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『空色の少年』⑦


 ウィステリア孤児院に保護された赤ん坊は"アレクセイ"と名付けられ、怪我や病気もなく無事に育っていった。

 しかし、アレクセイが自我を持って言葉を発して動ける四歳の頃に、彼の異変は明らかになった。


 『僕の"本当の家族"はここにはいない』


 『けれど、どうしても"思い出せない"』


 『ぼくは誰で、家族はどこにいて、"何歳だった"のか』


 たった四歳の少年が流暢に語った言葉は、"過去の記憶欠落"だった。

 孤児院に保護された当時は二歳ほどだったため、それ以前に"本当の家族"と過ごした時間と思い出はあるのかもしれない。


 けれど冷静に考えてみると、アレクセイの発言には幾つかの矛盾点もある。

 

 例外を除き、三歳を過ぎた子どもの大半は"幼児期健忘"によって脳の成長過程でそれ以前の記憶を失う。

 そのためアレクセイが言うように、三歳以前の記憶の欠落に自覚的でそれに困惑を抱いているのは奇妙な話だ。

 しかも二歳という未だ自我が発達し切っていない段階で、自分という存在への疑問や家族について意識し、流暢に言語化できるとは思えない。

 

 さらにドミトリーの目を惹いたのは、それだけではなかった。



 「アレクセイ君はね、尋常じゃないくらい"賢くて強かった"んだよ。たった六歳にしてね」



 孤児院の先生の話から、アレクセイについても"気になる子ども"の一人として見ていたドミトリーは驚嘆させられた。

 未だ六歳で読書が趣味の物静かな子どもが、二倍歳上の少年達相手に圧勝した姿に。

 

 しかも、生まれて初めてであるはずの腕相撲と喧嘩に、たった一人で、だ。


 アレクセイには他の子どもにはない"特別な何か"がある、と確信したドミトリーは彼を警備司祭への道へ誘い、彼を引き取った。

 司祭になるための教育と試験過程で受けた知能検査では、何と同年代の子どもには通常見られない、大人並みで非常に高い知能指数が示された。

 司祭学校は主席で卒業し、試験にも素晴らしい成績で通った。


 「見ての通り、アレクセイ君は子どもでありながら大人のように立派に育った……のだが」


 アレクセイの成長を我が息子同然に振り返り、祝福しているドミトリーの表情に陰りが差す。

 ドミトリーには唯一気がかりな事があるらしい。



 「あの子にとって"家族"のように大切と思える存在がいない」



 「そんな……孤児院の先生や子ども達は……? それに叔父様もいますし……」


 「もちろん、私も孤児院の先生方もあの子を我が子のように思っている……だが、あの子の心には我々ではどうしても取払いきれない"壁"のようなものを感じるんだ」


 ドミトリーの口から耳にした"壁"という言葉は、タチアナもアレクセイに抱いている所感に近かった。

 しかも、タチアナの想像した壁は、氷のように固く冷たいものだ。

 淡い空色に曇った瞳や淡々とした声音にも、温もりが感じられない。

 理由はドミトリーの言う通り、心を閉ざしている故かもしれない。


「あの子をそうしているものは、自分を捨てた家族への失望か執着かもしれないし……もしくは賢さ故に見えている世界を共有できる相手がいない孤独感もあるかもしれない……」


「記憶がないということも……?」


「それは、どこまでが本当なのかは知らないが……」


 ドミトリーが語ってくれたあらゆる推測は、何処かタチアナにとっても胸にくるもので、アレクセイに対する親近感のようなものも芽生えた。


 家族、孤独、寂しさ、虚しさ――どれもがタチアナから"最も遠くて近い"ものだからだ。


 本当は叔父にも心配をかけたくない故に、決して打ち明けられないものだが。

 アレクセイについてここまで明かしてくれたドミトリーがタチアナに望む事は、もう一つしかなかった。



 「だから是非とも――"良き友"になってくれたら嬉しいと思う」



 正直な話、アレクセイには"口付け"に関する因縁が残っている。

 しかし同時に、タチアナにとってもアレクセイは無視できる存在ではなくなった。


 "例の件"についても、アレクセイになら打ち明けてもいいかもしれない、と思った。


 アレクセイの言葉が本当かどうか不明でも、互いにとって何かしらのきっかけになるかもしれない。


 

 この言葉に表せない何かしらの"ループ"から解放されるために。




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