『空色の少年』⑤
最初から僕には"何もなかった"。
愛すべき家族や人間も。
過去の記憶も未来への感情も。
物心着いた頃には、僕は孤児院で生まれ育った。
孤児院には僕と同じように家族を喪ったか、もしくは親に捨てられた孤児がいた。
けれど、どこか特殊だった僕は他の子ども達に馴染めず、いつも遠くから彼らを静かに眺めていた。
孤児院の僧侶や修道女達はそんな僕を心配してくれたが、僕自身は困ったり寂しさを感じたりはしていなかった。
一人で空を眺めることも、子どもには分厚い本の文字を読むのも嫌いではなかった。
それに不思議と僕は"強かった"。
『おい。お前、いつも一人で何読んでいるんだよ』
ある日、同じ孤児院で暮らす十二歳の男の子と取り巻きに喧嘩を売られた時の事だ。
未だ六歳だった僕は何が起きたか最初はよく分からなかったが、読書中の本を取られてしまったのだ。
『本の続きを読みたいのですが。どうしたら、返してくれますか』
当時の僕には怒りや苛立ちもなく、ただ純粋に本の続きが読みたかった。
僕の静かな問いかけに対して、男の子は「腕相撲で俺たちに勝てれば返してやる」と答えた。
僕は彼らの誘いに乗り、腕相撲の勝負に臨んだ。
『君強いねぇ。よかったら、私の元で警備司祭を目指してみないかい?』
孤児院へ週に一度訪問してくれるドミトリー氏という壮年男性は、僕へ警備司祭の道へ勧誘してくれた。
たった六歳の僕が片腕一つで歳上の子ども達を薙ぎ倒したのを見て、見込みがあると読んだのだ。
僕が十二歳に達した後、ドリドリー氏は僕を彼の別宅で居候させてくれた。
以来、ドミトリー氏直々に教育指導を受け、学校でも警備司祭に必要な知識と技術を叩き込まれた。
そして十三歳の誕生日を迎えた僕は、警備司祭の試験に一発合格し、一年後には功績が認められたことで警備司教への異例の昇進を果たした。
それでも、僕の中身は空っぽなままだった。
女神ウィステリアの教えを学び、道となるべく警備司教として精進を怠らなかった。
それでも、僕は何一つ思い出せないままだった。
結局、自分は何者なのか。
自分は誰から生まれて、どのように生きてきたのか。
自分にとって何が"大切"だったのかも。
『君に"ある少女"の護衛を頼みたいんだ』
さらに一年後、僕が十五歳になった年に、ドミトリー氏は"秘密"を明かすと共に"依頼"を申してきた。
『彼女は、僕の兄の次女であり、純真で優しい熱心な娘だから放っておけなくてね』
ドミトリー氏の姪に当たる少女の話と同時に、最近巷を震撼させている連続殺人事件について聞かせてもらった。
要するに物騒であるため、姪を守ってほしいというわけだ。
有難いと言うべきか否か、ドミトリー氏は僕を高く評価し信頼しているため、大切な姪を預けられるとのこと。
正直な所、半分は光栄で畏れ多く、残り半分は所謂"緊張感"を覚えた。
とりわけ、その姪の素性を考慮すれば、決してしくじることは許されない。
ドミトリー氏に色々便宜を図ってもらい、"鍵"を渡された僕は彼の姪に会いに行き――。
『よろしくね、アーリャ――』
この時の僕は未だ想像できていなかった。
彼女に惹かれていく自分の未来を。
そして、彼女こそが僕にとっての"鍵"となってくれるのを。
*