16.みんなでお引越し
ふと、賑やかな声が聞こえて、リーナの意識が浮上した。
体は怠く、まだ涙で視界はぼやけるが、倒れた時より随分と体調は良くなっていた。
そう言えば、夢うつつではあったが、誰かが薬と水分を与えてくれたのを思い出した。女の人だったと思うが、まったく知らない人だった。
わたしのこと、リーナって呼んでた。確か、エルさん、だった気がする。
少し日が傾いてきた室内はほんのり暗く、周りを見ようと顔を動かすと、額から温んだ布が落ちた。朦朧とはしていたが、冷たい布で身体を拭ってくれた感触を覚えている。
司祭様が亡くなってから、初めて人に優しく触れられた。
熱ではない温かいものがリーナの胸に漂った。
まだふらつく足に力を入れて歩き、居間へ続く扉を開けた。
「あ……」
そこには、昨日まで無かった光景があった。
人がいて、談笑して、温かな空気が溢れていた。
リーナは我知らずその光景に見入っていた。手を伸ばせば届く場所に幸せがあって、でも一歩が踏み出せずに、まるで夢の中を現実の自分が外側から見ているようだった。自分には得られない幸せであると思い知らされているようで、胸が痛かった。
不意に鋼色の髪の青年と目が合った。カイルだ。
急にリーナの視界がぶれた。足に力が入らずに床へ座り込みそうになったのだ。
だが、リーナの体は床につくことは無く、グイッと力強く引き上げられた。あの距離を一瞬で詰めて、リーナの身体を抱き留めてくれたようだ。視界を黒っぽい服が覆って、リーナの背に温かいものが添えられていた。
「リーナ、急に動いて大丈夫か?」
透明度の高い泉の水底のように、深く静かな声がした。でもその声は、少しも冷たくなかった。
紅い瞳がリーナを間近で覗き込むので、またしても熱とは違う意味合いで頬が熱くなる。
「あ、あの……大丈夫です」
息も絶え絶えにそう絞り出して目を逸らすと、それを許さないかのように、カイルの大きな掌がリーナの頬を包んで上向かせられた。
「大丈夫じゃない。まだこんなに熱が高い」
それはあなたのせいです、という言葉を必死に飲み込む。カイルの気配がどことなく親し気で、手を避けることが惜しいと思ってしまった。
たった一晩同じ屋根の下にいただけで、カイルの事を何も知らないから、元々人との距離が近い人なのかもしれないけれど、少なくとも悪感情は抱かれてないことは確かだった。
「こら、あんたまた勝手に女の子に触って!」
カイルの後ろからエルが声を上げる。見ると、そこには知らない人間がたくさんいた。
「ごめんね、勝手にこいつら家に入れちゃって」
エルがグイグイとカイルを押しのけて、リーナの目の前に陣取った。自分のことは棚上げしていると、エルは気付いていない様子だ。
「薬が効いたのね。さっきより熱は落ち着いたみたい」
エルは断ってからリーナに触れた。カイルと同じように頬に手を当てるが、同性でありカイルのように唐突でもなく、リーナは落ち着いてそれを受け入れた。
だが、優しく触れられるのが心地よくて、エルの手が離れると、少し悲しい気分になる。
「ああ、もう。ほんと、可愛い」
何故かエルは身悶えるように言って、何か言いたげなカイルを無視して、リーナを居間のテーブルまで誘った。
六人掛けのテーブルに六人が揃っている。でも、みんなとても立派な大人なので、少し窮屈そうだ。それがリーナには、何故かとても嬉しかった。全員がほとんど初対面に近いのに、リーナはちっとも嫌な感じがしない。
流し側の長椅子の真ん中にリーナ、リーナを挟んでエルと、よく分からないがこの中で一番大きな男性が座った。
向かいには、少し見覚えのある黒髪の人、その人を挟んで左隣にリーナとあまり歳の変わらなそうな青年、それとカイルが座った。カイルは一番右端に座って、少し不機嫌そうである。
「体調がまだ戻らないところ悪いんだけど、ちょっと説明させてね」
言いながら、エルはまた補水液を作って飲ませてくれた。喉が潤って、気持ちも落ち着いた。
「私たちはカイルの仲間で、同じ自由組織の人間よ。このでかいのがジークベルト」
