『愛しさは薬か毒か』④
「そのご様子では、ようやく思い出せた……ということでしょうか」
「お前……タチアナに何をした……!?」
アレクセイの登場を予期していたのか、落ち着き払った態度で迎えるイヴァン。
対照的にアレクセイは、いつになく気の立った様子で和刀の切っ先をイヴァンに向ける。
イヴァンは臆することもなく、横で伏せるタチアナをうっとりと眺めながらゆっくりと答える。
「なぁに。タチアナの緊張が少しでも解れたらと思い――」
「今すぐタチアナから離れろ――!!」
「――!」
しかし、アレクセイはイヴァンが最後まで言い終わるのを待つこともなく、彼のいる場所へ真っ直ぐ斬りかかった。
今のは間違い無くイヴァンを真っ二つにした容赦ない斬撃の――はずだった。
「どこへ――っ」
「怖いですねぇ。冷静沈着なあなたらしくもない」
「お前――っ」
斬撃を下した場所には、ただ引き裂かれて羽毛が舞う布団があるのみだった。
瞬時に姿を消したイヴァンを眼で探すと、頭上から声がした。
寝台から斜め上に離れた上空にイヴァンは"浮いていた"――まさに魔法使いのように。
瞬間移動と空中浮上という信じられない事象を目の前にアレクセイは内心驚きながらも、タチアナの安否を気にした。
「タチアナ……! 平気……!? タチアナ……っ」
「っ……! あぁ……っ!」
「おやおや……今はあまり彼女に触れてあげないほうがいいですよ……」
「お前……タチアナに何をした!?」
タチアナの肩に軽く触れて揺さぶっただけで、彼女は苦悶の声を漏らした。
顔から全身を赤く染める熱、舞台から首筋にかけて流れる汗、苦しげな荒い呼吸から、尋常ではない様子は一目瞭然だ。
上空から自分達を愉しげに見下ろしているイヴァンに向かって、アレクセイは咎めるように問いかける。
「今のタチアナは"媚薬"の力によって、身も心も溶かされたくてたまらない状態になっているのですよ」
「媚薬、だと……!?」
「私は薬の心得もありましてね」
不意にタチアナ、と床に落ちたグラス、ワイングラスへ目をやったアレクセイは瞬時に全てを悟った。
一体何の目的かは想像もしたくないが、イヴァンがタチアナに飲ませた物には催淫成分が含まれていたのだ。
そうなれば、今のタチアナの状態と反応にも納得がいく。
「やれやれ……ここへあなたが現れて邪魔をしなければ、ようやく私がタチアナを助けてあげるつもりだったのですがねぇ……」
「お前……! どこまでも下劣な野郎めが……!」
「まあ、こうして"前世の記憶を取り戻した"あなたが来た場合、どうなるのか興味深かったのでよしとしましょうか」
今にも和刀を投てきしそうな勢いでイヴァンを鋭く睨み上げるアレクセイ。
しかし、イヴァンの口から零れた意味深な言葉に引っかかりを感じたアレクセイは問いかける。
「お前は……僕の何を知っている……?」
「知っているも何も、僕が"仕組んだ"からですよ。十数年前に、"八歳のタチアナ"とあなた……否、エメーリャと出逢わせたのは」
「何を言っている?」
「おかしいとは思いませんか? 何故、夜の聖域の扉がちゃんと施錠されていなかったのか」
イヴァンに指摘された疑問点に、アレクセイは目覚めたばかりの記憶を辿る。
すると、確かに腑に落ちない点や"あり得ない矛盾点"が浮き彫りになってきた。
頭が混乱し始めたアレクセイの和刀を握る手が緩み出したのを、イヴァンは見逃さなかった。
「ようやく思い出せましたか? 現状から見える"矛盾"にも気付いたようですが……一つずつ答えてあげましょう。
聖域の鍵は……この私が開けていました」
本来であれば夜も固く施錠され、司祭によって厳重に管理されている聖域の扉はイヴァンが魔法によって開錠していた。
そのおかげで、タチアナは聖域を脱けて夜の街へ出向き、エメーリャという少年と逢えたのだ。
当然、"八歳のタチアナ"とエメーリャ少年が駆け落ちした夜もまた。
「なら僕とタチアナが出逢ったのも偶然ではないというのか」
「いいえ。聖域の外に出たタチアナをあなたが見つけたのは誤算でしたよ……あなたがタチアナと共に馬車の事故で死んだのも、ね」
「何故、お前がそこまで知っている……!? それに……タチアナは何故……っ」
「どうやら、あなたも未だ記憶が混乱しているようですから、私が教えてあげましょう」
そう言ってたおやかに微笑んで見せたイヴァンが片手をかざすと、辺り一面は白光に満たされる。
そうだった……僕とタチアナは……っ。
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