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小春風  作者: 空木弓
1/8

(一) 清六

・ タイトルの「小春風」とは、晩秋から初冬の晴れた日、「小春日和」に吹く穏やかな南風のことです。俳句では冬の季語。


・ 今回の話では、真乃とみのは名前が出てくるだけで、『白南風』の源二郎状態です。……の予定です。

 

 清六(せいろく)は周囲を警戒しながら歩いていた。年は満十才と聞いていた源二郎(げんじろう)は、その肩あげ、腰あげ*をしている着物にそぐわない、大人びた歩き方や仕草に、清六のこれまでが子供らしさを奪うような、穏やかではない暮らしだったのだと思った。

 清六には六つ下の妹、()()がいる。母親は妹を生んでまもなく死んでしまったため、その妹の面倒をみながら、清六は父親の帰りを待っている。

 父親が姿を消してからもう二月近く経つ。

 北町奉行所の平同心として、(さかき)源二郎が捕まえなければいけないのは、その父親、作五郎(さくごろう)だ。


 源二郎が万蔵(まんぞう)を連れて間をあけて後をつけているのに気づいていない清六は、茶店の前を通るとき、おしゃべりに夢中になっている女達の脇に置かれた皿から素早く団子(だんご)を一本取った。

 見事な腕前だった。しかし、こうなると町方の同心としても、人としても、見過ごすわけにいかない。

 行き先の見当はついていた。

 清六が団子を盗んだのは自分のためではないから、行き先へ着くまでに捕まえることができれば、盗んだ物を持った状態のはずだ。

 源二郎は音をあまり立てない駆け足で清六を追いかけた。途中で万蔵だけに後を追わせ、自身は先回りすることにした。


 源二郎の予想どおりの道を走ってきた清六は、目の前に現れた黒羽織に顔色が変わった。後ろには万蔵がいる。

「なんだよ!おいらが何したってんだよ!」

「懐の団子を出しなさい」

 源二郎は穏やかに言った。

「たった一本であっても、自分のためではなくても、盗みはいけない」

 源二郎が言い終える前に清六は向きなおり、後ろへ駆け出した。

 万蔵をやり過ごす気だ。

 万蔵が清六の腕をつかもうとして失敗し、とっさに袖を掴んだ。

 とたんにビリビリと袖が破けてしまった。

 清六は片袖がなくなった着物で駆けていく。

「なんて(やわ)な着物だよ!」

 万蔵は袖を片手に追いかける。

 源二郎は町中の追いかけっこは万蔵に任せ、清六が必ず現れるはずの場所へと足を向けた。万蔵を巻いた気になって意気揚々とそこへ現れるに違いない。



 清六が必ず現れる場所とは、妹と暮らす棟割長屋(むねわりながや)だ。深川黒江町の一角で、地元では日陰町と呼ばれている場所にある通称「なめくじ長屋」の、奥から二つ目の(たな)に兄妹は住んでいる。最初にその辺りのことは調べてある。

 なめくじ長屋は通称のとおり、年中じめじめとしている、なめくじの多い場所だ。決して良い環境ではない。


 長屋はどこも路地か井戸の辺りに住人の誰かがいて、見張り役になっているものだが、源二郎がなめくじ長屋に着いた時には井戸端にも路地にも人影はなかった。半数近くが空き家だというのは、本当らしい。

 源二郎は踏み板を鳴らさないよう、路地の端を静かに歩き、奥から二つ目の店の引き戸をほんの少しだけ開けて中を覗いた。

 妹のはるは薄い掻巻(かいまき)**にくるまり、昼寝をしていた。あどけない寝顔に源二郎は喉元にこみ上げてくるものがあった。

 ――この子も産みの母を知らないのだ……

 はるの様子を確かめたあとに、源二郎は棟割長屋の奥まで進み、建物の影に潜んだ。

 なるべくはるを怖がらせたくないと思っていた。


 間もなく走ってくる足音が聞こえてきた。軽い足音だ。

 清六が長屋の入り口にちらりと姿を見せた。一応用心している。誰もいないことにホッとした顔を見せ、踏み板を鳴らしながら、奥へやってきた。引き戸に手を掛けようとしたところで源二郎は姿を見せた。

