(二) おはる
由次に率いられた盗賊を捕縛しても、町方にほっとする暇はなかった。大きな押込みが二件、立て続けに起こったのだ。
押込みの手口から二件は全く違う賊の仕業で、よく似た手口での押込みは、どちらも今年に入って二件目だった。
一組は場合によっては殺しも辞さない賊で、二件とも殺害された人物が二人いた。しかも春に起こった押込みで殺されていた一人は引き込み役と思われた。つまり仲間を殺したのだ。
もう一組は押込み先の家人を薬で眠らせ、刃傷沙汰無しに金をいただく賊である。
当然、奉行所は探索に力を入れる。
ところが殺しを辞さない賊は、町方を嘲笑うかのように、十日を置かず三件目の押込みをやってのけた。
しかし、その押込みで賊の一人の面が割れた。逃げるところを見かけた夜回りに見覚えのある男だったのだ。前に深川に住んでいた頃に見かけた、振売りの男によく似ていたという。
夜回りの記憶を元に町方が調べたところ、該当したのが清六とはるの父親、作五郎だった。
町方はすぐに作五郎の住み処を見張ることにした。近所で聞き込んだ親子の様子から、作五郎が幼い子供二人をいつまでも放ってはおかない、近日中に二人の前に現れると考えてのことだ。
二件目の押込みが北本所だったこと、三件目の浅草での押込みのあとに賊は東の方へ逃げたという目撃談に作五郎の住み処から、本所方(本所・深川見廻り)の協力を得て、与力の小松鹿之助が探索の指揮を取っている。
源二郎は聞き込みやいざというときの捕り方の助手として探索の組に加えられた。
作五郎と幼い兄妹のこれまでを聞いた時から、源二郎は難しい捕縛になると感じていた。
満三十才という作五郎は、根っからの悪人ではないからだ。女房を四年前に亡くしてからは、隣に住むひでという老婆に助けてもらいながら、日雇いや振売りで清六とはるを育ててきた。人柄はいたって穏やかで、近所で子供と仲良く歩いている姿をよく見かけられている。子供二人は父親によく懐いているというのだ。
予想どおり、最初に清六に接触した下っ引きは、父親を捕まえに来た奴に誰が言うもんかと敵視された。
源二郎は兄妹のために今のうちになんとしても作五郎を捕まえたかった。清六に言ったとおり、今なら死罪にはならないからだ。
しかし、そんな源二郎の気持ちを清六が簡単に信じるとは思えない。それでも、言い続けるしかないと思っていた。このまま盗賊に加わっていては、身の破滅なのだ。清六兄妹にも悪影響を及ぼす。
縫い終わる頃に万蔵が戻ってきた。
源二郎は縫い終えた着物を清六に向かってふわりと放った。
「袖以外の縫い目は粗いから、丁寧に着ろ」
ふん、と清六は不機嫌な顔つきのまま、着物を手にとり、検分するように縫い目を見た。途端に信じられないものを見たかのように、端から端まで見直した。顔を上げて源二郎を見たその目は大きく見開かれていた。
源二郎は一仕事終えた気分で万蔵が買ってきた団子を口に入れた。
その前に、近くに座ったままのはるには、串から団子を抜いて団子をくるんでいた笹の葉の上に置いた。あわてて食べて串で口の中や喉をついてはいけないと思ったのだ。
源二郎の気遣いは正しかった。はるは驚きの早さと勢いで団子を食べ、途中でむせた。それだけ腹が減っていたのだ。
源二郎は団子を食べ終えると、万蔵に井戸端でまずは釜と鍋を洗い、米を研いでくるよう言いつけた。
薪は富三に用意させ、源二郎は青菜の入った味噌汁を作るため狭い台所に立った。
一本しかない包丁は長く研いでいないようだったが、良くも悪くも源二郎は切るコツを知っている。トントンと小気味の良い音を立てて青菜を刻んでいった。
人の気配に斜め下を見ると、またもはるがいた。
「危ないから、あっちに行ってるんだ。それに、あがり框からの方が、俺がやってることが良く見えるぞ」
源二郎ははるを土間から抱え上げて上がり框に下ろした。
清六はどうしたと、先ほどまで掻巻にくるまっていた部屋の奥を見たら、源二郎が縫い直した着物を着て不機嫌な顔つきでなにやら考え込んでいる風である。
「ちゃんと妹の守りをしていろ。もうすぐ火を使うからな」
清六は驚いた顔で源二郎を見た。
