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『救済の花は血に染まる』⑦




 「乗り越える必要はないのですっ――!!」




 氷のような空気を裂いたのは、叩き出るような物音と同時に少女の叫びだった。



 「タチアナ――どうして、そんな所にっ」



 驚きを隠せないアレクセイ達の目に映り込んだのは、クローゼットから勢いよく飛び出したタチアナの姿だった。


 「タチアナ様……何故にこのような場所へ……?」


 何故、国の聖女がこの時間帯に他人の家のクローゼットから登場したのか。

 どこか非現実的で突飛な出来事に、エメーリャですら我に返った表情を浮かべる。

 しかし、今のタチアナにとっては後に弁明すべきこの状況を気にし、殺人犯に臆している場合ではなかった。



 「人が死ななければならない意味なんて――。

 人が無理して苦しんで、他の人を苦しめてまで見出すことはないのです――っ」



 目の前に現れたタチアナはエメーリャに向かって叫ぶように告げた。

 この国で最も高貴で神聖な人物、それも自分よりずっと歳下の少女の凛然とした物言いに、エメーリャは一瞬返答に窮した。

 やがて、タチアナの言葉を意味通りに理解できた瞬間に、エメーリャは問いかけるように口を開く。


 「――あなた様のような御方が何を言うのですか。

 本来であれば、"その意味"も含めて我々聖なる者達が人々を導いてやるべきでは――」



 「"大切な人の死"に意味を見出す資格を持つのは、"遺族本人だけ"です――。

 他の誰かがその意味や乗り越えることを押し付けることはあってはなりません――」



 エメーリャの傲慢を断罪するように力強い旋律が、聞く者の胸へ波紋する。

 一方、己の行為を否定したに等しいタチアナの台詞に、エメーリャの胸に怒りの火花が散る。

 火花が導火線となって右腕へ力を与えようとしていた。

 しかし、エメーリャは右手をタチアナへ向かって大きく振るうことは叶わなかった。



 「心のままに悲しむのは悪ではありません――。

 大切な人を喪った悲しみが消えることはきっとないのです――っ。

 それでも――っ」



 タチアナは泣いていた。



 エメラルドの瞳に悲しみを燃やしながら。

 けれど、エメーリャへ注がれる眼差しは怒りや憎しみでもなかった。

 タチアナはエメーリャに向かってゆっくりと歩み寄る。

 思わずアレクセイが止めに踏み出そうとしたが、何故か一歩進んだ所で動かなかった。



 「それでも――"私達"は生きているのです。

 喪った人達の想いを、彼らとの幸せな思い出を胸に――。

 あなただって――」



 無意識か否か、エメーリャは一歩後ずさっていく。

 タチアナは構わず歩み寄る。

 エメーリャは困惑を抑えられなかった。


 何故だ。


 何故、彼女は僕へ近付いて、手を差し伸べようとしている?



 「あなただって、大切な家族を喪って深く悲しんでいる子どもだったのです。

 そんなあなたの悲しみと孤独に気付き、寄り添ってくれる人がいれば、きっとあなたはこれ以上苦しまずに済んで――」



 「聖女であるあなたに僕の苦しみが分かってたまるものですか――っ!!」



 今度はエメーリャの喉底からほとばしったのは、心からの怒り――。

 目の前のタチアナ達だけでなく、今まで誰も彼の孤独と悲しみ、苦しみを見過ごしてきた者達への憎悪だった。


 エメーリャからすれば、聖女タチアナに到底理解できるはずはないと思った。


 生まれた瞬間から蝶よ花よと育てられ、慈愛に満ちた家族や周りに囲まれ、富も名声も全て恵まれた環境で生きてきた彼女なんかには。




 「私は理解したいと思っています――」



 エメーリャの台詞に臆する事も申し訳なさそうにすることもなく、タチアナは凛然と告げた。

 凶器を手にしながらまくしたてた男相手に臆する事のないタチアナに、エメーリャは言いようのない感覚に震えた。

 けれど、壁に追い詰められてタチアナを改めて見据えた瞬間、それは杞憂に終わる。

 ついに、タチアナの指先がエメーリャの左胸へ触れた。


 「私の母は本当に心優しい御方でした……。

 母が笑ってくれたからこそ、小さなことは大きな幸せに、悲しいことは小さなことになりました……」


 「あ……っ」


 「母がいなくなってから、今も私は……思い出すだけで涙が、止まりません……。

 それでも、私は"幸せ"なのです……っ」


 

 タチアナの口から零れた母親の存在、今度こそ悲しみに歪んだ表情に、エメーリャはハッと息を呑んだ。

 特に聖職者であるエメーリャが知らないはずはなかった。

 いくら聖女といえど、タチアナも年相応の少女であること。

 そして愛する母親を喪って悲しむ普通の子どもでもあることを。


 取り返しのつかない言葉をぶつけてしまった、とエメーリャは一瞬頭に浮かんだ。

 けれど、今の自分には後悔の資格はないと思った。



 「母は"私の中で生き続けている"のですから――」



 「――っ」


 「きっと今ここに母がいてくだされば、エメーリャ……あなたにも同じことを伝えたと思います……っ」



 タチアナは飛び込んだ――エメーリャの胸の中へ。


 勢い余ってエメーリャは尻餅をついてしまう。


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