隠しきれない想いと重なる嘘 2
__その夜。カイルは防音魔法を展開した自室で過ごしていた。
「ぐっ……っ、ごほっ……!」
喉の奥からこみ上げる不快感に、彼は思わず口を押さえた。
吐いてしまったほうが楽なのは彼も知っている。
けれど、どうしても隠したはずの感情を直視するのが嫌で、辛いのだ。吐き気を押さえるけるよりも。
そうして、我慢していても身体がひとりでに縮こまり、次の瞬間、色とりどりの花弁が吐き出される。
「おえっ……うっ、ぐっ……!」
苦しげな嗚咽とともに、彼の足元には花弁やときに一輪丸ごとの花が溢れる。場にそぐわない甘やかな匂いが鼻をつき、肺を空っぽにしようとするかのように、さらにえづく声が響く。
「はぁっ、はぁっ……」
何度か繰り返し吐き出すことで収まり、彼は荒い呼吸を繰り返した。
毎晩の如く繰り返す光景。それは日を追う毎にひどくなっていく。
咳き込み数枚だけ花弁を落としていたのが、はるか昔に感じほどだ。実際はほんの数週間前の話になるのだが。
吐き出した花を直視するのも辛く、乱雑に隅に隠した袋へ投げ入れる。カイルの腰ほどもあるような大きさの袋だが、ここ数日はそれが一晩で埋まってしまうほど花を吐く日が続いている。
彼の身体は限界に近いのだ。そろそろ肺が花を埋め尽くすのも近い。セリーヌへの愛で文字通り窒息する、そんな未来が。
(まだ、まだ……お嬢様の一番近くにいなければ)
彼は執着とも愛とも呼べない感情だけで毎晩死にもの狂いで朝を迎えている。明け方近くになって気絶するように寝ているだけで、ほとんど休息と呼べるものはない。
(お嬢様のために俺は生きなければならない。それが俺の全てだ……)
ただその決意だけが彼を生き延びさせている。しかし、それの決意がどれほど脆いものなのか、彼自身が誰よりも理解していた。
***
翌朝、カイルはいつも通りに屋敷の廊下を歩いていた。
白皙の顔立ちに疲労の色など一切残さずに従者としての完璧な姿を保っている。昨日エミリーに指摘された顔色も、完璧にごまかしている。
エミリーがもしお嬢様に何か伝えていても、ごまかせるほどには完璧な姿だった。__表向きだけは。
少しでも気を抜くと花が溢れそうになる、めまいが止まらない、瞬きをすると眠りに落ちてしまう。
そんな、完璧とは程遠い身体を隠し通し、いつもと同じように、完璧な動作でお嬢様の朝食を運んでいた。
トレイの上には彩り豊かな果物と香り高い紅茶。
セリーヌが心地よく一日を始められるよう、全てが整えられている。
「お嬢様、失礼いたします」
カイルは執務室の扉をノックし、静かに中へ入った。
机に向かうセリーヌが顔を上げ、彼女の視界にカイルが入るといつものように微笑んだ。
「おはよう、カイル。今日も早いのね」
「お嬢様に快適な生活をお届けするのが俺の務めです」
カイルは頭を下げ、トレイを机に置く。そして手際よく紅茶を注ぐ彼の動きには一切の無駄がない。
だが、その裏では胸に広がる痛みと疲労感が確実に彼を蝕んでいた。震えそうになる手に叱咤を入れ、完璧にこなす。
カイルが入れた紅茶を一口、セリーヌが口に含む。
そうして、冷たい碧色が熱に浮かされたように緩む。
「貴方の入れた紅茶が一番好きよ」
「、光栄です」
『好きよ』の言葉が頭の中でこだまする。
それはカイルのことが好きだという意味ではないことを彼が一番良く知っていたはずなのに。
その言葉の中に信頼以上のものが含まれないことぐらい理解できていたはずなのに。それでも。その言葉だけで。
(勘違いしてしまいそうだ。)
荒れ狂う感情を押さえつけるカイルに、何も気づかないセリーヌは続ける。
「カイル、貴方と一緒にいるととても安心するの。ずっとそばにいてくれるでしょう?」
「えぇ、もちろん。俺はお嬢様が望むのならば、いつでも、どこまでもお供します」
「ふふ、本当ね?貴方がいないとわたくし困ってしまうもの。カイル、貴方だけが必要なのよ」
セリーヌはそういうと、カイルにしか見せない甘い笑みを浮かべる。
彼女の言葉、態度、すべてが蜜のように甘く、どこまでもカイルを絡め取る。
甘美な毒はカイルの全身をゆっくりと回り続ける。
自分はセリーヌに愛されているのかもしれない、自分だけが特別なのかもしれない、と。
「カイルがいない生活、なんて考えられないくらいなの。どこにもいかないでちょうだいね」
お嬢様の声がカイルの耳に届くたびに、肺の中の感情が激しく軋む。
手足を絡め取るように纏わりつくお嬢様の愛がじわじわとカイルの身体を締め付ける。
甘美な痛みとしびれが全身を巡る。
喉の奥が焼け付くように痛い、何か言葉を返さなければと逡巡するが当たり障りの無い言葉しか彼の口からはこぼれ落ちない。
「もちろんです、お嬢様。俺の命尽きるまでお嬢様に仕えます」
「そう、期待しているわ」
いつものように滑らかにこぼれ落ちた言葉にセリーヌは満足したように微笑みを浮かべ、机へと視線を戻す。
彼の指先がしびれているのは、病が身体を蝕んているからなのか、それとも甘美な毒が全身に回っているからなのか、彼自身にも理解することができなかった。