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3.二人の食卓

本日3話目の投稿です。

 村に着くと、一路村長の家を目指した。

 自由組織の人や街の役人など、上位組織の人間が来た時は、まず村長を通さなければならなかったからだ。

 戸口を叩き、客人がいる旨を伝えるが、一向に人が出てくる気配がない。

 嵐で辺りは真っ暗とはいえ、まだ宵の口である時間なので寝ていることはありえないし、実際鎧戸の隙間からランプの明かりが漏れているので、リーナが呼ぶ声は聞こえているはずなのに、誰も応答が無かった。

 雨風も次第に弱まっており、後ろの人の小さなため息すら聞こえる程なのだ。これは完全にリーナを無視してのことと思っていいだろう。

 リーナが振り返って申し訳なさそうに頭を下げると、相手は「いや」と言葉を濁した。

 それでは、と村長の次席である商家へ案内するが、そこも素気無く無視されてしまった。

 二軒、三軒と回るが、どこも同じような扱いだった。

 しばらく気まずい沈黙が下りる。また息をつく旅人に、隠せない疲労を感じた。

「あの、うちに……」「納屋を……」

 二人同時に口を開いた。あ、と言葉に詰まってしまい、相手に言葉を譲った。

「申し訳ないが、納屋を借りられないだろうか」

 抑揚のない口調で淡々と尋ねられる。自由組織の人は頑丈で野宿にも慣れている人が多いと聞くが、流石に銀の指輪を持つ人に納屋は失礼だと思う。それに、いくら頑丈でも、旅の疲れは嵐の消耗で更に耐え難いことだろう。

「いえ。うちの納屋は人が寝る場所はないので、うちにどうぞ」

 ただでさえ村長宅での非礼があったのだから、これ以上失礼があってはならない。あの指輪は偽造できないし、間違いなく本物であったから、自由組織の人を家畜のように納屋になど泊めたら、後でどれほどの叱責を受けるか分からない。何より、きちんと礼節を守る人を納屋で寝かせるのは、人として駄目なのではと思う。

「……では、ご両親に許可を」

「両親は他界しておりません。わたし一人ですので」

 わずかに息を飲む気配がして、拒絶する動きがあった。

「尚更良くない」

「いえ。『迷宮』を調査してくださるなら、それは村の、ひいては自分のためですから」

 せめて乾いた寝床くらいは提供したいと思う。それにきちんとした振る舞いもあるのだが、どうしても悪い人だとは思えなかった。

 小さい頃から色々と人の嫌な面を見てきたせいか、自分に害意があるかどうかは自然と分かるのだ。

 リーナの言いたいことが少し伝わったのか、相手は少しため息をついて「では」という。

「よろしく頼む」

「はい。狭い所ですが、部屋はありますので」

 そう言って相手を先導して家へ招いた。

 玄関で雨具を脱いで水気を切って、部屋のランタンに灯りをともした。ふんわりと明るい火が部屋を照らす。両親と三人で暮らしていたので、一人暮らしには少々広い家だ。

 玄関では自由組織の剣士が、何故か辺りを警戒するかのように眺めた後、ようやく外套を脱いだところだった。腰には長大な剣が下がっている。

 リーナは思わずその人を凝視してしまった。

 磨いた鋼のような艶のある濃い灰色の真っ直ぐな髪に、貴族なのだろうかと思うような端正な顔立ちをしていた。細身に見えたが、決してなよなよとしたものではなく、無駄を削ぎ落したような体躯だと思った。背は高いが、重量を頼みとする剣士ではなく、俊敏さを武器とする剣士に見えた。

 何よりも、その凛々しく整った配置の瞳が、紅く輝いたのを見て目が離せなかった。

 ただ、その顔は青白く、目の下には顕著な隈が居座り、ふらついていないだけで限界が近いように思えた。あのまま他の家も回っていたら、間違いなく倒れていただろうと思われた。

 ふいに剣士はこちらを見た。リーナは恥ずかしくなって頭を下げた。

「も、申し訳ありません。不躾に見てしまって」

 消え入りそうな声で謝り、違うと分かっていても、村人のように折檻が飛んだらと思うと小さく震えてしまった。微かなため息と、こちらへ向かう足音が聞こえ、リーナはさらに頭を下げた。

