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『アザレアナイト』②


 タチアナの姿勢を確認したイヴァンは、花畑の中央に出ると何かを唱えた。



 「――」



 そう、タチアナだけは"知らないけど知っている"。



 イヴァンは――"魔法使い"なのだ、と。



 外国語でもない不思議な呪文を唱えた瞬間。

 

 タチアナを抱えるイヴァンの体は空中に浮かび――水晶壁の天井を音もなく通過していった。


 これこそ、イヴァンの秘密の一つであり――タチアナの聖域を出入りできる理由そのものだった。


 イヴァンの胸の中でタチアナは直近の星空から、足下に広がる夜明かりの街を眺める。


 「やっぱり夜の街も綺麗ね……キラキラしているわ……」


 「タチアナは怖くないのですか」


 「いいえ。空を飛べるなんて、ワクワクするわっ」


 タチアナの中では高い所から落ちたらどうなるのか、地に足がついていない不安定さや恐怖という発想はないらしい。

 好奇心の方が優っているタチアナの無邪気な笑顔に、イヴァンも自然と笑みを零す。


 「やはりタチアナは勇敢ですね……そう言っていただけると、連れて行く甲斐があります」


 やがて人気の無い夜闇の路地へ舞い降りたイヴァンは、タチアナを横抱きに抱えたまま明るい表道へ近付いた。

 人前に出る寸前、タチアナは自分が未だお姫様さながら抱き支えられている体勢を思い出した。

 我に返った表情で頬を染めるタチアナは、イヴァンへ遠慮がちに告げる。


 「ここで大丈夫ですっ」


 「ああ、失礼致しました。先ずは……目立たないようにするための"お守り"を差し出しますね」


 イヴァンが宙で指をパチンと鳴らすと、夜の星空で染めた様に藍色の上質なフード付きマントを出してくれた。

 イヴァンはマントをタチアナの両肩へ羽織らせ、首元から胸元のリボンを結んでくれた。

 ルビーさながら赤い眼差しの輝きに見つめられ、息遣いを感じてしまうタチアナはまたしても胸が高鳴っていた。


 

 「ようこそ、タチアナ。"夜のアザレア"へ」


 

 暖かな(オレンジ)色の灯に照らされながら、艶やかに舞うツツジの花々。


 鮮やかな赤紫色、眩い純雪色、可憐な桃色の花びらの三重奏が織り成す“アザレアストリート(ツツジの道)”。


 ツツジの花壇と並ぶ様に連なる屋台には、ツツジに因んだ名物の甘い蜜ジュースや焼き菓子から、花飾りのアクセサリーやインテリアまで煌めいている。


 街も小さな子連れの家族から若い恋人同士中心の旅行者と地元民の笑顔に溢れており、雰囲気も明るい。

 ウィステリアという国は全体的に治安も良いため、街によっては夜でも安心して歩ける場所もある。


 「こちらへどうぞ」


 タチアナがイヴァンに優しく手を引かれて案内されたのは『アザレア』という赤煉瓦に深緑屋根のレストランだ。

 昼間は『ガーデン』という喫茶店、夜間は『パブ』という酒場の看板をかけているお洒落な雰囲気が人気らしい。

 タチアナも以前、視察時に立ち寄ってアフタヌーンティーセットを満喫した事はあった。

 しかし当然、夜に出歩いてお酒を飲んだことのないタチアナにとっては、未知に煌めく世界だった。


 「いらっしゃいませ。ご予約されていたグラジオス様ですね。どうぞこちらへ」


 イヴァンは準備がよく、事前予約をしていたため、タチアナは二人きりで楽しめる個室らしい席へ案内された。

 アンティークらしき焦げ栗色に艶めく上質なテーブルと椅子に、見事なアザレアの刺繍絵画、レース模様の立派な仕切りに淡い蝋燭のランプが揺らめく。

 昼間の喫茶とは異なる幻想的な姿、ロマンチックな雰囲気は、タチアナの胸を鷲掴みにした。


 「ありがとうございます、イヴァン様……まさか夜の『アザレア』に来ることが叶うなんて……」


 「喜んでいただけて何よりです。もちろん、それだけではありませんよ」


 "約束"通り、あなたにお勧めのカクテルをご用意させますね。


 イヴァンはメニュー表を広げて一瞥してから、店員を呼んで軽やかに注文を済ませる。

 当然ながらお酒に関する知識も経験も皆無なタチアナに配慮してくれたのを感じて、また胸が熱くなった。


 「イヴァン様は、よく夜にここへ来られるのですか」


 「いいえ、ここには一度だけ来たことがあるくらいです……タチアナが好きそうな雰囲気とお酒かどうか確かめたくて……二回目は、是非ともあなたと二人で来たいと思っていました」


 「そうなの、ですね……」


 イヴァンはタチアナとの約束を果たすために、わざわざ彼女の気に入りそうで過ごしやすい酒場を探し、下見や予約までしてくれていたのだ。

 タチアナは純粋に嬉しい反面、他の酒場にはよく行くのか、一人かそれとも誰かと行くのかも不意に気になってしまった。

 深く訊いてみていいものかどうか逡巡している間に、二人分のグラスが運ばれてきた。




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