月明かりの庭に咲く片恋の花 1
月明かりが照らす庭園には静謐な空気が漂っている。
風で擦れる木の葉と、遠くで鳴く鳥の声だけが響く庭園の隅に、1人の男__カイル、ベルタリア王国でも有数の貴族、ヴァレンティア家に仕える従者__が蹲る。
その周囲には色とりどりの花の花弁がまるで、花占いでもした後かのように広がる。
ごほり、と嗚咽とも咳とも言えないものを1つ落としたカイルの手のひらには、深紅の花弁、ラヴェニカの花の花弁が転がり落ちた。
「くそっ、どうして……俺が……」
その深紅の花弁は、『胸に秘めた恋』という花言葉をもつ花弁だった。彼はその花弁を握りしめ憐れみのような、自嘲のような笑みを1つ零す。
「こんなものが出てきてどうするんだ……俺にはお嬢様に仕えることだけを考えてきたのに……」
(お嬢様のことを考えると、どこにも沈む場所なんてないはずなのに、心だけが深い水底に沈んでいくようだ。)
心臓が軋むように痛み、溺れてるかのように喘ぐカイルの口からは、ポロポロと花弁が吐き出される。
__嘔吐中枢花被性疾患、通称『花吐き病』
それは、愛する人に想いが告げられず、報われないものが発症する病。吐き出される花弁は、吐き出すものの心情に合わせたものが出ると言われる。
カイルの症状は正しくこの病に罹患しているという明らかな兆候だった。
この病を抱えた者がどうなるか、彼は知っていた。
最終的には花が肺を埋め尽くし、息ができなくなり、死に至る。治癒する唯一の方法は、想い人と心を通わせることだけ__だが、それは自分には望むべくもないことだった。
彼の脳裏に浮かぶのは、ある一人の女性の姿だった。
「お嬢様……」
お嬢様__セリーヌ・ヴァレンティア、彼女の黄金の髪は、滑らかな絹のように背中に流れ落ち、柔らかな陽の光を受け煌めく。
その瞳は、見る者を拒むような冷ややかな光を帯びているが、その瞳がカイルを捉えるとふわりと緩むその瞬間の為だけに、彼は生きているとまで言い切っても良いほど陶酔する自分の主である。
「お嬢様に恋をするなど、愚かにも程がある……」
口の中で呟いたその言葉は、苦しみに染まっていた。
彼女は自分にとって雲の上の人であり、その輝きに近づくなどあり得ない。彼女を守り、支え、仕えること。
それが、それだけが自分の生きる意味だった。
(__そう、それで十分だったはずなのに。)
彼の身体に咲いた花はその偽りを暴く。
自分の胸の内にあるものは、ただの忠誠心ではなかったのだ。
「……絶対に隠し通せねば。万が一にでも知られてはいけない」
カイルは静かに立ち上がり、吐き出した花弁を1枚残らず懐にしまう。万が一にでも、お嬢様に見つからないように。
この病も、この愛も。
「気づかれるわけにはいかない。俺は最期までお嬢様の従者として、この命を全うするだけだ」
それでも。胸の中で疼く想いが肺を破って心臓に届くように鼓動する。
『お嬢様の隣に居たい、それが例え泥の中から咲き誇る蓮の花に触れるようなものでも。俺が……俺だけが!』と。
カイルは、愛で軋む身体を引きずりながら屋敷の中へ戻る。
花も、愛も、何もかもを隠して。
ラヴェニカ:淡いピンクから深紅の花弁を持つ花。冬の夜に咲き、蜜は愛を忘れる薬として重宝される。恋を叶えたい人は絶対に近づかないという言い伝えもある。