プロローグ
雨上がりの道路を、幾つかの玉葱が転がっていく。
しっとり黒ずんだアスファルトの上を、競うようにして。
海に面した絶壁をなぞるような二車線道路。道は狭く、急勾配、急カーブの続く難所だ。神社前のバス停付近は、まだしも坂は穏やかなのだが、野菜たちのレースは終わろうとしない。
その一つが、左手に進路を変えた。転々と踊り、道路を渡る。
音もなく眼下の海に消えた玉葱を見て、幼い少女は泣き出した。小さな手は、道路の縁にかろうじてぶら下がる母親の指を握っていた。
ガードレールを設置するよう投書の続く場所だった。水たまりを避け、道の内側を歩いていた母子は、非常識な速度でカーブを降りてきたトラックに気付くのが遅れた。撥ねられこそしなかったが、転倒した母親は断崖に身を落とし、間一髪で縁に捕まった。トラックは母子を残し、行ってしまった。
「ママ……ママァ……!」
懸命に自分を引き上げようとする愛娘を見上げ、母は力なく笑う。
娘はこの春から小学生になる。山上に住む祖父に見せるため、わざわざ着てきた制服はすっかり泥だらけだ。それでも咄嗟にかばい、怪我をさせなかったのは母として最後の矜持だった。さもなくば、こんなに落ち着いた気持ちではいられなかっただろう。
「……いい子だから、泣かないの」
だからこそ、わかる。
自力で這い登るのは無理。助けも期待できない。一時間に一台、車が通るか通らないかの田舎道だ。
指はすでに痺れ、感覚が消えていた。触れた愛娘の温もりさえも。
「メイ……お願い。救急車を呼んで来て」
「えっ?」
まっすぐ自分を見上げる母親の言葉に、少女は驚いた。
「バス停の公衆電話……かけ方わかる……でしょ?」
「わかる……けど……でも……でも……」
「ママは大丈夫だから……急いで」
母の笑顔に後押しされ、少女は立ち上がった。
「──車に気をつけてね」
「うん!」
駆け出した背中を見送り、母親は目を閉じた。
瞼に写る最後の像が愛娘であることを確かめ──手を離した。