第三話『聖女様の独自調査』①
クリサンセマムストリート――。
高潔な美しさに色づき、癒しの力を宿す細い花びらを咲かす。
菊の花が満ち咲いている一軒の診療所は、まさに相応しい場所だった。
菊の花さながら高潔で善良な主は、患者の長寿へ貢献してきたが、もうこの世にはいないのだ。
「警察の方々にも話しましたが、そういった話も患者様も特には……」
「力になれず、申し訳ございません」
「いいえ。こちらこそ、辛い中貴重なお話を聞かせていただき感謝しております……心からお悔やみ申し上げます」
申し訳なさそうに頭を下げる看護師達に、タチアナは慌てて首を横に振る。
「どうか、お祈りを捧げる事を許してください」
タチアナは一度敬礼をすると、慈愛と憐憫を溶かした眼差しで両手を合わせる。
「まあ……ありがとうございます……あなた様に祈っていただけるとは、何と光栄でしょう」
町娘らしい素朴な身なりであっても、清廉なる存在だと察しの付いている相手は双眸を、潤ませながら手を合わせる。
小さな祈りの儀の後で、タチアナ達は診療所の扉から外へ出る。
途端に肩を静かに落とすタチアナに、護衛のアレクセイは溜息を吐いた。
「言ったよね? これ以上、君にできることはないって」
「でも……」
「捜査の専門家である警察ですら未だ分からない事を、素人の君が聞いて分かるはずないと思うけど」
静かな正論を述べるアレクセイに、タチアナは口を噤むが、彼女の歩みも瞳の力も未だ潰えない。
タチアナは今、公務で町の視察をする名目で、密かに事件の痕跡を辿ろうとしている。
そのために先ずは、クリサンセマムストリートにあるキャラウェイ診療所を訪ねたのだ。
そのため、今回は町娘と同じ装いのくすみ色の簡素なワンピースとスカーフを纏っている。
それでも、くすみ茶色に染まっても未だ美しい白薔薇のようなタチアナの可憐さは隠せるものではないが。
「こんな事をして、一体何の意味があるの」
アレクセイが事件を話題に出した事を皮切りに、タチアナは彼へ"協力"を申し出た。
タチアナとアレクセイの二人で事件の"独自調査"をする事だ。
「聖女様が公私混同していると、民も余計に不安になるだけじゃないの」
アレクセイの出した答えは"邪魔はしない"との事だった。
護衛の仕事という名目でタチアナの傍には付くが、"危険"から守るという意味では積極的に協力するつもりはないらしい。
凄惨な殺人事件を調べる行為は、犯人の痕跡を辿るのとイコールであり危険が伴う。
「それでも、私は諦めたくないの」
アレクセイに難色を示されても、タチアナの決意は揺るがなかった。
「それに、今はあなたがいてくれるもの。きっと大丈夫よ」
タチアナの屈託ない微笑みと台詞に、アレクセイは意外そうに瞬きを繰り返した。
「……どうして、そこまでして……しかも、僕を信用しているの」
「だって、あなたは口が冷たいようで、本当は優しいと思うの。私の傍にいてくれているし」
護衛として傍にいるのは至極当たり前の事のようだが、タチアナにはアレクセイから感じ取れるものがあった。
アレクセイ自身は調査に消極的ではあるが、他の司祭へ告げ口することもなく、タチアナを放っておくこともしない。
タチアナの傍にいる時は、常に周りへ気を配り、決して目や手の届かない位置へ一人にはしない。
何よりタチアナにとって嬉しいのは、アレクセイが立場を超えて自分の意見をハッキリと伝えてくれる事だった。
「タチアナは変わっているね……誰もそういう事は言わないのに」
「そうなの?」
「僕はただ仕事をしているだけだよ」
「それでいいの。アーリャがいてくれるだけで心強いわ」
アレクセイは職業と性格柄、むしろ「冷たい」だとか「怖い」「厳しい」といった印象を受けられる方で、そういった視線や陰口は後を絶たない。
しかし、自分でも冷徹と認めているはずのアレクセイ自身も、内心密かに戸惑っている。
タチアナの諦めの悪さに呆れながらも、何故だか邪魔したり強く反対したりする気持ちにもなれないのだ。
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