5
「康代、どうしたの。ぼおっとして……」
夫と娘に見送られて午前十一時過ぎに自宅を出、ターミナルのS駅近くのレストランで康代は昔の友達と食事をしていた。今回の食事会のメインとなるのは現在離婚争議中で一時的に実家に戻る予定の槁本沙耶香だった。
「あ、いえ、別に……。何でもないわ」
虚を突かれて康代は曖昧にそう答えた。いつからなのか自覚はなかったが、沙耶香の話が右耳から左耳へと擦り抜けていたようだ。
「でもさあ、あたしなんか子供がいないからまだいい方でさぁ」
そんな上の空の康代を尻目に沙耶香はエネルギッシュに語っている。その場に集まった他の仲間たちも沙耶香の離婚話を、いつ自分の身に降りかかるかわからない出来事だと興味津々に聞いていた。
「だけど、康代のところは大丈夫よね。旦那さんは優しいし、康代にぞっこんだからね」
不意に話題が康代のところに降り落ちた。康代が答える。
「大丈夫っていえば、お見合い結婚だったのが良かったのかもしれないわね。恋愛は疲れるし、いつまでもその情熱が続くわけでもないし……。家族になれば愛情よりも生活だわ。そういうことなら、わたしにだってわかるけど……」
「そうよね。確かに生活は大事だわ。……だからさ、自分のことでも、しかも義理さえないことだけど、旦那のことがちょっと心配でさぁ。今はあの女に熱くなってるし、女の方も同じ状態だから生涯愛し合っていけるみたいに感じてるかもしれないけどさ、そのうちあたしから払える限りの慰謝料をふんだくられて、それに女と逃げたときにはすでに会社を辞めてて、そのとき同僚に借金しているからその催促も来るだろうし、すぐに生活が行き詰ると思うよ」
「あんたは勇ましいわね。嫉妬とかまったくしなかったの」と、その場に集まった仲間の中では唯一未婚でバリバリとインテリアデザイナーの仕事をこなす井上琴美が沙耶香に問いかける。
「そりゃあしたわよ。あたしだって人間ですからね。チキンハートだと高を括っていた旦那が悪さをするわけないと安心し切って十数年、あたしに一言も告げずに突然旦那が家を出て行ったときには怒り心頭に発したわ。でもねぇ、離婚を決めて、冷静になって憑き物が落ちると思ったんだよ。あの人のことをあたしは良く知ってるからね。それに女の方だって若くも美しくもなくて、さらに儚そうな感じだったからさぁ。二人ともあの性格じゃ、生活が行き詰った時点で死ぬしかないんじゃないかしら」
それからしばらく言うだけのことを言うと沙耶香は満足したように集まった皆に礼を言った。
「今日は集まってくれてありがとう。こんなあたしのために……。いざとなったら皆さんを頼りにするよ。寂しい夜には付き合ってくれって頼むかもしれない。ま、奥様連中じゃ、無理かもしれないけどね」
井上琴美以外に正式に仕事を持っている仲間はいない。残りの全員が主婦だったが、斉藤若葉は着物の着付けでちょくちょく小遣いを稼いでいたし、安西瞭子は自宅で子供たち相手に簡単な英語を教えていた。まったくの専業主婦は康代と離婚争議中の槁本沙耶香だけであった。
親しい仲間の中では唯一結婚経験のないのが井上琴美だったが、彼女には長い付き合いの不倫相手があることを康代たち全員が知っていた。康代は一度だけだが偶然街でその男と連れ添う琴美を見かけたことがあった。男には落ち着きと金はありそうだったが、残念ながら若さがなかった。さらにそのときは気苦労でもあったのか、若作りの琴美に比べて酷く草臥れているように見えた。
「まぁ、世の中一寸先は闇とも言うからね。あんたたちも気をつけなさいよ」
最後に槁本沙耶香は話をそう締めくくった。