『救済の花は血に染まる』④
僕の国は雪に満ちる寒い国だった。
春夏でも雪の降る日はあり、寒くない時はなかった。
食料は極寒でも辛うじて育つ野菜と野生獣の肉に限られていたし、あまり豊かな国ではなかった。
それでも、僕は"家族"という温かい場所で生まれ育った。
『エメーリャ、あなたの大好きな鹿肉のスープができたわよ』
『お前は長男だからな! しっかり食うんだぞ』
いつも温かくて美味しいご飯を作ってくれた母。
僕や子ども達のためにいつも寒い中食料を採ってきて、仕事熱心だった父。
『お兄ちゃん! 私も食べたーい』
『なら、俺はこっちのポテトもーらい!』
僕を無邪気に慕い、頼りにしてくれた妹と弟。
『これこれ。たくさんあるから仲良く食べなさい』
『よかったら、これも食べなさい』
僕達を温かく包む毛糸のマフラーや手袋、帽子の編み物をしてくれた優しい祖母。
父と同様に働き者で孫達を優先してくれる祖父。
家族の存在こそは、厳しい冬の大地に生きる僕にとっての“太陽”だった。
裕福とも貧困とも言えない家庭状況で、僕も家族も満たされていた。
この幸せがいつまでも続いてほしい、と子ども心に願っていた。
けれど、僕の祈りは十一歳の時に現実ごと踏み躙られた。
『お母さん、お父さん、エヴァ、ドーリャ、婆ちゃん、爺ちゃん――』
本当に幸運で最悪な偶然だった。
その日僕は友達と雪丘で遊び暮れて、帰る頃には日が暮れていた。
しかし、僕を迎えたのは冬闇と暖炉のない寒さに凍えた家の中と――赤く冷たくなっていた家族の姿だった。
部屋中はだいぶ荒らされており、喉や身体中を切り裂かれていた家族の返り血が飛び散っていた様は惨劇を物語っていた。
警察が強盗殺人の線で調査を進め、やがて近辺で見かけたという一人の不審な男に辿り着いた。
容疑者の男は近所に住む二十代の無職であり、村人ともまともにあいさつすら交わさなかった。
男は似顔絵ポスターと共に指名手配にかけられたが、結局事件以降姿を見つけることは叶わなかった。
家族全員を惨殺された後の僕は自暴自棄になっていた。
十二歳になった僕は、全財産を手に放浪の旅へ出た。
国外の旅を決意したのは十三歳の時で、旅業者の勧めもあって行きついた場所がウィステリア聖国だった。
『ようこそ。花の楽園――"幸せ"と"自由"、そして“赦し”の国へ――』
清廉な言葉で紡がれた歓迎に、僕の胸は花のような優しさと同時に棘のような痛みも覚えた。
謳い文句の通り、ウィステリアは春のように温かく、花のように幸せに守られた国だった。
街中に満ちる教会と聖職者の数にも、聖女と聖王を崇拝している国民の慈愛と温もりも眩かった。
ウィステリアでは当たり前のように普及している、聖職者による"告解"――いわゆるカウリングセラピーに似た行為を受けたことは、僕の第二人生の一歩だった。
『あなたは何も悪くありません』
『愛する家族はきっと、あなた一人だけでも助かってよかったと安堵しています』
『あなたが自分の人生を歩み、幸せになること――それが最善の供養と冥福に繋がるでしょう』
『私があなたの家族であれば、あなたに伝えたいでしょう』
これまでずっと強く生きていてくれて、"ありがとう"――。
家族のことを想ってくれていて、"ありがとう"――。
どうか自分を責めないで――私達も悲しくなるから。
どうか"幸せ"になって――。
ウィステリアの或る教会で出逢った“或る僧侶”の言葉に、僕の心は救われた。
滝のように流れた涙と共に、僕を長年苛んでいた罪悪感も憎悪も孤独感も全て浄化されたようだった。
十六歳になった僕は、街の労働で稼いだお金と慈善活動で積み上げた実績で司祭学校に入学し、試験に合格した。
あの日、自分の心を救ってくれた僧侶のように、僕も司祭として誰かの救済に貢献する人間になりたいと思った。
さらに四年後には訓練校と別種の試験を経て、警備司祭にもなった。
あの日、大切な家族を奪われた僕自身が強く願ったからだ。
あらゆる罪悪から心だけでなく、命も守れる存在になりたいと。
『ああ、我が子を助けてくださってありがとうございます!』
小さな子どものいる仲睦まじい若い夫婦。
いつも祖父と手を繋いで歩く幼い孫息子。
純粋な恋から愛を育もうとする恋人。
無邪気に戯れ合う子ども達。
我が子を宿した妻を愛おしく見つめる夫。
互いに手を取り合って生きている老夫婦。
友情や異性愛を超えた関係の二人。
この聖なる国には幸せの花が咲いている。
司祭になった僕は色々な人々と出逢い、彼らの心に寄り添ってきた。
彼らの笑顔と幸せを守れることが、僕の幸せにも繋がっていた。
けれど、この頃は未だ若く、幸福と永遠を信じきっていた僕の心に咲いた花は引き裂かれることになる。
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