9.違和感
本日9話目の投稿です。
カイル一行は、森の様子を確認するため、牧場の方へと歩き出した。昼間は放牧された牛や羊がのんびりと草を食んでいるのどかな場所で、それに比例して人影が少ないことから、身内だけでの話にはいい場所であった。
石垣と木柵が、人と人外の領域を隔てていることの象徴のようだ。
森はどこまでも豊かで、全ての命を育んでいる。ただ一つ、人間の命を除いては。
魔物は、人以外を襲わない。瘴気で命を奪うことはあるが、魔物は他の生き物を目に映してもむやみに襲うことは無いのだ。だから、辺境の地では、人界と外の領域の境にこのように牧場のような生き物の盾を作る。
腹ぐらいの高さの石垣に腕を突いてジークが森を眺める。その壁に寄りかかるようにして、エルとアルノーは座り込み、クルトは石垣の上に胡坐をかく。それを見ながらカイルはこれまであった事を、仲間に端的に話した。
「なるほどねぇ。『不幸』の呪いは確かにえげつないって聞いたことがある」
クルトが胡坐に肘を突いて、その手で頬杖を突いて言う。
仲間も、度重なる事故に不審を抱いていたところだった。ただそれは、誰かが目撃する表に出るような事故だけであって、カイルが黙って甘受しているような事故は仲間が予想していたより多かったようだ。
魔物でもかなりの上位に位置する死霊の王が命を掛けた呪いは、執拗な上強固で、大神官と呼ばれるエルをしてでも祓うこと出来なかった。うっすらとその存在は分かるのだが。
もちろんカイルの治癒魔法でも無駄だった。
「それで、『女神の泉』を探してここに来た訳か」
ジークが伸びをしながら森の奥を、目を眇めて見た。
「何かの文献で見ましたが、確かにこの近くにはその伝説が残されていますね」
アルノーは、夏の日差しを見上げて、フードを深く被った。
「ごめんね、カイル。私が聖女だったら、その呪いを解けるんだけど」
エルは殊勝にそう言って落ち込むが、「聖女」は勇者とは違って、歴代数名しか確認されていない存在だ。聖属性と癒しに特化し、狭間の谷級の瘴気でも一人で浄化できるほどの力があるとされている。常に四方世界に存在する勇者よりも余程伝説の生き物に近い。
神官の思いやりを受け止めて、カイルは軽く首を振る。
「でも、本当に水臭いよな。そんな大切な話を隠して、って、まあ気持ちは分かるけど」
クルトが文句を垂れるが、それは自分に置き換えてみて同じことをしないという考えにはならなかったようで、呆れ半分に同意する。
あの時、たまたま死霊の王に止めを刺したのがカイルだっただけで、この一行の誰が呪いを受けてもおかしくは無かったのだ。皆それぞれが、次の攻撃がいつでも放てるような状態だった。それをカイルだけが負ったことに罪悪感を覚えることはあっても、カイルを疎ましく思うことは絶対に無いことだった。
「そういえば、まだ問題があったんだよな」
クルトはつい今ア思い出したとばかりに言った。
「ああ、組織は我々を追ってくるでしょうね」
アルノーは、明日は雨が降るでしょう、くらいの軽さで受ける。
組織を見限って、無断で出てきたのだ。事情を聴くにしても粛清にしても、いずれは何らかの動きがあるものと思っていた。
自由組織が戦士を送り込むか、騎士団を動かすか。恐らく、今自分たち一行に匹敵する戦士は組織内にはいない。とすると、騎士団から精鋭が向けられる可能性が高い。
何にしても、カイルの不調を薄々知っていたにも関わらず、黙殺しようとした組織は体裁が悪い。それを整えるために、カイルの非をでっち上げる可能性もある。それに、勇者のみならず、一行まで姿を消したのだから、相応の理由がなければ追手が掛かるのは間違いない。
「ま、それはそれで、要は『女神の泉』さえ見つけちまえばいいんだよな。遺跡を取り戻せば、誰も文句言えなくなるし、カイルの呪いも解けて一石二鳥だ」
言われればそのとおりだ。遺跡を迷宮から取り戻すことは、人間世界においては最重要事項であり、そのためになら多少の不良行為は黙認されるのだ。
「もちろん、一緒に行くだろ?」
同意を求めるようで、クルトの声は決定事項のように聞こえた。カイルはもう首を横にふることは出来なくなり、苦笑いを浮かべて「すまない」と謝る。
自分のどこを気に入ってくれているのかカイルには分からないが、幾度も死線を潜り抜け、その度に互いに背中を預けてきた。きっと一行の誰もがそういうことなのだと思う。
「ところでお前、ここに来てどれくらい『不幸』が起きた?」
ジークが森から目を離して今度は牧場の方を見る。
「狭間の谷から帰る時には、多い時だと半日に一回はあっただろう。『事故』が」
よくも律儀に覚えているものだ、と思ったが、言われてみてハッとする。そう言えばここにきて四日目だが、そうした『不幸』は一度もない。あの道を見失いそうになった嵐が最後だと思う。
「そう言えばそうですね。私も単なる『事故』にしか思えない事も、あれだけ続けば何かキナ臭いと思ったくらいですからね」
「治ったとか?」
「クルト、呪いは病気じゃないのよ。馬鹿なの?」
「エルに面と向かって馬鹿と言われると、正直凹む」
好き勝手なことを言う他の三人を尻目に、辺りを見回していたジークもようやく安堵の息をつく。どうやら槍聖の目を持ってしても、『不幸』に繋がる危険は見当たらなかったようだ。
