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4.呪われた勇者

本日4話めの投稿です。

 また一つ、命を落とし掛けた。

 昨日は、宿の軒が崩れ、裂けた木の先端が目の横を掠った。

 一昨日は、着替えの中に致死毒を持つ虫が潜んでいた。

 その前の日は、横を通り抜けた馬車の車輪が外れ、自分めがけて飛んできた。

 その前の日は、崖の崩落で自分の一瞬前にいた場所を巨石が直撃した。

 その前は……。

 毎日毎日、多い時は一日に二度、三度、常人であれば死に至る「偶然」が襲い掛かる。自分が「勇者」という称号を得ていなければ、今頃はその湧きおこる災いを我が身に受けてこの世を去っていたであろう。素早さでかわし、力でねじ伏せ、そうして死を回避する。

 それは、どれもが日常の中で起こりうる「不幸」だ。

 強い魔物と対峙した訳でも、罠が無尽に備わった迷宮を歩いた訳でもない。

 だからこそ、ふと気を抜いた瞬間に、その「不幸」は牙をむく。

 死霊の王は、消滅の間際にそんな呪いを掛けた。この身に災いあれ、と。

 その呪いに、カイルの精神は徐々にすり減っていった。ふとした瞬間に、この災いに身を委ねてみようかと思ってしまうほどに。

 この呪いの事を知れば、自由組織はこれ幸いと自分を排除に掛かるだろうことは、カイルには明白な事実だった。

 カイルは物心つく頃には、街を徘徊する孤児だった。運よく救護院がそこから連れ出してくれて、底辺ではあるが「人並みの孤児」の生活が出来たが、そんな出自の人間が「勇者」となることを、自由組織や国家連合の騎士団の上層部はとみに嫌う。そこに加えて、カイルは東の勇者の特徴でもある「癒し」の術が不得意であった。魔力は十分なのだが、繊細な魔力操作を必要とする「癒し」は、カイルにとって高い壁であり、そんな様子から組織は、裏でカイルを「紛い物の勇者」と呼んで蔑んでいることを知っている。

 また東の勇者は、魔力量は随一でも戦いに特化した権能ではないため、四方世界では歴代の勇者も「最弱の勇者」と呼ばれていた。その中でもカイルは歴代でもかなり上位の魔力量だったが、余りある魔力量もあまり評価には繋がることはなかった。たとえ討伐成績が群を抜いていたとしても。

 呪いの事は知らないはずだが、カイルの周りで事故が起こっても調査をする気配すらない。それは、作為的なものでも自然的なものでも、カイルという「勇者」を失っても構わないという意思の現われだ。

 かの組織は、自分と違う「勇者」を据えたくて仕方がないのだ。

 そんな思惑になど、誰が乗ってやるものか。

 だが、仲間を巻き添えにする訳にいかない。

 死霊の王が掛けた呪いは、「勇者」の身にだけ降りかかる「不幸」である。確かに一人でいる際に起こることが多かったが、まったくの一人の時だけに起きる訳でもない。今は何事も無くとも、側にいればいずれその呪いの余波を受けないとも限らない。

 仲間は、騒がしい人間が多いが、偏屈な自分を厭わない奇特な者たちだった。自分の業を背負わせるわけにはいかなかった。

 そう思い、仲間の下を離れた。

 孤独なら、そのうち慣れるものだと知っていたから。

 何かの文献で、女神の残した奇跡の一つとして、呪いや状態異常を全て浄化する泉があると聞いたことがある。それは、辺境と呼ばれる村々の何処かにあると。

 自力で探した候補のうち、十数年前に魔の手に落ちた女神の遺跡があったとされる場所が最も可能性が高いと思われた。幸いにして、カイルがちょうど滞在していた組織の支部からはそれほど遠くない。

 呪いを躱しながら数日を掛けてその地に至ると、その日は前を見ることも難しいほどの豪雨に見舞われた。森へ逃げ込むが、暗く降り込める雨に辺りも見えず、ただ彷徨うことも出来ずに立ち往生していた。

 呪いと戦いながら孤独に歩いた旅程は、強靭であると自負していたカイルの体力を削り、ここに来て雨風が体温と共に生命力を奪っていくように思えた。体が芯から冷え、指先を動かすことも億劫で、木の幹に背中を預けるようにして座り込む。

 自分の死に様を思って無性に笑いたい衝動が込み上げた。魔物との戦いでも、私利私欲に塗れた人間の謀殺でもなく、ただの疲弊による衰弱死とか、笑いしか起こらない。

 ふと、目の前に小さな灯りが揺らめくのが見えた。それは、突如カイルの体に活力を与えた。まだ死ねない。まだ死なない。

 その灯りを頼りに森を出ると、何やら小さな影が、柵らしきものを見回っているようだった。こちらが身動きを取ると、その気配を聡く感じ取ったのか、灯りを消して自らの気配も消してしまった。

