(三) 因幡の時蔵
「間違いないのか?」
源二郎は念を押さずにいられなかった。
「勘六親分が下っ引きや横からのいろんな話からそうとしか考えられねぇと言いやした。時蔵を見たって奴はいねぇんですが、腹心の覚造は本所と深川で何度か見られてやす。それと、この前の二人の骸から、まず覚造が下手人だろうと……で、旦那にも伝えろと……」
深川という新開地で長く香具師の元締めとして生きてきて、裏の世界にもそれなりに顔のきく勘六親分が、慎重に確認した結果ということだ。間違いないだろう。
作五郎の身が危ない。
因幡の時蔵とは、三年ほど前まで京の都を中心に暴れていた賊だ。通り名は因幡*出身だからだという。
因幡の時蔵の悪どいところは、自分に差し障りがあるとなれば、押込み先の人間はもちろん、手下も殺してきたことだ。
時蔵達のねぐらを突き止めた大坂町奉行所が乗り込んだら、六人の手下が毒殺されていたのだ。時蔵と覚造の姿はなかった。
そうした上方の事例から、二件目で引き込み役と思われる男が殺されていたと聞いて、例繰方**の重鎮、祖父江が可能性のある賊の一人として因幡の時蔵をあげていた。
しばらく成りを潜めていたが、とうとう江戸へ下ってきたらしい。
もしも作五郎の面が町方に割れていることを知ったら、時蔵は作五郎をためらうことなく殺すだろう。
源二郎はこれまでの作五郎に関する町方の動きが時蔵に知られていないことを切に願った。
清六の替えももうすぐ繕い終わるという頃に清六がなめくじ長屋へ戻ってきた。
引き戸を開けてすぐ源二郎が店に居ることに気づいた清六は、露骨に嫌な顔を見せた。
はるが笑顔で「おかえり~、あんちゃん!」と上がり框へ駆け寄ったのを抱き止め、「なんであいつがいるんだ?」と尋ねる小声が源二郎に聞こえた。
「あんちゃんとあたいのまえのきものをぬってくれてるの。おひでおばあちゃんよりずうっとじょうずだよ。みててたのしい」
源二郎は最後の「みててたのしい」に驚いた。好きこそなんとやら、である。縫い方を教えたら、はるはあっという間にうまくなるかもしれない。仕立てで身を立てていくことができるかもしれない。とはいえ、針を持たせるのはもう少し大きくなってからでないと危ない。
そんなことを考えていたら、裁縫が大嫌いな真乃の顔が浮かんだ。
「おせっかいな野郎だな」
清六の声が聞こえた。
「おやくにしゃまは、いいひとだよ。それにおっかさんがふたりも死んじゃってるの。かわいそうだよ」
源二郎は慌てた。もう少しで針で手をつくところだった。嘘は言っていないが、言葉が足らなすぎる。案の定、清六が面食らっていた。
「産みの母も育ての母もとうに亡くなったというだけのことだ」
源二郎は縫う手を止めず、清六に向かって言った。
沈黙が起こった。
源二郎が兄妹の方を向くと、清六の上がり框に腰かけている後ろ姿が見えた。俯いていた。
はるはというと、用は済んだとばかりに上がり框から源二郎の傍へ戻ってきた。
「清六、ちゃんと妹の面倒をみろ。もうすぐ縫い終わるから、おはるを外で遊ばせてこい。家の中ばかりにいてはいかんだろう」
清六は顔を上げると不服そうにはるを引きずりぎみに土間へ降ろし、手を握って外へ連れ出した。
源二郎は縫い終えた二つの着物を箪笥にしまい、店の外へ出た。
はるはまた小枝で地面に落書きしている。それを清六は地べたに座り込んで眺めていた。
「店に戻ってもいいぞ。戻りたいならな。縫い直した替えは、箪笥の一番下の段にしまってある」
源二郎はそんな声をかけただけで、二人の横を通りすぎるつもりでいた。ところが、清六がガバと立ち上がった。
「旦那はおっかさんがいないのかい?」
源二郎は淡々と答えた。
「いないよ。産みの母は俺を産んですぐに死んでしまった。育ててくれた人が亡くなったのは十一の時だから、よく覚えている」
「兄弟はいるのかい?」
「姉は今も元気だが、兄は死んだ」
「病気?」
「……いや。これからどんどん朝晩冷え込むぞ。風邪をひかないように気を付けろ。おはるをちゃんと守れよ」
「余計なお世話だ。言われなくたってやるさ。たった一人の妹なんだから」
その翌日、源二郎はなめくじ長屋には行かず、時蔵一味の動きを探る聞き込みに携わった。
