『アザレアナイト』⑥
あの好奇心旺盛な聖女を巻き込めば、彼女が面倒事へ首を突っ込もうとするのは予測できた。
夕方前、アレクセイは早々にタチアナを安全な聖域へ帰し、一人で改めて事件に関する資料を分析した。
そのうえで部下の司祭達と警察とも打ち合わせし、ある人物の護衛を急遽する事となった。
「皆様、どうぞ今宵は美しい夜のアザレアと共に歌をお楽しみくださいませ――」
カテリーナ・ロードデンドロン。
可憐で鮮やかなシャクナゲを彷彿とさせる美貌と歌声で定評のある、有名な人気歌手だ。
アザレアストリートの恵まれた家庭で生まれ育ったカテリーナは、持ち前の美声と歌の才能、天真爛漫な美しさで街の人々を魅了した。
カテリーナと歌の評判は街の外にまで及び、アザレアストリートは一気に人気観光地にまで栄えた。
カテリーナはウィステリアの街の繁栄と人々の幸福へ貢献したとして『ルピナス賞』を授与された。
ルピナス賞の証として、受賞者には賞状と"昇り藤"の金のブローチが与えられる。
カテリーナのドレスの胸元で煌めくブローチも『ルピナス賞』の証だ。
"例の三人"と同じように――。
そう仮定したアレクセイは事件のあった付近の他のストリートの観光情報、そして有名人について洗い出した。
結果、次に狙われる人物を数名程特定し、各地へ警察と部下の司祭を遣わせた。
数名の内、特に今夜にでも標的にされる可能性が最も高そうなカテリーナ――アザレアストリート・ライブを開催する彼女の護衛として同行していた、のだが。
「カテリーナ様の夜のライブをこの目で直接見られるなんて……夢みたいでよかった……っ」
「そこまで喜んでいただけたのなら、私も誘った甲斐があります」
カテリーナの歌ライブ会場の一つである『パブ・アザレア』という夜は酒場になるレストランへ赴くと、そこには何故か一般市民に扮したタチアナがいたのだ。
しかも、タチの悪い観光客に絡まれに行っていた挙句、それも隣には謎の僧侶らしき男がいる。
聖域で大人しくしているはずのタチアナが一体どうやって城を抜けて、夜の公共場に来ているのか、色々と問い詰めたいことはあった。
タチアナの言い訳も苦しいし、何よりもイヴァンという優男風の聖職者を何となく信用できなかった。
それでも今のアレクセイには優先すべき任務があるため、タチアナと男の件は一旦保留にすることにした。
尋問も説教も聖域に戻ってから、いくらでもできるのだし。
それにしても。
「実は今夜カテリーナ・ロードデンドロンの歌ライブが、ここでも催されるとお聞きし、是非ご一緒にと思ったのです」
「ありがとうございます……イヴァン様……私、本当に嬉しいです……カテリーナ様の歌が好きでレコードも持っていますので……」
「私とは音楽でも気が合うようですね。私もカテリーナの讃美歌さながらの澄んだ歌声とメロディ、ロックもバラードも鮮やかに美しく歌う彼女を尊敬していまして」
アレクセイの存在を忘れて、二人だけの世界ですっかり歌手の話題で盛り上がるタチアナとイヴァン。
ピアノを演奏しながら歌うカテリーナの斜め後ろ離れた位置から監視しているアレクセイは、観客席にいる二人にも視線を送ってしまう。
「せっかくなので、気を取り直して注文いたしました」
「まあ、よろしいのですか。ごめんなさい、あの時グラスを落としてしまって」
「いいのですよ。今度はあなたの勇敢さと優しさに乾杯しましょう」
いけない。今の僕はカテリーナ・ロードデンドロンの護衛だというのに。
それにしても、タチアナも意外な一面もあるのだな。
まさか城を無断で抜け出して、しかも男と一緒に夜遊び――さらに聖女は原則聖水以外の飲んではいけないお酒まで口にしようとしている。
いや、何で僕が気にしないといけないわけ?
冷静沈着であるはずのアレクセイだが、二人の仲睦まじさに加えてタチアナの呑気さに、初めてと言っても過言ではない苛立ちも覚え始めた。
「君はダメだろ」
「え」
「おや」
気付けばアレクセイはタチアナが摘んでいたカクテルグラスを素早く奪い、自身の喉奥へ一気に煽った。
アレクセイの奇行にタチアナは愕然とし、イヴァンは双眸を丸くした。
「何するのっ」
「非行を働こうとするタチアナが悪い」
「あなただって飲んだらダメでしょ!」
珍しく声を荒げるタチアナに、アレクセイはベーッと舌を出して嘲る。
普段は温厚で能天気なタチアナが表情を変えるのは、何だか面白くて良い気味だ。
「君に言われたくない。僕もここにいる以上、君は大人しくしていなよ」
「大丈夫なの!?」
「君と違って僕は平気だよ」
怒りから打って代わり、今度は心配の声をかけるタチアナはやはり阿呆なお人よしかもしれない。
幸いと言うべきか、ティー・アザレアは一杯だけなら比較的アルコール度数が低く、酒に弱い人や初心者でもあまり酔わないで飲める酒だ。
そのおかげか体質的なものか、未成年のアレクセイが飲んでも体の芯が温まるくらいで酔った感覚はなく、任務には支障ないだろう。
一方のタチアナは慣れないお酒を飲めば、酔っ払ってしまうかもしれない。
想定しうる危険な状況で、それはできれば避けたかった。
そう、例えば――。
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