大きな人が「ジークでいいぞ」と言う。
「そこの派手な金髪がクルト」
猫みたいな綺麗な青い目の小柄な青年が、「派手とか言うな」と言って口を尖らせる。
「で、その冷血そうなのがアルノーよ。ちなみに倒れたあなたを拾ってきたのが、そのアルノー」
どこかで見た覚えたあると思ったら、リーナの命の恩人だった。慌ててリーナは頭を下げると、アルノーは「いえいえ、うちのカイルも助けていただいたので、おあいこですよ」と、とっても優しい言葉を返してくれた。それを他の人間が信じられないものでも見るかのような視線を寄越していた。
「カイルはもう知っているからいいわね」
エルが御座なりに言うと、ますますカイルは不機嫌になった。何か言おうとしたが、エルは口を挟ませずに自分が名乗った。
「で、私がエルフリーデ。エルと呼んでね」
何か、全員がやたらとキラキラした感じの人たちだった。リーナは気圧されながらも丁寧に挨拶を返す。
「この度は、皆さんにご迷惑をお掛けしたようで、申し訳ありません」
リーナが恐縮して言うと、急にエルが両手でリーナの頬っぺたを潰しに掛かった。
「こら。あなたは何も悪いことしてないんだから、謝らなくていいの。誰も迷惑だなんて思ってないんだから、ありがとうって言ってくれればいいの」
「……はい」
全然痛くは無いけれど、口が変な形になっているのでくぐもった返事になったが、素直に頷くとエルは満足したように笑みを浮かべた。リーナはそのようなことを何年も言われたことがなかったので、とにかく不興を買わないように謝ることしか頭に無かった。お礼を述べた方が、言った方も言われた方も、謝られるより気持ちがいいことにようやく気付いたのだった。
「あ、あの、皆さん、ありがとうございました」
慌ててしまったので少しどもってしまったけど、皆嘲ることも無視することも無く、温かく微笑んでくれた。
「ま、元気が出てよかったな」
金髪のクルトが朗らかに言う。
「まだ、無理は禁物だけどな」
体は大きいけれど、少し下がった目じりが優しいジークがリーナの肩にポンと手を置く。
「そういう訳で、売った恩のお返しに、私たちをここに泊めてくれませんかね」
「おい!」
「言い方!あと、段取り無し!?」
「人間のクズか!」
アルノーが、「お互い様」と言った舌の根も乾かぬうちに、売った恩と言った。それを全方向から仲間たちが突っ込む。無口な様子のカイルすら突っ込んでいる。ジークだけが苦笑してるが、皆とそれほど意見は違わないようだ。あまりのことに面食らってしまったが、何とか気持ちを立て直すと、恐る恐る言った。
「あの、うちは見ての通りのあばら屋で、皆さんなら村長さんのお宅の方が……」
「嫌です」
「嫌よ」
「ああ、勘弁してほしいなぁ」
「戻るくらいなら野宿した方がマシだよ」
リーナの勧めに被せるように断れらた。うちが賑やかになるのは嬉しいが、それは十分にもてなしが出来ればの話だ。
聞けば皆銀級で、とてもそんな階級に見合ったもてなしなどできはしないのだ。それを心苦しく思えばこその勧めだったが、皆はどうやら違う考えらしい。
「村長さんのお宅がダメなら、顔役のどなたかのお家を紹介します」
こんな寝台もろくにない家などに泊まらせるなんて、申し訳なさ過ぎて泣きそうだ。そう思うのに、皆ここがいいと言ってくれる。
リーナは、今度は嬉しくて泣きそうになるが、ふと何も言わないカイルが気になって視線を向けた。
するとカイルは、少し困惑したような顔になった。
「すまない。体調も悪いのに、こんな押しかけるような真似をして」
紅い瞳が少し伏せられて、申し訳なさそうな声音だった。でも、という。
「ここがいいんだ。リーナが思うようなもてなしなんていらないから」
あまり抑揚のない声だったが、だからこそ飾っていない言葉と一緒にリーナの中に沁み込んできた。
「リーナが迷惑でなければ」
もうリーナには受け入れる途しかなかった。
また急に熱が上がり、思考がぐちゃぐちゃになったけれど、リーナは何とか肯定の意志を伝えてスコンと気を失った。




