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召喚系!  作者: 夜行一儀
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第四話 異世界へ

 緑の王国は、色褪せた死の只中に、孤立していた。

 かつて、産着のように世界を包んだ草木そうもくの陰は、今や創世樹を中心とする小さな円でしかない。境界線は一目で見て取れる。外周を一歩出た荒野に、緑は芽の一つとて残されていない。飛蝗いなごも鼻白む、それは一片の容赦もない簒奪さんだつだった。

 今しも、その輪はじわりと縮み、緑を守る者の首を絞めていく。

 戦いは処刑の呈をなし、簒奪者は悦に入る。

 圧倒的な軍勢で包囲したまま、王国の周縁を次第に齧りとっていく。子供が、焼き菓子の縁をそうするように。

 だが、緑もまた、座して滅びを待つものではなかった。

 もはや干上がりかけた樹海に、凛とそびえる一基の塔がある。

 深緑の塔――創世樹に比肩する自然界の象徴に、最後の希望は託された。

 最上階の吹き抜けから、眩い光が溢れたのは、払暁ふつぎょうのことだ。

 今、深緑の塔は、再び、朝ぼらけの空気にまどろんでいる。

 知るは、天駆ける風ばかり。

 そこに現れた、この世ならぬ救いを。

 ――『勇者』と呼ばれる人種を。




 どこか懐かしい、涼やかな音色が聞こえる。

 銘は、ぼんやりと目を開けた。

 見上げた先に、円く切り抜かれた青空がある。目に鮮やかな蒼穹ではない。透度の高い、遠慮がちな青さだ。

 朝だな、と思った。多分、起きるには少し早い時刻の。

 再び目を閉じ、二度寝に浸りかけた銘を邪魔したのは、背中の訴える違和感だった。布団でも畳でもない、あまり身に覚えのない感覚。堅く平たい、例えるならば板間のような――

「……あれ?」

 銘はもう一度、目を開けた。

 相変わらず、綺麗な丸空がそこにある。吹き抜けなのだ、と気がついた。井戸の底から見上げたような光景だが、規模はまるで違う。三階程度の高さがありながら、こちらの空は十分に広い。天蓋は一切なく、吹き抜けの外周は円の形を保ったまま、乳白色の壁となって、まっすぐ、銘の横たわる床まで伸びていた。

「……あれ? あれっ?」

 寝耳に水の異常事態に、銘はようやく気付いた。

「ここって――、どこ?」

 つぶやいてみたが、答える声はない。

 銘は立ち上がった。周囲を見回し、改めて唖然とした。

 部屋と呼ぶのを躊躇うほどに広い空間だった。壁と床は同じ材質で、継ぎ目の一つもない。その建材からだろうか、空気には凛とした芳香があった。無意識に背筋を伸ばしたくなるような雰囲気は、寺社や茶室を髣髴ほうふつとさせる。予備知識の欠片もない銘にも、ここが何らかの神聖な場所であろうことは想像できた。

 だが――それにしては、この惨状は何だろうか。

 部屋の中央に立つ銘の周囲には、無数の木像が散乱していた。

 全て等身大の像である。人をかたどったものだが、普通の人間像は一つとしてなく、どれも神像、或いは怪物めいた造形だ。あるものは八本の腕を持ち、あるものは触覚と翅を備えている。手にした得物も様々で、木製の剣や槍、或いは楽器のように珍妙な武器などもある。同じ像は二つとなく、精緻を尽くした出来栄えのみ共通していたが、惨状はそれ故のものだった。床に散らばるは腕、指、髪、頭の破片。倒壊し、細部を欠いた木像はがらくたに成り果て、どこか恨めしそうに銘を取り囲んでいる。

 ふと思いつき、銘は壁を見上げた。

 上層には壁をくり貫いたうろが無数にあり、同様の木像が、それぞれ収められている。予想通り、洞の半分はもぬけの空だった。あの高さから落下したなら、手足を欠く有様も納得がいく。

「うわー、ラッキーだったかも、ワタシ」

 枕元に転がっていた一抱えもある頭部を思い出し、銘は肝を冷やした。幸運と呼ぶには抵抗があるが、最悪よりは遥かにましだ。怪我はなく、意識もはっきりしている。不幸中の幸いとは、こういう時に使う言葉に違いない。

 しかし、この現状がまるで理解不能なのは変わらなかった。

 其の一。何故、ここにいるのか? 

 其の二。そもそも、ここは何処なのか?