 どうしてもその人間を逃してはならないと、何故か強く思った。

 飛び出ると、激しい雨音もかき消さんばかりに、小さな影が悲鳴を上げる。カイルを魔物や獣の類と勘違いしているようだった。

 慌ててその口をそっと塞ぎ、落ち着くように声を掛ける。すると、状況を察したのか、無駄に騒ぐことも無く落ち着いてくれた。その身体はまだ成長しきれていない幼さを感じた。

 どうやら相手は少女のようで、このような雨の中で何故危ない作業をしているのかは分からないが、張り巡らされた柵を点検しているようだった。そして、この近くに住んでいることは間違いないようだった。

 こちらに害意が無いことを伝えるために、「迷宮」へ来た自由組織の人間であることを告げる。「迷宮」という言葉に強張る様子を見せたが、安心させるために組織の指輪を取り出して見せようとした。

 ふと年端もいかぬ少女がこの意匠を判別することができるだろうかと思い至る。だが、もしダメであっても、何か相手を安心させるために誠意を見せなければならないと考えた。

 しかし、こちらの心配を余所に、少女は器用に炎を操ると、組織の指輪を判定して見せた。暖かい炎に思わず息が零れそうになる。このような辺境で魔法を操れることにも驚いたが、その唇が「銀級」と動くのを見て更に驚かされた。

 大人であればある程度知識として知っている者も多いが、指輪の素材が示すものまで知っている子供はそうはいない。

 下位から「青銅」「白銅」「銅」「銀」「金」となる。以前は「黄銅」もあったが、金と勘違いする人間がいたそうで、十五年ほど前を最後に今は廃止されていた。そういった序列を現わす手段は依頼を受ける際などに難易度を分ける手段として使われるため、最下級と最上級の等級が似ているのは良くないとされたものだ。

 見比べれば黄銅と金はすぐ区別できるが、世間一般には金など見たことも無い庶民が大半を占めるので、それを悪用する自由組織の人間が出たらしい。

「金」を与えられるのはほんの一握りの人間だ。それは、「勇者」とその仲間に与えられる最高の称号。それを悪用しての詐称が往々にしてあったという。

 勇者であるカイルが持っているのは「銀」。

 一応「金」も持ってはいるが、自分の身分をひけらかすようで、いつも対外的に提示するのは「銀」にしている。勇者の威光を蔑ろにしていると、それも組織に睨まれる要因だと思うが。

 リーナは、もしかすると家族の中に組織に属している人間がいるのかもしれないと思った。カイルが組織の剣士であることを知って、幾分緊張が解れたように感じた。

 少女は壊れたランタンを気にする風でもなく、カイルを村長の下へ案内してくれたのだが、当の村長宅は人の気配はするのに応答することはなかった。他に数件家を回ったが、どこも同じような扱いだった。

 カイルは、限界に近い疲労から納屋の借用を申し出ると、それを少女は申し訳なく思ったようで、家への滞在を提案してくれた。

 聞けば両親は既になく独り暮らしのようだったが、幼い少女とはいえ、さすがに流れてきた男を家に泊めるのはまずかろうと思い辞退するが、「迷宮」を調査するなら最終的には自分のためと言って、カイルに気遣わせないように言い添える。そこまで言われれば、何よりすぐにでも倒れ込んでしまいそうな疲労もあって、カイルも強く拒否することは出来なかった。

 もし、少女に良くない噂が上るようであれば、最終的には自分の「身分」を明かすことも辞さない。「勇者」というのは、噂など簡単に払拭する、一般の民にとってはそれなりの地位らしい。

 もちろん少女とは、呪いの余波を受けさせないように、慎重に距離を保つようにした。

 家へたどり着くと、そこは親子で暮らしていたものなのか、一人暮らしでは広いもので、確かに人を数人泊めても手狭にはならないようだった。しかし、広くはあるが、戸を潜ってすぐにある居間の六人掛けのテーブル以外、何もない家だった。

 玄関で少女が雨具を脱ぐ合間に、自分の周りに異状は無いか確認しながら慎重に外套を脱ぐ。この場所でなら、やはり戸口の崩壊であろうか、と天井や梁まで見渡す。その様子を不思議そうに少女は見ていた。

 少女はやはり予想していたような十二、三歳ぐらいの年齢に見えた。

 麦のような明るい色の髪と、春の青空のような透き通る青い瞳で、かなりくたびれた様子を窺わせる表情をしていた。ともすると、疲れ切ったカイルの顔色より悪いかもしれなかった。およそ子供らしからぬ疲れが見て取れる。それに、見ていて心配になるほどやせ細っており、触れただけで折れてしまいそうな痩身だった。

 その少女はこちらを凝視していた。恐らく自分の紅い瞳に驚いているのだろうと気付く。

 元のカイルの瞳の色は、平凡な榛色だった。この紅は、呪いが発動した時に色が変わってしまったのだ。何度見ても、自分でも気味の悪い色だった。

 少女は消え入りそうな声で謝る。まるでカイルから暴力でも振るわれると思っているかのように、ただでさえ小さなからだを竦ませた。

 そんな少女を宥めるように謝ると、少女はカイルの瞳を綺麗だと言った。自分でさえ鏡を見る度嫌になるのに、そうではないと少女は言う。世辞かと思えば心底そう思っている様子に、何故だか無性に落ち着かない気持ちになった。