「怯えさせて済まなかった。この目が怖いか?」

 相手はどうやら、珍しい色にリーナが怯えたと誤解したようだった。

「いいえ!その瞳は、とても綺麗で……」

 勢い込んで否定したが、言って恥ずかしくなった。目の前の剣士は、リーナとそれほど歳はかけ離れてはいないように見えた。とても物静かで落ち着いては見えたが、二十代半ばくらいで、離れていても七、八歳は違わないと思った。そんな年頃の異性とまともに話をしたことがないので、どうしてよいか分からずにまた俯いてしまった。

 表情はあまり変わらないが、少し困惑した様子が伺えたので、取り繕うように近くの椅子を勧めた。

「今、渇いた布を持ってきます。掛けて待っていてください」

 そう言ってそそくさと納戸に向かった。目の端に、椅子に座って前髪から滴る水滴を払う姿が見え、内心ドキドキしながら渇いた布を手に取った。

 怒ってなかったよね。

 他人に怒鳴られたり小突かれたりせずに会話するなど、本当に久しぶりで、上手く言葉を運ぶことが出来なかった。いつの間にか、人と話すことがこんなに怖いと感じるようになっていたのかと、少し悲しい気持ちになる。

 布を差し出すと、また少し間を置いて受け取った。やはり、少し何かに警戒しているようだった。布を検分して何事も無いただの布であることを確認して、ようやくその身の水滴を拭い始めたのだ。リーナが床にも布を敷くと、籠手や胸当てなどの装備を外してその上に置いていく。

「服の替えはお持ちですか?」

 尋ねると、首を振って「このままで大丈夫だ」と言うが、濡れたままでは相当不快であることは間違いない。それに、どう見ても体調は良くなさそうだった。リーナは両親の部屋に仕舞ってあった父の服を出すと、そのまま寝室で着替えるように剣士を促した。

「父の物ですが、お嫌でなければお使いください」

「いや、それは形見なのでは?」

「そうですが、飾っておくだけよりも、きっと父は喜びます」

 リーナの服と手に持った服を交互に見て、僅かに眉を曇らせる。もしかすると、こんなボロを着るのは嫌なのかも、とリーナは思う。剣士の服は、戦闘の後なのか幾分ほつれているが、見ただけで分かる上質のものだ。

「すみません、差し出口を……」

 勘気を被る前に引き下がろうとしたリーナを、剣士は立ち上がって止めた。

「違う。……もしかして、そんな礼儀知らずな人間に見えるのか……」

 そう独り言のように言って幾分言葉に詰まったようだったが、やはり湿った服の不快さは拭えなかったのか、ようやく折れて恐縮するように礼を言うと、リーナから服を受け取った。案内した部屋の扉を閉めて着替える気配がしたので、その間にリーナも自分の部屋で着替えておくことにした。

 剣士が部屋から出てくると、大柄だった父の服は少しダボついて見えたが、渇いた感触が心地よいのか表情の硬さが薄れていた。貧しさに負けて、売ったり自分用に作り替えたりしなくて良かったと思う。

 濡れた服を預かろうと近付くと、何故か少し遠ざかられる。そして少しして辺りを見回すと、「すまない」と言って大人しく渡してくれた。わたしに近寄られるのが嫌という訳ではないようだ。むしろ、こちらを気遣っている気配がする。

 服を手渡す時に一瞬触れた剣士の手は冷たく、夏とは言え、雨に打たれて身体が冷えていることに気付いた。服をハンガーに掛けると、取りあえず夕食にと取っておいたスープを温めた。

 本来、客人に出せるような代物ではないけれど、これ以上リーナに出来るもてなしは無い。あの「迷宮」をどうにかしてくれるのなら、ありったけのものを差し出してもいいと思う。

「どうぞ。何もありませんが、召し上がってください」

 出てきた晩餐を見て、剣士はしばらく考え込むようにしていた。やはりこんな粗末なものを出して怒っているのだろうか、と顔色を窺うように見ると、またため息をつくように肩が下がった。