 頬を用いる古典的手法を試すまでもなく、夢ではない。

「……うん。まずは落ち着こう」

 心なし鼓動を早める胸に手を当て、銘は目を閉じた。

「赤星 銘。十五歳。一年C組。誕生日は一月十一日」

 耳に水が入った要領で頭を叩く。記憶は問題なさそうだ。

「あれ? ワタシ、制服のまま?」

 ブレザーにチェックのスカートという己の身なりに気が付いた。これは意外だった。空が明るいせいか、家で寝ていた気でいたのだ。

 同時に、新たな疑問が浮かんだ。今は何時なのだろう?

 銘はポケットを探り、携帯を取り出した。

 アンテナは圏外。そして時刻は――十七時四十七分。

「えええ……ええええ~~っ?」

 思わず、デジタルと頭上の空を見比べる。この時刻は有り得ない。それとも、有り得ないのは空の方か? 

 日付は四月の平日、第三金曜日。記憶の食い違いはない。いつもなら放課後の時間だ。雑用がなければ、夕暮れの中を彩子と帰路についているくらいの――

「……思い出した!」

 図書室の留年生。夕暮れの赤、魔方陣の青。

 この場所にいるのが、魔方陣に触れたせいだとしたら。

「篠座くん……篠座くん!」

 謎解きを忘れ、銘は若者の姿を探した。傍に倒れた神像の陰を、下敷きになってはしないかと、その下を。

 けれど、見当たらない。名前を呼べども返事はない。

「そんな……」

 銘は肩を落とした。小さな手のひらを広げ、見つめた。篠座の手の感触が甦った。――唇を噛んだ。

 かすかな音色を聞いたのは、その時だった。

「……この音……風鈴……?」

 どこか懐かしいその響きは、銘に夏の風物詩を連想させる。

 けれど、窓も風もないこの部屋のどこで、風鈴が鳴るのか。

 瀕死の吐息のように絶え絶えの音を求め、銘は耳を澄ませた。残骸の谷間を抜け、音の源を訪ね歩く。もしや篠座ではないかとかすかに期待しながら。

 けれど銘が見つけたのは、皮肉屋の若者ではなく、黒衣の少女だった。

 少女は、木像の陰に力なく伏せていた。黒いワンピースの長い裾が、熱帯魚の尾ひれのように広がっている。無数のレースに飾られたそれは、明らかに少女の脚より長い。耳飾りは黒曜石のようで、全身黒尽くめだった。

「大丈夫!?」

 少女の蒼白な顔を見て、慌てて助け起こす。

 黒衣との対比もあってか、その肌の白さは抜きん出ていた。安否を気づかいながらも、銘は内心、舌を巻いた。細い首、華奢な肩、伏せた睫。唇は血の気を失っているが、これほどの美少女を間近にしたのは初めてだ。彩子も美人だが、この少女の美しさは別格だった。白雪姫を見つけた王子は、さしずめこんな気分だったのだろう。

 腕を回した背中の冷たさに一瞬ぞっとしたが、少女は弱々しく目を開いた。黒い鏡のような瞳に、自分の顔が映るのを銘は見た。

 安堵した半面、どう声をかけたものか迷う。「もう大丈夫だよ」とはちょっと言えない。そもそも銘自身、大丈夫な状況とは言い難い。

「…………ゆ……」

 悩む銘を見上げる、少女の口が動いた。

「……勇者……さま……《叢の国(サミリア)》をお救いください……」

「――ほえ?」

 思わず、間抜けな声が出てしまった。

「……ほ……え……?」

「い、いや、今のは気にしないで! ゆ、勇者? 今、勇者って言った?」

 真顔で問い返す少女に、顔をぶんぶん振って否定すると、銘は今一度、

 その言葉を問う。少女は小さな顎を頷かせた。

「……私は……《奏の民(カナーテ)》の巫女、リーィン……。滅びを待つ我が国を救っていただくべく……この世ならぬ場所より……勇者さまをお呼びするのが……私の……」

 鈴を振るような説明の言葉に、銘は動転した。

 ――この理解不能な現状は何なのか。

 いや、非常にわかりやすい状況ではある。魔方陣、見知らぬ部屋。異世界の巫女、『勇者』。どれも既視感たっぷりの単語キーワードだ。少女の説明を待たずとも、続きが想像出来る程度には。

「……もしかして、魔王を倒してほしい、とか?」

「彼の者は……『吸精主』と名乗っております……」

「あ、やっぱり」

「もはや……頼れるのは貴女だけ……どうか……どうか……」

「ワタシ、だけ……」

 銘は、全身が総毛立つのを感じた。

 こんな、漫画のような出来事があるのだろうか? 信じ難い気持ちも確かにある。だが、夢なら夢でいい。目を覚ませば現実に戻るのだから。今はこの、夢にも見たことのない立場を信じていいのではないか。