ちょうどその時、万蔵が井戸端から洗った釜に研いだ米を水に浸して戻ってきた。源二郎は水の量を確認し、竈へ置くよう指図した。
それから四半刻(約三十分)近く経った頃に富三が薪と種火を持って現れた。源二郎が何も言わずとも、竈に薪を入れ、火をつけた。
夜と翌朝食べられる分の飯を炊き、味噌汁を作って源二郎は作五郎の店を出た。
清六は相変わらず不機嫌な風を装って不味そうに食べていたが、はるは味噌汁の椀と飯の椀を交互に抱えるようにして、一心不乱に食べていたのが源二郎にはほほえましかった。
「旦那、優しすぎやすよ。清六のヤツ、つけ上がりやすぜ」
万蔵が不服そうに言ってきた。
源二郎は答えなかった。頭では探索のことを考えていた。自分が清六と接触したのは不味かったかもしれないと。
源二郎が清六をつけたのは、たまたま見かけたからだった。気になってこっそり様子をみようと思ったのが、あの騒ぎになってしまった。
同心とは別になめくじ長屋に隣接する長屋に町方の手先がそれと知られないように潜んでいるから、見張りに関しては問題ない。
源二郎が気になるのは、自分が清六兄妹となめくじ長屋にいるのを作五郎かその仲間が目にしなかっただろうかということである。
この日の午後になめくじ長屋周辺を見張っていた下っ引に確かめないといけない。本所方の拠点である鞘番所で、交代して戻ってくるのを待つつもりだった。
小名木川の河口近くにある鞘番所*には、安堵茂兵衛がいた。上がり框に座って茶を飲んでいた。
本所掛りと深川掛りを交互に長く勤めてきた安藤は、殺しを平気で行っていた由次達の捕縛で鯨舟を指揮して大活躍した。しかし安藤はすべて源二郎の手柄にした。自分は源二郎の指図に従っただけだと。
源二郎はそのお礼をしないといけないと思いながらまだ何もしていなかったから、「よお」と軽い挨拶をしてきた安藤に恐縮の体で深く頭を下げた。
「そんなに畏まるこたねぇだろ。ほら、こっちに来て茶でも飲みな」
この度の探索でも安藤の存在は大きい。なめくじ長屋の隣で張り番をしている面々の半分以上が安藤の長年の御用聞き、勘六の下っ引きだ。
源二郎は恐縮しながら、安藤の隣に座った。
安藤は気軽に急須を手に取り、伏せてあった湯飲みを一つ返した。
源二郎は慌ててまた立ち上がり、安藤の急須を握る手を止めた。
「自分で入れます!」
夕方からの見張りと交代して番所へ報告に来た下っ引きは、作五郎も仲間らしい男もあの辺りに現れていないと言いきった。
「榊の旦那のご一行だけでしたよ。住人でない人物があの辺りに来たのは。昨日もでしたが、だぁれも来やしません」
「だからって、油断すんなよ。やつらはこっちが気を緩めるのを待ってるんだ」
安藤が凄みのある目つきと声で言った。
翌日、源二郎は奉行所に顔を出して必要な報告の受け渡しを済ませると、黒羽織を脱いだ着流し姿で、裁縫道具を包んだ風呂敷を片手に深川へ向かった。いつものように万蔵がついてくる。
源二郎は、清六、はるの兄妹が気になって仕方なかった。着物はせめて破れていないものを着せてやりたいと思っていた。
暦はもう冬である。これからどんどん寒くなる。清六はまだしも、幼いはるは寒さがこたえるはずだ。
そう思うと、源二郎はいてもたってもいられず、この日は箪笥に入っていたぼろぼろの着物を繕うつもりでいた。
箪笥に入っていた方が、布にはあちこちに傷みがあったが、縫い目自体はしっかりしていたから、繕うのにそれほど時間はかからないと踏んでのことだ。
本当なら、袷に綿を入れる頃だが、そのためにも、まずは着物自体を繕っておかないといけない。
源二郎は、万蔵に盗賊と作五郎の行方を探らせるべく、深川辺りの裏の世界に探りをいれるよう命じ、大川(隅田川)を渡った所で別れた。
なめくじ長屋に着くと、はるは路地にいた。小枝で地面に何かを描いて一人で遊んでいる。
ほかに人気は感じられなかった。
ひとの気配に顔を上げたはるの顔が源二郎を見て輝いた。
「おやくにしゃま!」
そう叫んで駆けてきた。
源二郎は口に人差し指を当てた。
それを見たはるは立ち止まり、源二郎の真似をして同じように口に人差し指を当てて、小首を傾げた。
