カトリーン1
「ほらっ早く逃げるんだ!」
次に気づいたのは、いきなり手を引かれている時だった。
周囲を見ると、すでに見慣れてしまった帝国兵の姿と、炎に包まれる家屋だった。
ただし、『ヒルデ』の時と違って、視界が低い。
「どうしてっ!?」
また戻ったの?
わたくしは、アヒムの元へと行けなかったの? 自ら死を選んだから?
だって、あんなことをされて、大切な人を失ってまで生きてなんて行けないわ。わたくしはそんなに強くない……。
「どうしてもこうしてもない! とにかく逃げるんだ!」
「まっ待って」
すでに息切れしているのに、手を引っ張る人――壮年の男性は、一向に歩を緩めない。
背の高さから、私は十代前半の少女で、手を引いているのはきっと父親なのだろう。
息が苦しくて少しでも空気がほしくて息を吸い込むと、炎で熱された熱い空気が肺に入り込んで、余計に辛い。
今度は何処の誰なのか、まだ分からないけれど、今まさに帝国軍に侵略されている最中だった。
「カトリーン、村長の所に行けば、地下倉庫がある。そこまで頑張るんだ」
「でもっ!」
「母さんは仕事先から向かっている。お前も……せめてお前だけでも地下倉庫に入れてもらうんだ!」
男性が「母さんは」と言ったことで、やはりこの人はわたくしの――『カトリーン』の父親なのだろう。
彼は大柄だし、地下倉庫があるといっても、村人全員を匿うことは不可能に違いない。女子供を優先して、男性は帝国軍に立ち向かうつもりなのかもしれない。
「父さん、父さんも地下倉庫に入れてもらえるの!?」
「……父さんは、お前達を守る義務がある。終わったら迎えに行くから、母さんとおとなしく地下倉庫に潜んでいるんだ」
いつの世でも、親は子供を守ろうとする。
彼も、帝国軍に敵うと思っていないはずなのに、それでも『カトリーン』を不安にさせないように優しい言葉をくれる。
そんな気持ちを無駄にしてはいけない――そう思って、息苦しくても辛くても足を懸命に動かして、少しでも村長の家に近づこうとする。
けれど、帝国軍は待ってくれなくて――
「見つけたぞ! 男と小娘だ!」
声を聞きつけて数人の帝国兵が集まってくる。
「カトリーン……父さんから離れて一人で逃げろ」
「えっ!?」
「早く!」
父親はカトリーンをなんとか逃がしたくて、わたくしを別の方向へと押しやる。
「父さん!」
「いいから逃げるんだ!」
向かってくる帝国兵に対し、父親は丸腰なのに怯むことなく向かっていく。
父親の体格もあって、一人はうまく突き飛ばす事が出来たけれど、他の帝国兵に背中から斬りつけられる。
「父さん!」
「逃げろ! 逃げるんだっ!」
父親は斬りつけた帝国兵の手首を取り強く握りしめたのか、帝国兵は身動きがとれないどころか、摑む力が弛んで剣を落とす。
けれど、他にもいた帝国兵に今度は前から斬りつけられて、握っていた手を放してしまう。
父親の言ったように、逃げなければと頭では思うのに、どうしてもアヒムの事を思いだしてしまい、一歩も動けずにいた。
目の前で帝国兵に斬りつけられるアヒムの姿――それを見ているだけだったわたくし。
それだけでなく、アヒムを殺した後はわたくしを――そのことに対し、己への後悔と帝国兵に対しての怒りが膨らんで――
「あ、あ……ぁああああああああぁぁぁっっ!!」
父親が倒れたのと同時に、耐えきれなくなってわたくしは叫び声を上げていた。
「なんだ、小娘が」
今まで父親を嬲っていた帝国兵が、わたくしに気づき手を伸ばした。
それに気づき、わたくしは――
「触らないでっ!」
短く叫ぶと、雷が落ちたかのように帝国兵とわたくしの間に稲光が光る。
手を伸ばしていた帝国兵はそれに触れたようで、「熱っ」と叫んで手を引いた。
「貴様、なんだそれはっ!?」
帝国兵は問うが、わたくし自身も何が起きたのか分からなかった。
この世には人知を超える不思議な力は存在せず、己の力のみで生きていかなければならない。
それなのに、先ほどのものは、明らかに人知を超えた不思議な力で――
「このっ、小癪な!」
「待て、変な力を使う小娘だ。生きて捕らえて、上に判断を仰いだ方がいい」
「だが、危険すぎるぞ」
帝国兵達は驚きながらも、危険そうな小娘を殺そうか、それとも捕らえて上官の元へと連れて行くべきが迷っているようだった。
「なに、危険といっても、先ほどの力程度では、火傷をするくらいだ。それよりも土産にちょうどいい。公国には変わり種がいるという、な」
帝国兵の中でもリーダー格の男が、そう言うとわたくしの手を取ろうと手を伸ばした。
わたくしの手に触れる瞬間、怖気を感じ、反射的に「嫌っ!」と手を引こうとする。
帝国兵とわたくしの手の間に、先ほどと同じようにバシリと火花が散った。
「あ……」
自分の意思で出していないものの、不思議な力が帝国兵を傷つけた事に驚く。
けれど、すぐに今までの事を思いだして、この不思議な力があるのなら、帝国兵に一矢報いてやりたいと思うようになった。
エーファとして殺された――いいえ、兄を失ったときから、今まで何度も別の女性(少女)に生まれ変わっても、帝国兵に殺されてきたわたくしの心の裡は、怒りに満ちていた。
叫び声を上げながら、帝国兵のほうへと右手を差し出し、憎いという感情を込めた。手のひらから青い閃光が出て、帝国兵を襲う。帝国兵は稲妻に当たって野太い悲鳴を上げながら倒れた。
「や、やったの……?」
肩で息をしながら、右手を下ろす。
そして、帝国兵に近づいて見てみると、命までは取れなかったものの、軽度だけれど全身火傷したような感じになっていた。
残念ながら、この力に殺すまでの力がないと悟ったわたくしは、急いでこの場から離れようとした。