 何より、少女の黒い瞳は懇願していた。

 救いを求める手に応ずるのに、夢も現実も関係ない――少なくとも、銘はそうだ。

「……わかった。何が出来るかわからないけど、協力してあげる」

「ああ……勇者さま……!」

 頷いた銘に、リーィンが嘆息した。瞳に涙さえ浮かべている。

 その時、塔が揺れた。

「地震……?」

 微震の続く中、銘は少女を抱き寄せた。ただの地震でないことはすぐにわかった。壁を伝わり聞こえる地鳴りのような音が、下から上へ移動していくのが感じられたからだ。そう、まるで、何かが外壁を()()()()ように。

「な、何か、マズいかも……逃げよ、リーィン。ね、立てる?」

 手を取り、支えるようにして少女を促す。立ちあがりかけた少女は、不意に顔をしかめ、崩れ落ちた。

「……駄目です……脚が……」

 見れば、倒れた木像にスカートの端が挟まれている。引き裾で気付かなかったが、脚も木像の下だとすれば大事だ。

「ちょっとガマンして……せーのっ!」 

 少女の脇に手を入れ引っ張るが、脚は縫い止めたように動かない。

 今度は木像を動かそうとするが、こちらはそれ以上の難物だった。切り株でさえ一人で運ぶのは苦労する。非力な少女の腕力で等身大の木像に挑むのは無謀に過ぎた。微動だにしない。転がすことさえ出来ない。

 部屋は今や、嵐の海を渡る船のようだった。揺れは満足に歩くことさえ許さず、窓なき壁越しには雷鳴のような怪音が轟く。

「……勇者さま……お逃げください。私のことは、もう……」

「――そんなこと、出来るわけないよっ!」

 思わず叫ぶ銘。その声に応じたように、揺れが止まった。

「うそ……」

 静まり返った空を見上げた銘は、愕然とした。

 吹き抜けの外から覗き込んだ、巨大な虫の頭がそこにあった。鍬形虫クワガタムシのような雄雄しい顎の向こうに、感情のない複眼が据えられている。ダンプほどもあるのではないか――そう思われた。

 その大顎が無造作に振られ、壁を叩いた。

 塔が激しく揺れ、壁の木像が弾き飛ばされた。少女の手に余る重量のの木像が、軽々と宙を舞った。破片の雨とともに降り注いだ。

「――危ないっ!」

 咄嗟にリーィンに覆い被さりながら、銘は絶望していた。自分の体がたいした盾になるわけがない。けれど、他に方法はなかった。目を閉じ、身を固め、終わりの時を待った。

「……勇者さま……」

 耳元に囁く声に、「違う」と言いたかった。

 何を調子に乗っていたのだろう。自分が勇者なわけがない。

 何も……何一つも、成し遂げたことがないくせに。

「――人違いもそれくらいにしてやれ」

 頭上でつぶやかれた、皮肉めいた声。

 次の瞬間、音の洪水が鼓膜を襲った。重量という暴力が、部屋を殴り

つけるのが聞こえた。音もまた暴力だった。

 けれど、破片の一つとして、背中に触れるものはない。

 永遠に続くかと思われた木像の豪雨は、ほどなく途切れた。

 銘は、恐る恐る顔を上げた。

 天を狙うかの如く長い棒を構えた、若い男の背中がそこにあった。

 振り返る横顔に走る、赤い眼鏡縁フレーム

「篠座くん……!」

「――そいつは召喚に巻き込まれた、ただの『脇役』だ」

 破顔する銘を無視し、篠座は無事だった巫女に語りかけた。

「シノザ……? まさか……貴方は、あの……」

「『召喚系』――それ以上の説明は不要だ。間違っても、『ゆ』で始まる呼び名は使うんじゃない」

 有無を言わせぬ命令口調に驚き、押し黙る巫女。

「ちょ、ちょっと! そんな言い方しなくていいでしょ!」

「うるさい奴だな」

 思わず抗議する銘を一瞥すると、篠座は険しさを増した木像の谷から進み出た。

 威嚇するように大顎を噛み合わせる怪物を見上げ、冷ややかに笑った。

「この俺を召喚した以上、覚悟しておけ。『一分一秒でも早く世界を救う』――それが俺の流儀だ。邪魔する奴に容赦はしない」




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