「今日はお役人で来たんじゃないよ」
源二郎ははるの手を取り、店へと歩いた。
店に清六の姿はなかった。
「清六あんちゃんはどうした?」
源二郎ははるを上がり框に座らせながら尋ねた。
「しらない。どっかいった」
「あんちゃんがどこかへ一人で出かけるのは、よくあることなのか?」
はるは軽くかぶりを振った。
「いつもじゃないよ。ときどき」
源二郎は張り番の誰かが清六のあとをつけていることを願った。
元気盛りの十才である。薄暗い長屋に四才の妹の面倒を見てずっと居ろというのは無理な話だと思ったが、他にも出かける理由があると源二郎は思った。
何日かに一度、町方の目につかないような場所で父親と会っていると思うのだ。清六の町方を敵視するのは、父親と時々会って、話を聞いているからではないかと。
源二郎は買ってきた饅頭を一つはるにあげ、二人は上がり框に並んで白湯で喉を潤しながら饅頭を頬張った。
先に饅頭を食べ終えると、源二郎は箪笥から兄妹の替えを取り出し、まずははるの着物からつぎはぎやほころびの縫い直しを始めた。
はるはこの日も珍しそうに源二郎の手元を見ていた。すぐに見飽きて外へ出ていくと思っていたのに、あきずにずっと見ている。そのうちポツリと呟いた。
「おやくにしゃまは、おひでおばあちゃんよりずうっとじょうずだね」
源二郎は吹き出した。
「どうしてそんなにじょうずなの?」
「育ててくれたおっかさんが教えてくれたからだ」
「そだててくれたおっかさん?ほかにもおっかさんがいるの?」
源二郎は縫う手を止め、どんな顔つきで言ったのかとはるの顔を見た。はるが母親のいないことをどう思っているのか、わからないからだ。
はるの顔つきは暗くなかった。素直な好奇心が感じられる目をしている。
迂闊なことは言えない。一度はそう思ったが、源二郎は思い直した。子どもだからこそ、嘘はいけない。
「俺を産んでくれたおっかさんはすぐに死んでしまったから、育ててくれたおっかさんと二人いる」
「二人もいるんだぁ」
羨ましそうな口調だった。
「そう。恵まれてたよ」
――「恵まれてた」の意味がわかるだろうか?
「そだててくれたおっかさんはどうしてるの?」
「亡くなった。死んだよ。俺が十一の時に」
途端にはるは悲しそうな顔になった。幼いのに死ぬということがどういうことかわかっているのだ。
「二人も死んじゃったら、よけいに悲しいよね」
子どもらしい言い回しだと思うと同時に、源二郎には目から鱗の発想だった。
「そうだな……うん、悲しかったよ。今はもう大丈夫だけどね」
源二郎は正直に答えた。
はるは懐から大事そうになにかを出してきた。
「おとうがくれたの。さびしくないようにって。これもってるといいことあるんだって」
手にしているのは、赤い色が褪せ気味の古いお守りだった。
「あたいはおとうとあんちゃんがいるから、さびしくないの。だから、あげる」
はるの言動に、一瞬、源二郎は言葉に詰まった。
なんと優しく綺麗な心を持っていることか。
ぼろぼろの薄暗い長屋の店でただ一人、父と兄を待っている、薄汚れた成りの幼な児が、武士の役人である源二郎にこんな気遣いを見せる。そして、二月近くも姿を見せていない父親へのゆるがない信頼。
源二郎は一種の感動を覚えていた。
「ありがとう。けど、これはおはるが持っとくものだ。俺はもう大丈夫だからね」
はるは少しの間、じっと源二郎の顔を見ていた。それからお守りを再び大事そうに懐に入れた。
はるの替えを繕い終えると、 源二郎はすぐに清六の替えの繕いに取りかかった。
しばらくして、万蔵が店の引き戸を素早く開け閉めして土間に現れた。
ためらう様子から、言いたいことがあるが、はるに聞かせたくないらしい。そう見て取った源二郎は、縫いかけの清六の着物を手に土間へ降りた。万が一にもはるが針で怪我をすることがないように。
「親父が加わってる賊の首領の通り名がわかりやした。因幡の時蔵でやす」
源二郎が聞きたくなかった名前だった。
* 鞘番所がどこにあったかは、幕府の舟蔵の近くとしかわからないので、こんな表現でごまかしました^^;