 それから少女は、先ほどの怯えを払拭するかのように甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。

 乾いた布を差し出された時は、一瞬毒虫のことを思い出して、あからさまに警戒してしまったが、そこから「不幸」が起こることはなく、安堵して身体を拭かせてもらった。

 やはり家族に組織の戦士がいたのか、防具の扱いも心得ていて、世話を任せるのに一切の不安を抱かなかった。

 ただ、カイルに着替えさせるため、父親の形見と言える服を差し出してきた時は、少女自身が着る服との差に思わず顔を顰めてしまった。少女の服は丁寧に補修されているが継ぎ接ぎが目立ち、変わって父親の服はほつれも無く大切に保管されていたようだった。虫よけの薬草の香りがほんのりとし、自分の身なりよりも父親との思い出を大切しているように見えた。

 それを着ることに申し訳なさが立ったのだが、少女はそれを不快さを現わした態度と取ったようで、先ほどよりも怯えてしまい、自分がどれほど礼儀知らずな人間と思われているのかと、思わず衝撃を受けてしまった。何とかそれを誤解だと伝え、礼を言って服を借りた。

 借りた服は心地よかったが、随分と大柄な父親だったらしく、目の前の小柄な少女との血縁に少し意外さを感じた。もしかすると、少女のこの痩せ方は、遺伝ではなくて後天的な理由、貧しさの為なのでは、と気付く。

 そんな心の内を知るべくもない少女は、濡れた服を預かろうと近付いてきたので、思わず遠ざかってしまった。もし少しでもカイルの呪いに触れてしまったら、これほど小さな体は、それだけで命が吹き飛んでしまいそうな錯覚に襲われたからだ。

 だから、起こるかもしれない「不幸」を警戒し、辺りを見回してそれが杞憂だと分かると、カイルの行動に面食らっている少女がいた。しかし、すぐに何事も無かったかのように振舞ってくれた。

 自分の奇行によくも呆れずついてきてくれると感心する。自分でも異常だと思うほどなのに。

 その後、冷えたカイルの身体に気付いたのか、温かい晩餐を用意してくれた。台所はすぐ目の前にあり、出されたスープとパン以外に何もなかった。恐らくは、自分のための食事をカイルの為に提供してくれたのだろう。

 普段のカイルでは一口で平らげるような量の食事だが、少女の心映えを思えば断ることが良いこととも思えず、ありがたく受け取る。

 それは口に含むと、身の内で蕩けるように体中に染み渡った。疲労が徐々に抜けていくのが分かる。思わぬ感動に、礼の代わりと旅の糧食を差し出した。高栄養で疲れも取れる乾燥した果物だが、少女はそれを最高の御馳走だと言わんばかりに嬉しそうに頬張った。

 それを見ていて気付いた。黒目勝ちな大きな目と小さな鼻と口。痩せてはいても柔らかそうな頬。小さな口が堅い皮を一生懸命噛んでいる姿に、何故か目が離せなくなっていることに。

 少女が怪訝そうに見返してくるほどジッと見ていたことに気付き、気まずくなってふと視線を逸らしてしまった。

「……子栗鼠に餌付けしているようだ」

 吐息と共に思わず出てしまった声だが、少女が気付かなかったことに安堵する。

 誤魔化すように礼を言うと、誰かと食卓を共にするのが何年かぶりだという。十二、三歳の子供が何年も一人で食事を取るなど、異常という他なかった。ありがとうと何度も言う少女を見ていると、無性にその理不尽さへの怒りが湧いてくる。

 この村の人間は、誰もこの少女を救おうとしなかったのか。

 先ほどの村長宅の仕打ちを思えば、間違いないと思われた。

 そう言えば、自分は少女に名を尋ねることすらしていなかった、と今更ながらに思い至る。自分の名も名乗っていないことにも気付き、愕然とした。少女との邂逅があまりにもすんなりと受け入れられたので、すっかり失念していたのだ。

 少女に助けられたのに、何という非礼な人間なのか。

「俺は、カイルだ」

 あまりに今更過ぎて、どのように少女に名を尋ねればいいのか分からず、とにかく自分の名を名乗った。それを聞いて聡い少女は、カイルの非礼さを何ら責めることも無く、自分も名乗り返してくれた。

「わたしはリーナです」

 涼やかな声がそう名乗った。その瞬間、自分を取り巻く世界が、ふわっと何かに包まれたように思えた。

「リーナか。宿を提供してくれて感謝する」

 そう言いながら、何故か呪いを恐れずにリーナに向かい合う自分がいた。何が変わった訳でもなく、呪いが解けた訳でもないのだが、不思議と自分を包む何かが、恐れずにいていいと言ってくれているような気がした。

 この家は心地いい。

 触れるものもこの空気も、この家の住人も。

 嵐の中で失くすはずだったのは、こんなささやかな「幸せ」だったのだと、失わずに済んだ「幸運」を静かに噛みしめた。

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