前日とこの日の聞き込みで、作五郎が時蔵の 一味に加わった理由が判明していた。
作五郎は永代寺門前の水茶屋で働くふでという女に惚れこみ、女の借金を返して四人で新しい暮らしを始めるため、なめくじ長屋を出てもっと良い店を借りて所帯を持つために、大金が必要になったのだ。問題は、そのふでである。
いつもは穏やかな顔つきの勘六が、渋い顔つきで源二郎達に教えた。
「おふでは親の借金を背負った可哀想な女じゃありやせん。時蔵一味の二番手、時蔵が唯一信頼してると言っていい、覚造の女なんですよ。作五郎はハメられたんだ」
そんな風に騙して仲間に入れたとなると、ますます用済みになれば、片付けられる可能性が高い。
源二郎は一刻も早く作五郎の目を覚まさせなければいけないと思ったが、同時にどうしたらふでのことを作五郎にわからせることができるのか、良い方法が思い浮かばなかった。迂闊なことをいえば、火に油を注ぎかねない。安藤や勘六親分の知恵を借りるのがよさそうだった。
夜になると一気に冷え込み、源二郎は湯湯婆をその冬に初めて使った。
湯湯婆の用意をしながら、清六はちゃんとはるの面倒を見ているだろうかと考えた。替えの着物を重ね着し、二人の布団を重ねて一つ布団にして二人で暖めあっているだろうかと考えた。今夜一晩ならば、それで凌げるだろう。
しかし、これからどんどん寒くなる。早く袷に綿を入れて、綿入れにしないといけない。
親がいれば、あるいは親代わりの大人がいれば、きちんと対応できることだが、今のなめくじ長屋に頼りになりそうな住人はいない。
それまで頼りにしていた、隣に住んでいたひでは、五日前から行方しれずになっているのだ。目は悪く、耳は遠くなっていたから、どこかで堀に落ちたのではないかと思われるが、亡骸は見つかっていない。
金もあまり持っていない十歳と四歳である。
そんなことを考えていると、源二郎はなかなか寝つけなかった。
大丈夫だろうと思いながらも、そう自分に言い聞かせようとしても、確かめるまでは落ち着かないと、源二郎は奉行所での会合が終わると、すぐに黒羽織を脱いで深川へ向かった。
源二郎がなめくじ長屋に着いたのは、昼近くだったが、日当たりの悪い長屋は一段と寒かった。
源二郎は「おはる」と呼びながら、奥から二つ目の引き戸を開けた。
薄暗い中に丸みのある掻巻が見えた。
くしゅんとかわいらしいくしゃみの音がした。
「おはるか?清六は?あんちゃんはどうした?」
嫌な予感に源二郎は上がり框に飛び上がり、布団に二歩で近づいた。
掻巻の膨らみからして、はるは頭から掻巻を被り、丸くなっている。
「おはる、大丈夫か?」
源二郎は薄目の掻巻をそっとめくった。
はるがいつもの着物の上に源二郎が縫い直した替えを打掛のように着て猫のように丸まって震えていた。
袷二枚にこの掻巻一枚では昨夜から今朝の寒さは凌げなかっただろう。
清六の掻巻と重ねていればかなり違っただろうに、はるは自分の掻巻しか被っていなかった。
源二郎は思わず掻巻を退けてはるを抱えた。額にさわると驚くほど熱かった。身体も熱い。なのに、いや、だからこそ、震えている。
「おはる、おはる!しっかりしろ!」
源二郎ははるを胸元に抱えながら、妙に冷たい手を擦った。
「清六は夕べ戻ってこなかったのか?」
はるに答える元気はなかった。ガタガタ震えている。
思わず口をついて出たが、聞く必要のない問いだった。はるは清六を待っていたのに、帰ってこなかった。だから、自分の掻巻だけにくるまっていたのだ。
――清六の馬鹿者!なんでよりによって……
心の中で清六を罵りながら、源二郎は自身の着物の合わせを大きくゆるめた。はるをそこへ入れてあわせなおし、両腕で落ちないように支えた。自身の体温で暖めるのだ。
丸まっているはるは小さく軽かった。
その格好で店を出ると、源二郎は駆け出した。堀江町にいる名医の舟庵に診てもらうのだ。
不思議な格好だが、源二郎は気にしなかった。途中で万蔵が視界に入っても、源二郎は声をかける余裕もなく、走り続けた。
――頑張れよ、おはる。
万蔵がついてくるのはわかった。
――このま死んでしまったら……そんなのあんまりだ!こんな優しい子が!
