『救済の花は血に染まる』⑤
『ヴァレリー・ソコロフが……ウィステリア刑務所にいる……?』
十年後――三十歳になった僕は偶然にも見つけてしまった。
かつてとは大分年取っているが、面影と陰気さの残る顔と名前は見覚えがあった。
ヴァレリーこそは、僕の故郷で指名手配にかけられていた容疑者の男だった。
僕の知るヴァレリーと刑務所にいるヴァレリーは同一人物なのか半信半疑だったため、密かに調べに入った。
『幸せそうな家族の姿を見て、許さないと思ったんだ……俺はこんな独りで惨めに生きているのに、何も苦しみもなくヘラヘラ笑いやがって……って……俺は本当に愚かで罪深い人間だ……っ』
涙と鼻汁で顔を汚らしくして泣きじゃくっていたヴァレリーの告白。
それは、この国で最も高貴で神聖なる母の前で明かされた。
『あなたは己の罪……罪を生んだものの正体が孤独であることに気付けたのです……つまり、あなたが他者との繋がりを求めていた証でもあります』
菫の花のようにさりげなく、雅やかな聖母は罪人を慈しんだ。
『あなたの罪はあなた自身が許せないでしょう……けれど、あなたには償うために生きることが許されているのです……その末にあなたが求めていた幸せも……』
罪人は己の罪深さを認め、聖母は彼を罪ごと抱擁した。
ありのままの事実はそうだった。
けれど、当時の僕の目にはヴァレリーの惨めったらしい姿が映り、耳には身勝手極まりない動機しか響いてこなかった。
"そんなこと"のためだけに、何の罪もない家族は惨たらしく殺されたなんて。
到底許せるはずがない。
『ヴァレリー・ソコロフが生きることも含めて許されるというのなら、あなたの"行為"もまた許されて然るべきでしょう』
僕は心の声の赴くままに従った。
僕のこの罪深き行為は、彼の罪によって免罪されるのだと。
女神様に代わり、遺族の僕がヴァレリーへ天罰を下した。
刑務所にいたヴァレリーを首吊り自殺に見せかけて殺害するのは容易かった。
家族の仇を取った事に、今も後悔はしていない。
けれど、それからさらに数年後に僕は思い知らされたのだ。
ヴァレリーの行為は"救済"だったのだと。
約十五年――。
常に諍いが絶えなくなった三人家族は、それぞれ違う道を歩んだ。
祖父が病死した後の孫息子は、非行に走るようになった。
恋人だった二人は、両親の猛反対によって別れを余儀なくされ、愛してもいない相手と結婚した。
仲良しだった子ども達は気の不一致から一人をいじめ、ひきこもりへ追いやった。
幼い子を連れた妻は夫の暴力に耐えかねて逃げてきた。
老夫婦は片方が精神を病んだことによって、もう片方が介護疲れの末に憎み虐げるようになった。
子どもが欲しいか欲しくないかで意見が対立した同性の二人は、いがみ合って別れた。
ああ、そうか――。
"幸せ"は永遠ではないのだ。
"その時"しか味わえない夢の果実だったのだ。
僕と家族は"幸せ"だった――。
"最も幸せな時"に終わってしまった。
"幸せが壊れる前"に死ぬことができた。
"幸せな家族"としての思い出だけを遺せたのだ。
そのために、僕の家族は"あの時"失われたんだ。
"幸せ"を"永遠"にするために――。
ようやく僕は悟ったのだ。
人が"死ぬ意味"を――。
真の信仰に目覚めたのだ。
“死”こそは、幸せと愛を永遠にするための"救い"なのだと――。
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