『或る悪魔の独白』
昔、昔、或る所に、女神様がいました。
純粋で美しい少女の姿をした女神ウィステリアは、この世全ての人間の"幸福"を願います。
人の善性を愛し、罪を赦そうとしました。
昔、昔、或る所に、邪悪な神が生まれてきました。
美しくも残酷な邪神ヴラジミールは、この世全ての人間を嘲笑います。
不条理と罪人を愛しました。
或る時、幸福の国と謳われるウィステリアへ辿り着いた邪神ヴラジミールは、女神ウィステリアと出逢いました。
『藤の花のように美しい女神ウィステリアよ。そなたを我が妻に迎え入れよう――共に世界を統べようではないか』
女神ウィステリアの純粋無垢な美しさと善性の輝きに魅入られた邪神ヴラジミールは、彼女を我がものにしようと企みました。
しかし、いかなる誘惑も悪性も、女神ウィステリアを堕落させることは叶いませんでした。
そこで邪神ヴラジミールは別の企みを考えつきました。
丁度、女神ウィステリアと魂を分けた新たな"聖女"が生まれようとしていた時期のことです。
邪神ヴラジミールは、生まれようとしている或る男児へ、自身の"魂の欠片"を移しました。
『我が分身となる使徒よ――女神ウィステリアと魂を分けし聖女を――この国の人間を"堕落"させよ――』
邪神ヴラジミールは、魂を分けた人間の男児へ天啓を下した。
聖女を始め、この国の人間を堕落させることで信仰心――女神ウィステリアの力を弱体化させることを企んだ。
人間の男児は邪神の導きに従い、授けられた力を駆使して、周りの人間を誘惑し、堕落させようとした。
或る聖職者の憎悪と罪悪感を包容し、"死による救済"の道を開かせたのも、その一つに過ぎなかった。
『女神ウィステリアの使徒たる聖女がいると知って来てみましたが……まあ、なんと呆気ない』
邪神の使徒は本命たる聖女に近付くために、魔力によって聖域の扉をこじ開けた。
しかし、使徒たる少年が知るはずもなかった。
小さな聖域に押し込められた少女の素性も、守りがさほど厳重ではない事情も。
『っ――……』
瞬間、使徒の少年を魅せたのは聖域の建造美や花畑でもなく、純粋無垢な天使――のような少女だった。
純粋無垢な心を映したように真っ白でありながらも、果てなき知性と好奇心に澄んだエメラルドグリーンの瞳。
思わず少年は呼吸すら忘れて、瞳を奪われてしまった。
同時に邪神ヴラジミールが女神ウィステリアを欲してやまない理由を理解できた。
真っ白で無垢で――美しい――。
欲しい――自分だけのものにしたい――。
汚してみたい――壊してみたい――自分の手で。
邪神の使徒としてこの世に生まれてからずっと、何かに心を動かされたことのない少年は初めての衝動に駆られた。
しかし、少年の心が打ち震えている間にも、好奇心旺盛な幼い聖女は外に出てしまい――知らない少年と先に巡り会ってしまった。
決定的な瞬間を逃した少年は、暫く幼い聖女と少年を見守っていました。
仲睦まじい二人に炎らしき感情も覚えることがありましたが、最後までの辛抱と耐えました。
二人の仲を途中で引き裂き、聖女を奪うのも一興だと考えました。
けれど、その後、使徒の少年にとっても予想していなかった顛末が起きてしまいました。
『どうか死なないで――お願い――どうか』
君を壊すのは僕でないといけないのに。
まだ、君に笑いかけてもらっていないのに。
事故によって少年は死に、聖女は生死を彷徨いました。
今聖女に死なれては困る使徒の少年は、邪神から力を得て、彼女を必死に繋ぎ止めました。
邪神の力によって聖女は命を取り留めましたが、反動によって肉体年齢も記憶も五年分失いました。
けれど、使徒の少年にとっては、それでよかったのです。
『おはようございます――』
目覚めた幼い聖女の前に立てた使徒の少年は、内心必死でした。
『あなたは――?』
ようやく、無垢な瞳に映り込んだのは少年一人だけだという現実に、歓喜が内側から燃え溢れるのに。
ようやく、真っ白な手に触れて繋ぐことを唯一許される相手になれた狂喜に。
『イヴァン・グラジオスです――』
ついに、聖女を我が物にして堕落させていく物語を始められた悦びに――。
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