『空色の少年』②
「それで、これからどうするの?」
「犯人の動きを探る。殺害に失敗した犯人が次に出る行動は、恐らくロードデンドロン家を再び狙うか……もしくは」
アレクセイの指が、地図に描かれたアザレアストリートの西隣を示したのを見たタチアナは、容易に察することができた。
「ウィステリアストリート――五番目の標的を狙うかもしれないってこと?」
「その可能性は高い――ただ、それはそれで、やはり分からなくなる」
「何が……?」
「犯人の"目的"――殺人の動機だよ」
タチアナも内心気がかりであった事。
殺人の目的、殺すのが彼らでなくてはならなかった理由は何なのか。
「狙われた四組の素行や人間関係についても調べてみたけれど、特に何も見つからなかったよ」
「ええ。皆様は本当に"善良"な方々ばかりで、人の恨みを買うような事はないと思うけれど」
「そうとは限らないよ……もしかしたら"善良"で"幸福"な彼らにこそ、嫉妬や羨望に駆られて理不尽な"憎悪"を向ける人間も世の中にはいるから」
アレクセイは忘れていても、不思議と憶えていた。
人間はいかに不合理な感情を宿し、それを理不尽に他者へ燃やすのかを。
それもまったく予期せぬ方向へ歪んでいくことを。
「……アーリャは優しいのね」
「……僕が……? どうしたらそんな風に見えるの?」
タチアナは柔らかく微笑みながら呟いた。
普段は日向のような表情が、どこか寂しそうに陰っていたのは気になる。
しかし、アレクセイは見えなかった事にして、訳分からなさそうに返答した。
反してタチアナはアレクセイの瞳を静かに覗き込みながら微笑む。
「だって、人の心をよく見ているもの……人の悲しみも寂しさもよく分かる人は、優しいから見えるのだと思う……お母様もそうだったわ……」
「君のお母さんは……」
「私が七歳の頃に病気で亡くなったわ……」
タチアナの口から告げられた事実に、アレクセイは他にかける言葉もなく「そっか」、とだけ答える。
普段は他人に無関心なアレクセイも、漠然とした居心地の悪さを覚える。
最中タチアナは花びらをひとひらずつ零すように、ポツポツと語り始める。
「聖女だったお母様は、誰からも愛された心優しい方だったの……」
タチアナの母・ヴァイオレットは、善良な市民だけでなく"罪を犯した民"にも寛容な、まさに"聖母"そのものだった。
ヴァイオレットは自らの足で街へ赴き、民と語り合い、貧しき人々へ手を差し伸べた。
とりわけ異例だったのは、刑務所にいる罪人一人ひとりとも対話を繰り返していた事。
しかもヴァイオレットの取り組みは、一般信者のように女神ウィステリアの教えを説くものに留まらなかった。
「お母様は罪人の想いや辛かった幼少期に最後まで耳を傾け、その人の悲しみや苦しみをありのまま
受け止めるの……」
「……」
「そしたら、その人の"本当の願い"は引き出されるの」
ヴァイオレットと言葉を交わした罪人のほとんどは、罪の意識を芽生えさせ、回心や贖罪を目指す者が生まれた。
聖母ヴァイオレットの功績は、忘れられがちだった"孤独の罪人"にも目を向けたことであり、国の犯罪率と再犯率を大幅に低下させたことだ。
またヴァイオレットは法制度の一部改正にも貢献し、罪状や個人の適性に応じて罪人にも聖職者へ転身する資格を与えた。
さらに“不浄者”の定義から“罪人”の文字を削除したのである。
まさに、全てを抱擁する女神ウィステリアの体現たる実践をしてきたのだ。
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