 そして突然自分の荷物をゴソゴソと探ると、テーブルの上に乾燥した果物を何種類か出したのだ。意味が分からずきょとんとしていると、向かいに座ったリーナに果物を押して寄越した。

「……あの?」

「一人で食べるのは味気ない。付き合ってくれ」

 剣士の意図に気付き、ポカンとしたが、いらないのかと聞かれて慌てて礼を言って果物に手を伸ばした。本当はかなり空腹を感じていたからとてもありがたかった。

 またため息をついたように肩が上下するのを見て、どうやらこれはため息ではなくて、安心したときの癖のようだと気付いた。そう思えば萎縮することも無いことに気付いて、恐る恐る果物を一口食べた。

「……美味しい、です」

 少し硬い表面を噛み破ると、ふわっと広がる甘さと柔らかさは、心身ともに染み入るようだった。久しぶりに表情が動き、自分が小さく笑ったことを知った。

 見れば剣士もリーナが出したものを平らげて、自分も同じ果物を齧っているところだ。

 一つのテーブルで同じものを誰かと分かち合って食べる。ずっと昔に置いてきた温かさが胸に戻って来たように思えた。小さな幸福感に、この果物を食べきるのが惜しくて、ちまちまと食べていた。

 ふと見ると、剣士がこちらを見ていて、目が合うとふいと逸らされた。

 何かあったのだろうか、と不思議に思っていると、またあのため息みたいのが出た。

「……子栗鼠に餌付けしているようだ」

 あまりにボソッと言ったので聞き取れなかったが、首を傾げているとまたあの平坦な声で言った。

「美味かった。ご馳走様」

 途端に、リーナはブワッと頬に血が上るのを感じた。久しぶりの誰かから褒められるということに、感情が溢れた。世辞であろうと思うが、嬉しいものは嬉しい。

「わ、わたしこそ、美味しい果物をありがとうございます。誰かとご飯を食べるのなんて何年ぶりかで、本当にありがとうございました」

 嬉しさに訳が分からなくなり、何度もお礼を言った気がする。剣士は眉を顰めた顔を向けてきたが、リーナはそれに気付かなかった。

「俺は、カイルだ」

 唐突に剣士が名乗った。また着いていけずにポカンとしたが、それはリーナに名前を訪ねているのだと気付いて、慌てて居住まいを正した。

「わたしはリーナです」

「リーナか。宿を提供してくれて感謝する」

 嘲りでもなく、叱責でもなく、名前を呼ばれたのはいつ以来か。

 今日は無くしたと思っていた日々が、一気に戻って来たような心地だった。




 次の日、夜半まで降り続いた雨は上がったが、外を見ると、酷い雨だったせいか道はぬかるんで歩くのにも苦労するほどだった。

 昨夜、カイルが寝た後に、リーナは服に鉄鏝を当てて丁寧に乾かした。防具類は自分で手入れをしていたようだったが、革ではなく何かの金属のように見えたので、そちらは乾かさなくても大丈夫そうであった。

 リーナは魔力があまりないためか、家事に適した魔法を扱うことが得意だ。服も、小さな炎で温めた鏝を使えば十分水気が飛ぶし、小さな風を起こしてふんわりと乾かすこともできる。魔物をやっつけるほどの力はなくても十分だと思っていた。

 朝、カイルを起こさぬように家を出て、いつものとおり夜明け前に朝の共同の家畜小屋の藁替えと餌やりの仕事を終え、太陽が顔を出したので、急いで家に戻って水で身体を拭い、身支度を整える。貧しくとも清潔を心掛け、少しでも人並みになることを心掛けていた。

 部屋の扉を軽く叩くと、既に起きていたらしいカイルが出てきた。髪は少し生乾きで寝てしまったのか、小さな跳ねがある。乾いた服と水を張ったたらいを渡すと、紅い目を少し大きくしたあと、ぼそぼそと礼を言う声が聞こえた。

