎はそこで万蔵から清六に視線を戻し、続けた。

「前にも言ったように、今なら重くて遠島、軽ければ人足寄場だ。どちら寄りになるかは作五郎がどれだけ時蔵の下で動いたかによるが、時蔵捕縛を手伝えば、刑は軽くなる。例えば、人足寄場に二年から三年いるところが一年になったりする」

 そう答えた源二郎の顔をじっと見ていた清六がうつむいた。

 源二郎が黙って見守っていると、雫が落ちた。

 清六はあわてて袖で顔を拭いた。顔は上げずに言った。

「お父に約束したんだ。誰にも言わねぇって」

「世の中には絶対に守らなければいけない約束と、時として守らない方が良い約束がある。どちらが本当にお父のためになるか、よく考えてみろ。お父だけじゃない。おはるのためにも、だ」

 しばらく清六はこぼれる涙を袖で拭い続けた。



 泣き顔で清六が教えたのは、 仙台堀にかかる海辺橋(うみべばし)の南の袂だった。西の万年町側ではなく、東側の寺の前になる方だ。その辺りは河岸になっておらず、草が生い茂る川岸である。

 昨日はそろそろ印が置かれる頃だと、その場所へ向かおうとしてつけられていることに気付き、巻こうとして訳がわからなくなり、結局行けなかったという。ちゃっかり者の清六は、外泊しているとみえた男の一人住まいの長屋の店にこっそり入り、布団を勝手に拝借して夜を明かしていた。


 清六は父親とこの二月の間に三度会って小金をもらっていた。十日から十五日に一回という頻度になる。

 今は小金しか渡せないが、もう少ししたら、大金が手に入ると、作五郎は清六に話していた。


 手下には、怪しまれないために大金を直後には渡せないと言っているのだろうが、時蔵に本当に分け前を与える気があるか、怪しいと源二郎は思った。これまでに何度か手下を殺してきたのは、盗んだ金を分ける相手を減らす目的もあったと思うのだ。そして、その結果、裏の世界に時蔵の手下になるような男はいなくなり、作五郎のような素人を仲間に引き入れざるをえなかったのだろう。


 一度は小舟に乗って近づいてきたが、あとの二回は、清六が川岸で待っていると、父親は後ろから声をかけてきたという。

 小舟で近づいてきたときには東からやって来たと清六は思ったが、暗くてすぐ近くにくるまで気づかなかったから、確かではない。

 深川という水路の多い場所柄、作五郎が舟を使っているのは間違いないが、どの方向からやって来ているか、知られないようにしているのだ。


 まずは万蔵が清六に案内させて場所を確かめに行った。翌日に会えるという印、赤い印が描かれた石はなかった。

 源二郎ははるの看病を清六と代わる形で、その場所の近くまで万蔵の案内で行き、目立たないよう遠くから確かめた。


 源二郎はなんとしてもはるを父親と会わせたかった。父親の顔を見れば、はるは病に打ち勝ってすぐに元気になる気がするのだ。

 楽観的すぎるかもしれない。だが、やれることはなんでもやってやりたい。源二郎はそんな気持ちだった。


 この辺りをこっそり見張れる場所はないかと、源二郎は辺りを見回した。橋から東は寺の前だ。少し離れるが、向かいの西平野町から見張るのが良いと思えた。

 町方にひそかに協力してくれる家を探さなければいけない。その件は、勘六親分に頼むのが良いと思えた。

 源二郎はすぐに見張りを手配するべく動いた。

 このときも安藤が快く勘六とその下っ引きに指図すれば良いと言ってくれた。


 手配を済ませると、源二郎は舟庵の診療所へ戻った。

 清六が添い寝していたが、まだ十歳の清六はすっかり寝入り、はるを抱えるというより半分下敷きにしていた。

 ――夜は俺が添い寝した方がよさそうだな……







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