「とくかくだ。今、何が原因で小康状態になっているのか分からないうちは、呪いはあるものとして行動しないとな」
カイルは無言で頷く。この穏やかな時間は無限ではないことは百も承知だ。
「あ、もう一つ変なことに気付いたんでした」
そう言って、「はい」と手を挙げるアルノーに、クルトが「はい、どうぞ」と促す。
「あの村長ですが、おかしなことを言っていましたよね」
「あの家族全体がおかしかったと思うけど」
エルがボケているのかツッコんでいるのか分からない茶々を入れる。それを「お黙りなさい」とアルノーがピシッと制する。
「あの親父、『迷宮』の付近には未だに魔物が徘徊しているって言ったのに、『村人は誰も』ここ数年は行っていないと言っていましたよ。誰も行っていないはずなのに、どうして今も遺跡には魔物が徘徊していると知っていたのでしょうか」
皆一様にハッと顔を見合わせる。
「本当は魔物なんていないけど、我々を案内したくなくて嘘を言っているか。それとも……」
アルノーの緑の目が、チラッと森の方を見やった。
「本当に魔物はいて、それを誰かが見に行っていて知っているのに、それを隠しているのか」
後者ならそれを隠す必要性が思いあたらないんですが、とアルノーは分からないと言って顔を顰める。魔術を扱う者の特徴で、彼は不合理に分からないことが大嫌いだった。
「なあ。やっぱりオレ達だけで森には入れないんだよな」
分かっていてのクルトの発言だ。一同も同じ考えだが、どうも村長を信じることが出来ないでいる。試すだけでも出来はしないだろうか、という提案だった。
それをアルノーは首を振って止めた。
「先ほど、森に意識を向けてみましたが、方向を探る魔術は一切発動しませんでした。やはり、森を良く知った人間の案内でないと、良くて一週間単位で迷うでしょうね」
糧食は森の恵みである程度現地で賄えるだろうが、水場の確保は相当苦労するだろう。そして、薬類は補給が利かず、何より野営による体力の消耗が懸念される。慣れているとは言っても、やはり気を張った野営は、精神力を削るからだ。
「選択肢の一つとして、我々だけで行くことも考えておく必要はありますが」
この一行は、粗食にも慣れているし、女性で一応貴族家の出身であるエルでさえ水浴びも出来ない環境でも文句を言わなかったので、引き返すことのできない迷宮でも乗り込んでいくことができた。エルの前にいた神官と魔術師は女性で貴族の出身だったため、野宿どころか宿でさえ不満を漏らしていたことを考えると、エルの豪胆さは感服するばかりなのだが。そういえば、あの二人はキレたアルノーが追い払ったんだったな、とクルト辺りはしみじみと回想する。
「やはり、物資はある程度調達しておいた方がいいでしょうね」
薬師でも一行に居れば現地調達も可能かもしれないが、それは望むべくもない。
回復の奇跡はエルが扱えるのだが、回数だって無限ではなく、切り傷程度で魔力を無駄にすることは出来ないので、傷薬と解毒関係の薬は必須だった。
後で、村の薬師か雑貨屋を尋ねようという話になると、カイルがすでに何本か調達していると言って、話題はそちらに移った。
「この村に薬師はいないのだが、辺境にしては良い品揃えだったんだ」
あんな、と言っては失礼だが、雑貨屋の老婆が調剤している訳では無いというのに、薬関係の品揃えは実に充実していた。エルとアルノーが興味を示したので、今持っている二種類を二人にそれぞれ渡した。
傷薬と解毒薬だが、二つとも聖樹草が使われていると言っていた。聖樹草は、通常の効能の数倍の効能を引き出す薬草として、非常に需要の高い薬草だ。特に迷宮に挑む者たちには、少ない量で相当の効き目がある聖樹草を使った薬品は重宝される。
ただ、聖性の高い土地にしか生えていない薬草で、そのような場所は大半が『迷宮』となっており、採取に大きな危険が伴うため、その効能もさることながら、入手困難なことから価格は驚くほどに高価だった。だから、こんな辺境でそんな希少な薬が、普通の雑貨屋にあることに驚いたのだ。
「本当に、聖樹草が使われているわ」
「間違いなく」
神官は薬学を学ばされるし、魔術師はその研究のために多くの薬草の知識を持っている。その二人が間違いないというのであれば、この薬には聖樹草が使われているのだろう。
「この村って、なんかちぐはぐな印象なのよね」
エルは、ほんの数刻いただけでそう感じていた。
辺境なのに豊かな生活を送る村人。魔物が跋扈する森に隣接する辺境の村なのに、警備も自警団も置かずに魔物の被害が無いこと。村長の妻の伝手があると言っても、王都でもあまり見かけない貴重な薬が無造作に置いてあること。しかも薬師はいないのに、だ。
「そういえばさ」
ふとクルトは気付いて、一同を見回した。
「聖樹草が取れそうな場所が、この辺にあるんだよね」
言わんとしていることは全員が分かった。あるではないか、『迷宮』が。
聖樹草は、ほぼ保存の利かない薬草だ。採取してから三日以内の処理が必要で、乾燥も抽出液の保存も出来ないため、生で使うしかない。一度薬品になれば生の状態よりはずっと保存は長くなるが、それでも数か月が限度だ。
とすれば、やはりこの村の人間が、『迷宮』へ度々訪れているということになる。
「さて、これはどういうことなのでしょうね」
アルノーの言葉に、皆同じ気持であった。