この時代、風邪は、特に子供が罹れば、決して軽い病ではない。肺炎を起こせばかなりの確率で死んでしまう。
ふっと頭に自分が関わったのがはるの不幸を呼んだのだろうかという考えが過った。
そんなことを考えている場合ではない。そもそも父親の盗賊への仲間入りが招いたことだ。源二郎は、余計なことは考えるなと自分に言いきかせた。
――神様、おはるを助けてください!お願いです!
日頃は信心深くない源二郎が、いつのまにか必死に心の中で神仏に祈っていた。
舟庵の診療所に着くと、由次一味の探索絡みで顔馴染みになってしまった受付の藤吉が、源二郎の顔色と懐から覗く幼な児の様子に、すぐに舟庵に取り次いでくれた。
源二郎は診察室に置かれた縁台に懐からそっとはるを出して寝かせた。はるは源二郎から離れるのを嫌がった。懐にいた間暖かかったからだ。少しは自分が役立ったと源二郎が安堵した瞬間でもあった。
診察室は火鉢が置かれていて、源二郎にはかなり暖かった。しかし、はるは震えている。
舟庵は源二郎に年齢を尋ねてから、はるの身体を診た。
「高熱が出ておるな……問題は、この子が痩せ細っていることだ。病魔をやっつけるには体力がいる」
「先生、なんとか助けてください!お願いします!俺にできることがあるなら、なんでもしますから!」
源二郎の必死の様子に舟庵は驚いていたが、余計なことは言わず、助手に指示を出して薬湯を作らせた。
「お主の方は体力も戻っておるようだし、ここへ来たときのように添い寝して温めてあげなさい」
案内された三畳の板の間には一畳の畳が二枚置かれ、それぞれに布団が一組敷かれていた。他に患者はおらず、源二郎はその一つにはるを寝かせ、自身も襦袢で横になった。
万蔵の気配を濡れ縁の向こうに感じていた源二郎は、振り向かずに言った。
「万蔵、なめくじ長屋に戻って清六を待ってろ。清六が戻ってきたら、ここへ連れてこい」
「へい!すぐに戻りやす!」
はるは暖かいものに引き付けられるように、源二郎にくっついてきた。
源二郎は横向きになって優しくはるを抱えた。
やがて少しずつはるの震えがおさまってきた。
頭に虱がいるのに気づいて、源二郎は虱退治を始めた。
はるは放っておいても源二郎にくっついている。震えは少なくなってきた。
源二郎は心の底からほっとした。
虱を一匹か二匹潰しては枕元に置かれた布で手を拭く。
しばらくして、助手の俊介がお盆に椀と丼を載せて現れた。
「卵粥です」
源二郎は弱々しい力でしがみつこうとしているはるを片手で抱えながら、そっと上体を起こした。
椀には重湯に近い粥が、丼にはしっかり米粒が残っている粥が入っていた。どちらにも卵がたっぷり入っている。
この時代、卵は一個四文(300年後の100~150円)と安くはない。
「心遣いはありがたいが、おはるはともかく、それがしにまで卵粥を賄っていただく必要はござらん」
恐縮して源二郎がそう言うと、俊介は笑顔になった。
「瀬戸物町の清水屋が卵をくれたのです。榊様と連れの子供に食べさせてほしいと」
源二郎は俊介の答えに唖然とした。
瀬戸物町の清水屋は卵煎餅を売っている商家だ。そこの内儀である、みのの顔が源二郎の頭に浮かんだ。
今では源二郎ははっきり自覚している。自分はみのに心底惚れていると。
* 因幡: 現在の鳥取県東部。
** 例繰方: 一言でいうと、奉行所内書庫の管理と過去の判例確認をしている部署。




