『空色の少年』⑥
「久しぶりだねぇ、タチアナ」
午後の聖域でアフタヌーンティーを満喫していたタチアナを訪れたのは、彼女の叔父ことドミトリー・ウィステリアだ。
王の弟という立場で普段から各地の孤児院の慰問や管理、街の視察、外交等の公務に携わっている。
さらには国教会の警備部では、アレクセイの上官をも務めている。
昔から気さくでタチアナ達姉妹を気にかけてくれる優しい叔父には、タチアナも信頼して懐いている。
「お久しぶりです、ドミトリー氏」
「アレクセイ君も元気そうで何よりだよ。タチアナはこう見えても好奇心旺盛でお転婆な所があるから大変だろう?」
「もう! 叔父様ってば」
「それはもう。この通り」
「アーリャも! 何を言っているのっ」
「はっはっは。アレクセイ君とも二人で仲良くしているようで安心したよ」
昔からの付き合いだからか、タチアナの性質をよく見抜いている叔父の台詞に彼女は恥じらいを表す。
一方でまだ会ってから日の浅いアレクセイにもすっかり見透かされ、敬意はカケラも感じられない返答だ。
顔を赤くして震えるタチアナとは対照的に、叔父は愉快そうに紅茶とマドレーヌを口にする。
「そういえば聞いたぞ、タチアナ。最近巷で騒がれている"連続事件"の事について調べているそうだな」
三人で卓上を囲って紅茶を嗜んでいる最中、ドミトリーが唐突に出した話題にタチアナはピクリッと肩をすくませた。
タチアナがアレクセイの協力の下、独自調査や街への聴取を行なっている件を隠しているつもりはなかった。
それでも、わざわざ叔父のドミトリーからその話題を出してきた意図を想像し、タチアナは冷や汗が流れそうになる。
しかも、口に出していない通り、今回の事件は"殺人"であり、故に危険極まりない。
これ以上の踏み入った調査に、叔父や父王が反対する可能性は高い。
「ははは。そう身構えずともよい。別に叱っているわけではないんだよ、タチアナ。王家の者として、世情に関心を寄せるのは悪い事ではない。何よりもアレクセイ君という心強い味方もいる……ただ」
肩に力の入ったタチアナの不安を察してか、ドミトリーは穏やかな笑みで話し続ける。
「聖女としてだけではない……タチアナもまた私達の"家族"として大切な存在だ……故に危険な真似だけはしないでおくれ……信じているよ……」
穏健なドミトリーの瞳に真剣な色が宿っているのを確認したタチアナは、不意に罪悪感に似た気持ちが湧いた。
恐らく病弱な姉アナスタシアに、肺病で亡くなった母ヴァイオレットの件があるからだろう。
ドミトリーが強調する"家族"という言葉から、これ以上大切な身内を失いたくないという願いが込められていた。
叔父は半端自覚的か否か。
露骨な叱責や詰問、禁止の言葉よりも"無条件の信頼"を寄せられる方が、タチアナのような相手に響くものだ。
「……だってさ、聖女様……」
「……アーリャっ」
一方タチアナの動揺に水を差すように、アレクセイが皮肉の眼差しと呼びかけをする。
タチアナの後ろめたさとその理由を唯一知っているアレクセイの態度に、彼女はまたしてもムキになる。
アレクセイを制するように彼を睨みつけながら、爪先を彼の脛に当てていると「どうした? タチアナ」、とドミトリーは問いかける。
自分を案ずる純真な眼差しと声かけに、タチアナは「何でもありませんわ」、と慌てて首を振る。
本当にどうして、こうなったんだろうか。
一体どこで自分は選択を間違えたのだろうか。
聖女なのに、結果的には家族に"秘密"を作ってしまい、それを守るための"嘘"も吐かなければならなくなった。
よりによって、自分を心から心配し、信頼してくれる家族を裏切れるほど、精神強くないよ……。
「悪いがアレクセイ君、三十分程席を外しておいてくれるかな? 私とタチアナの二人だけで話したいことがあるんだ」
今にも萎れそうなメンタル状態のタチアナを追い込むような叔父の提案に、彼女は冷や汗を止められない。
まさか、これは不味いのでは?
「仰せのままに」
当然ながら恩師であり上司に等しいドミトリーの言葉に従い、アレクセイは静かに頭を下げて立ち去ろうとする。
できれば、置いていかないでほしかった。
遠ざかっていく華奢な背中に絶望感を覚える中、タチアナは観念したように両手を握り締める。
「急にすまなかったね、タチアナ。アレクセイ君に席を外してもらったのには、理由があってね」
「は、はい」
「そういえば、君には未だ話していなかったからね……アレクセイ君のこと……彼が"記憶を喪っている"ことをね」
「……!」
ドミトリーの台詞から、タチアナは全てを悟った。
叔父はアレクセイの出自――書類上には明かされていない大切な事項について、タチアナに知ってもらうために来たのだと。
タチアナの真剣な眼差しから、ドミトリーはある程度察した表情を返す。
「確か、アレクセイは"何も無い"と言ったんです……家族も過去の記憶も……でも、それはどういう……?」
「なるほど……一応アレクセイ君の口からそう零したのなら……やはり、タチアナにはちゃんと話してもいいと思う」
詳細は不明なままとはいえ、アレクセイの現状を示すには十分過ぎる言葉に、ドミトリーは納得したように頷く。
実の所、内心のドミトリーは驚きと同時に喜びも灯していた。
基本は他人に無関心なアレクセイ少年が、事件の独自調査に関わり、護衛相手に軽口を叩けるほど親しみを表した事に。
今までのアレクセイには見られなかった変化に、ドミトリーは何かしらの兆しを感じ取っていた。
さらに、姪のタチアナこそはその“鍵”になり得る事にも。
改めて決意を固めたドミトリーは、タチアナに向かって静かに語り始めた。
「ウィステリア孤児院の前に捨てられていた"二歳くらいの赤ん坊"が、アレクセイ君だったんだ――」
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