「妹になんと言うつもりだ?」

 源二郎の声に清六は文字通り飛び上がった。ちらりと源二郎を見ただけで長屋の入り口、木戸の方へ駆け出した。しかし、そこには万蔵が立っていた。


 万蔵は腰をかがめて両腕を広げ、狭い路地をふさいだ。

 清六は駆け出した勢いを止められず、万蔵にぶつかっていった。

 しかし、万蔵が清六を受け止めたと思ったら、直前に清六は小さく屈んで万蔵の腕の下を潜り抜けた。万蔵があわてて清六を掴もうとする。

 方向が反対なだけで、源二郎は先ほどの再現だと思った。

 ビリビリと軽い音がして、万蔵の左手は袖だけを掴んでいた。

 しかし、先ほどと違っていることがあった。万蔵の足が清六の足を引っかけ、転がしていた。清六が起き上がる前にその肩を押さえつけた。

「なんてぇ柔な着物でぇ!」

 万蔵は片手で清六の首根っこを押さえながら、片手に掴んだ袖を見てぼやいた。



 それからおよそ半刻(約1時間)後、挟箱(はさみばこ)を持つ榊家の奉公人である富三(とみぞう)を呼び寄せた源二郎は、清六兄妹が暮らす店で、淡々と清六の着物の両袖をつけ直していた。


 挟箱は、本来は様々な緊急事態に備えて具足や着替えを入れておく箱だ。着物や足袋が綻びていた場合を考え、源二郎は裁縫道具も入れるようにしていた。同じように裁縫道具を入れている武士は他にもいるが、武士である主自身が繕うつもりでいるのは、源二郎くらいかもしれない。


 兄妹の替えの着物が箪笥(たんす)にあるにはあったが、どちらもぼろぼろで、そちらも縫い直したり繕わないと着れそうになかったから、清六は襦袢一枚で不機嫌に掻巻にくるまっている。

 はるの方は、針仕事をする源二郎をじいっとさっきからほとんど身動きせず、見つめていた。

 御町の旦那が針仕事しているのは確かに珍しい眺めだろう。

 万蔵も清六の側に座り、源二郎の手元を感心した風に見つめている。


 ちょっと引っ張っただけで袖が両方とも綺麗に取れたことに疑問を感じた源二郎は、清六の着物を脱がせて取れた袖とともに検分した。どこもかしこも粗い縫いで縫い代も狭い。肩あげも半分ほどけていた。

