『アザレアナイト』⑤
聖国ウィステリアは"自由と幸福"の理想郷。
女神ウィステリアは全てを抱擁する。
貧しきも富も良しとされる。
全ての民は愛される。
か弱き子どもや老人、障がいある者も愛護される。
罪ある者には赦しと導きを与えなさる。
異国の者をも歓迎なさる。
異端者を異端とはみなさない。
唯一、愚かなる"不浄者"を除いて――。
*
無感情な碧い瞳に深く見つめられ、凛とした気迫に圧倒されながら、タチアナは動揺を零した。
「どうして、あなたがここに……?」
「それはこっちの台詞だよ。"非行"の聖女様」
自分の護衛として任命されている少年――アレクセイに詰め寄られたタチアナは返答に窮してしまう。
「まさか聖女様がこんな夜に城から抜け出して、酒場に来ているなんてね……しかも"男の人"と一緒とはね……」
タチアナが反論する余地すらないと理解した途端、アレクセイは無感情な声色のまま容赦なく責め立てる。
冷や汗を流したまま凍りつくタチアナの隣でキョトンッと佇むイヴァンをジロリッと見上げる。
確かに状況を見れば、アレクセイの言葉に間違いは一つもなく、品行方正であるべき聖女の不徳行為は言い逃れようが無い。
どうしよう。
イヴァンとの秘密の逢瀬、夜の世界の散策にすっかり夢中になり過ぎていた自身の不徳と軽薄さ。
何よりタチアナが恐れたのは――。
「どうか、タチアナをお許しいただけませんか? 今宵の彼女は私に義理立てしてくださったに過ぎないのですよ」
困った眼差しで沈黙するタチアナの代わりに、イヴァンがにこやかに弁明する。
なるほど、それならタチアナはただイヴァンへの感謝と礼に付き合っただけに過ぎないと言える。
二人の間へさりげなく口添えしてきたイヴァンを、アレクセイは「へぇ」っと見つめ上げる。
冷ややかに霞んだ眼差しからは、イヴァンに対する感情や所感も読めそうにない。
「そ、そうなの。でも、この方はただ……夜のアザレアを見てみたいという、私の細やかな我儘を聞いてくださっただけで……」
タチアナもまたイヴァンを庇う物言いに、彼は双眸を丸くし、アレクセイは無言になる。
イヴァンの言葉を鵜呑みにするのであれば、タチアナに非はない。
しかし、そもそも普段は城の聖域内で厳重に守られている立場であるタチアナを人知れず、しかも夜の酒場に連れて来ている状況の時点で言い訳も苦しい。
下手すればイヴァンの方が、第二聖女を無断で連れ出した不届き者として罰せられる可能性は高く、タチアナは恐れていた。
「……そう……何か理由があるみたいなら、いいけど……」
一方、二人の弁明を耳にしたアレクセイは逡巡していたが、それ以上の追求を止めた。
イヴァンに関しては彼の名前や素性を問う事すらせず、興味が失せた様子だ。
存外あっさりと引き下がったアレクセイの落ち着いた態度に、タチアナは拍子抜けすると同時に安堵する。
アレクセイは二人に向かって踵を返しながら、静かに呟いた。
「僕もこれから用事があるしね」
「そういえば、あなたは何をしにここへ?」
タチアナが抱いていた純粋な疑問に対して、アレクセイはある人物に歩み寄った事で示した。
*