 カイルが自分の服に着替えて部屋を出てくると、リーナは朝食にパンの残りと、庭で育った野菜を塩と柑橘の果汁で和えたものをテーブルに出すところだった。カイルは、今度は昨夜と違う果物と乾燥木の実を出し、二人でささやかな朝食を取る。何故かカイルは、木の実を食べるリーナをジッと見ていた。何の悪意も感じないので、不快ではないけれど、どこか落ち着かなくなる視線だった。

 朝食を食べ終えると、まずはリーナが一人で村長宅に向かうことをカイルに告げる。また昨日のような無駄足を踏ませることを危惧するが、カイルは自分のことなのだから自分も行くと言う。

 この粗末な家で待たせるのも申し訳が無いと思い、リーナは一緒に出掛けることにした。

 昨夜は暗くてあまり感じなかったが、並んで歩くと、カイルの背の高さが良く分かった。リーナの背はせいぜいカイルの肩までしかなくて、何となく彼の肘置きになった気分だ。

 リーナの家は村の外れにあるため、朝の仕事をするために家から出ている村人の何人かに会った。

 皆一様に、見たことのない余所者と爪弾き者のリーナが歩いているのを見て、不快感をあらわに、こちらを睨んでいた。出会ったのが、最も排他的な感情を持つ四〇代以上の年配であったのもあるが、リーナはカイルに申し訳なく感じていた。

 程なくして村長宅に着くと、昨日と同じように戸口を叩き、来客があることを告げる。

 それを三度繰り返し、ようやく中から戸を開ける気配を感じた。

「朝からうるさいわね!」

 リーナが扉の前にいることを知っていて勢いよく開けたのだろう。リーナは戸にぶつかってよろけたが、後ろでカイルが背中に手を当てて止めてくれた。

 金切り声と共に扉を開けたのは、村長の娘でリーナと同じ年のラウラであった。ラウラは村一番の美人と評判の娘で、綺麗な茶色の髪に明るい緑の目をしている。昨日道でリーナの足を掛けたのは彼女であった。

 ふと、リーナを罵りかけた顔を止めて、その後ろにいるカイルを見ると、見る見るうちに顔を赤くして、取り繕うように笑みを浮かべた。

「あ、あの、どなたでしょうか。わたし、村長の娘でラウラと言います」

 初めて聞く猫なで声にびっくりするが、気を取り直して村長へ取次ぎを頼む。

「この方は、『迷宮』を調べにいらした自由組織の『銀級』の剣士の方です。村長さんにお取次ぎを……」

「まあ、それは遠くからようこそお越しくださいました」

「銀級」と聞いて、リーナの言葉に被せるように言って、リーナを押しのけると、さりげなくカイルの手を取って家へと招くようだ。いつもの外から来る人間への対応と違って、これほど最初から友好的な態度を見せるとは思ってもみなかった。

「リーナ、ご苦労様。もういいわよ」

 呆気に取られて立ち尽くすリーナに一瞥をくれて、ラウラがカイルを家の中へ誘おうとする。カイルもその態度に驚いたようで、一瞬リーナに物言いたげな視線を寄越す。リーナはその視線にふと縋りたい衝動に駆られたが、慌てて頭を下げてその表情を隠した。

 リーナの役目は、カイルを村長宅に紹介した時点で終了したのだ。後は、村の偉い人達が話を進めてくれるだろう。もう、自分が関わることは無いという、無言の挨拶だった。

 下げた頭の先で音高く閉められた扉の前に、しばらく動けずにいた。先ほどまで普通に言葉を交わしていたことが、まるで遥か昔のことのように思える。

 また、リーナは一人の世界へ逆戻りだった。

 逃げるようにその場を去り、ぬかるんだ自分の家への道を辿った。

 途中、リーナに用事を言いつける大工の妻や、わざと乱暴に歩いてリーナに泥を弾く若衆と出会うが、どの村人もリーナと「会話」することはなかった。昨日までと同じ日常のはずなのに、何故今日はこんなにも悲しいのだろう。

 嫌だな、とリーナは思う。

 早く日常に戻るために、鋼色の髪の剣士のことを早く忘れなくては。

次話は14:00に投稿予定です。

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