 ――これではすぐに破れたりほつれてしまう

 誰が縫ってくれたんだと源二郎が尋ねたら、清六ではなく、はるが答えた。

「となりのおひでおばあちゃん」

 答えたはるの着物も袖を捲ってみたら、縫い代は清六より多かったものの、やはり粗い縫い目だった。

 源二郎は全部縫い直したかったが、いくら子供の着物でも、袷となると半日では終わらない。今日のところは肩あげを少なくして袖をつけるだけで済ませるしかなかった。

「そのうちおまえさんが着てるのも縫い直そう」

 源二郎がはるに向かって言うと、はるは不思議そうに源二郎の顔を見つめ返しながら、「あい」と頷いた。


 黙々と縫っていた源二郎はだんだん腹が減ってきた。

 時刻は昼の八つ半頃(午後3時頃)だが、日当たりのよくないなめくじ長屋は早くも薄暗い。

 源二郎は万蔵に店の中にあるものを確かめさせた。

 行灯(あんどん)はあるが油はなく、食べ物も梅干し三粒と塩少々しかなかった。

 源二郎はとりあえず万蔵に団子を五人分、米、青菜、削り節に味噌、油を少量ずつ買ってくるよう命じた。

 すると、清六が「お町の旦那に(ほどこ)しは受けねぇ。放っておいてくれ」と、破落戸(ごろつき)を真似たような口調で言ってきた。

 清六によれば、袖の縫い直しは万蔵のせいで破れたのだから、当然のことらしい。

 源二郎は笑いをこらえ、縫う手は止めずに言った。


「誰が施すといった?無年期無利子で貸してやる。借用書を書いてもらうから、大きくなったら忘れず返せ」

 清六は黙り込んだ。

 ちらりと視界の隅で源二郎が様子を窺うと、清六は俯いていた。どうやら「しまった、失敗した」と思っている。源二郎が借用書を言い出すとは思っていなかったらしい。

 源二郎は必要以上に施したり庇う気は最初からなかった。そんなことは清六のような子供のためにならないとわかっているからだ。


「まだかよ」

 言うことがなくて、清六は着物の縫い直しを催促してきた。

 立ち上がって上がり框へ行きかけていた万蔵が、一歩戻ってコンと拳骨で清六の頭を叩いた。

「こら、そんな口のきき方があるか。榊の旦那が親切に縫ってくださってるんだぞ」

「へん!お役人が針仕事するなんて、変じゃねぇか。どうせ弱いんだろ」

 ゴンと先ほどより強い音がして、清六が「いってぇ」と頭を抱えた。


「おめぇ、旦那のこと何も知らねぇくせによくそんな減らず口たたけるな!旦那は中居道場で一、二を争う剣士だ!破落戸の五人や六人、素手であっという間に片付けちまう。この前だって、すげぇ手練(てだ)れの盗賊を一人でやっつけたんだぞ!相手の刃をかい潜り、橋の欄干に飛びのって、上から相手の首筋に峰打ちを食らわせた!牛若丸も顔負けだ!かっこよかったぜぇ!だいたいだな、榊の旦那以外に捕まってたら、おめぇは今頃は大番屋か伝馬町だぞ!」

 源二郎の悪口を聞くと、いつも怒髪天に近く腹を立てる万蔵だ。言うことも大げさになる。説経のために大番屋へ連れて行って()()()()()()ことはあるかもしれないが、団子一本で伝馬町はない。

 ちなみに中居道場で源二郎と一、二を争う剣士とは、源二郎とは乳兄弟の青井真乃(あおいしんの)である。女ながら、恐ろしいまでの剣術の才を持つ。背丈は源二郎とほとんど変わらず、道場では青井真之助と男の名を使っている。そして、真乃の強さを目にした万蔵は、真乃を男だと思い込み、その思い込みは延々続いている。


 源二郎は縫う手を止めなかったが、万蔵のまくしたてに呆れていた。

「万蔵、早く買いに行け」

「へい、すぐに買ってきやす」

 万蔵は清六を一睨みしてから、土間に飛び下り、勢いよく店から駆け出していった。

 上がり框の端に源二郎に背を向けて腰かけている無口な富三の肩が震えている。


「信じられねぇや」

 清六がぼそりと言った。

 源二郎は淡々と縫い続けていた。何と言われようと気にしない。

 源二郎が気にしていたのは、はるがじわじわ近づいてきていることだった。

「おはる、それ以上近づくんじゃない。針が当たるぞ」

 とうとう源二郎は注意せざるをえなかった。ぐいと糸を張るときに思いのほか、針を持つ手が伸びることがあるのだ。

 俯いていた清六が頭をあげた。はるがいつの間にか源二郎の近くにいることに驚いてはるを引き戻そうとした。ところが、

「いや、ここにいる!」

 はるは源二郎から二尺(約60㎝)も離れていない場所から動こうとしなかった。

「おはる、こいつら、お(とう)を捕まえに来てるんだぞ!騙されるんじゃねぇ!」

 清六は知っているのだ。父親が悪事に加担していることを。


「清六、おまえはお父が死罪になってもいいのか?」

 源二郎は縫う手を止めることなく、清六に言った。

「いいわけねぇだろ!」

「ならば、今のうちに捕まるしかない」

 そこで源二郎は縫う手を止め、清六を見つめた。

「今なら、重くて遠島、軽ければ寄せ場送りで済む。だが、このまま罪を重ねれば、軽くて死罪、重ければ市中引き回しのうえ獄門だ。それでも良いのか?」

 清六の顔色が青ざめた。

「お、お父は悪いことしてねぇ!」

 源二郎はどこまでも父親を信じようとする清六に悲しみを感じた。





* 肩あげ、腰あげ: 子供はすぐに大きくなることと無事な成長を願い、大きめの着物を仕立てて、袖丈は肩、身丈は腰の辺りで布をつまんで長さを調整していること。

** 掻巻: 江戸時代の庶民が掛け布団にしていた袖つきの寝具。綿入り袢纏の一種と言える代物。

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