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深淵  作者: ひろね
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ヒルデ1

「ジェルヴェ様……」


 思わず愛しい人の名前が口から零れる。

 次いで、わたくしは殺されたはず名のを思い出し、起き上がって自分の顔を触って確認した。

 結論は『アルマ』でも、わたくしでもなかった。

 顔かたちは分からないものの、『アルマ』の茶色い癖毛ではなく、もう少し明るい癖の少ない髪が頬をくすぐっているのを見て、不思議な気持ちになった。


 公女であるわたくしは殺された。

 アルマも帝国軍兵士に殺された。

 では、今のわたくしは?


 悪い夢を繰り返し見させられているようで、鼓動が早くなる。

 ああ、夢なら早く醒めて――

 わたくしの思いは通じず、わたくしに声をかけてきたのは、わたくしの家族でもなく、アルマの家族でもなかった。


「ヒルデ、もう大丈夫か?」

「えと……」


 一体どういう状況なのかしら?

 目の前にいる人との関係も分からない。


「ヒルデ?」

「あ、わたく……わたしはどうしたのかしら?」


 今のわたくしの立場が分からないけれど、目の前の男性は明らかに平民の姿をしているので、あまり丁寧な言葉は場違いかもしれない。

 それにしても、今回は『ヒルデ』という女性なのね。


「やはり、無理がたたったみたいだね。僕が店を持ちたいなんて言ったから、新婚早々、ヒルデに迷惑をかけてしまったようだ」

「そんな、素敵な夢だわ」

「でも、ヒルデはそんなに体が丈夫じゃないから、僕が気を遣うべきだった」


 今のわたくしは、目の前の男性と結婚したばかりなのね。

 まだ、名前も分からないけれど。


「ごめんなさい。あまり無理はしないようにするわ。えと……ごめんなさい、わたし、倒れてから記憶が曖昧で……どうして倒れたのかしら? わたし、あなたの名前も思い出せないの」

「そんな、ヒルデ」

「本当にごめんなさい。あなたが言うには結婚したばかりなのに、あなたの名前も思い出せないなんて……」


 今のわたくしは、帝国の誰かに殺害されては、公国の誰かに成り代わっているようだわ。

 しかも、問題なのは、成り代わった人の記憶が全くないため、今誰に成り代わっているのか、周りの人との人間関係はどうなっているのか全く分からない。


「そうか……。僕の名前はアヒムだよ。互いに十八歳の幼馴染みで約二ヶ月前に結婚したんだよ。皆に祝福されてね」

「そう、なの。そんな大事なこと、忘れてしまってごめんなさい」


 見上げてアヒムの顔をしっかりと見る。ヒルデと同じ――それよりも少し赤みが濃い茶色。瞳はグレイ。かなり整った顔で、優しい表情だった。

 ヒルデがどんな女性か分からないけれど、幼馴染みとしてアヒムのことを良く見てきたのでしょうね。アヒムに見つめられて鼓動が早くなるのは、わたくしが異性と馴染みがなかったせいか、それともヒルデの想いの残滓なのか――

 気づくとアヒムに抱きしめられて、左頬に手を添えられ、右頬に唇が触れる。頬への口づけはとても優しく、温かかった。そのまま唇同士が触れあって、何度も軽く口づけを交わす。

 嫌な気持ちにならずに、口づけを交わすだけではなく、アヒムの体に手を回して隙間がないくらいに密着し合う。

 ジェルヴェ様以外にこんなことをされるなんて……と思うけれど、ヒルデとしては嬉しく思ってしまうのは、わたくしはすでに『エーファ』ではないからなのか。

 よく分からないけれど、わたくしはアヒムの体温を心地よく感じていた。




 ***




「それにしても、料理まで忘れてしまうなんてね」

「そ、それは言わないで頂戴っ!」


 料理は忘れているのではなくて、知らないのだから。

 知らないものを作れと言われても、変なものが出来上がるだけ。食材の無駄にしかならい。

 わたくしはアヒムの横に立って、彼が料理をする様を見て覚えようとしていた。ナイフ一つとっても覚束ない手でジャガイモを剥くわたくしに、アヒムの方が心配そうな表情になるけれど、これから『ヒルデ』として生きていくのなら、料理も出来なければ、アヒムの足を引っ張ってしまう。

 何より、初めての料理はなかなか楽しかったし、アヒムと二人で居る時の、妙に甘ったるい空間は、想ったより悪くない。

 そんな事を考えてしまうわたくしは、ジェルヴェ様に取って不誠実なのかしら?


「……やっと出来たね」

「ええ。ごめんなさい。こんなに時間をかけちゃって。あなたの夢を叶えるどころじゃなくなってしまいそう」

「はは、確かにそうだね。でも、ヒルデの体の方が優先だよ。夢を叶えるには、まだ時間が掛かっても問題ないよ。僕たちはまだ十八なんだから」


 悪意なく優しげに言うアヒムに、そういえば『今』はいつなのだろうかと、ふと思った。

 エーファが殺された後、アルマになっていた。

 では、今度は? 今は、何時なの?


「ねぇ、アヒム。今は何時かしら?」

「そこまで忘れてしまったのか?」

「そうみたい。本当に迷惑ばかりかけてごめんなさい」

「今は帝国暦二五八年だよ」


 帝国暦二五八年――ジェルヴェ様が亡くなり、帝国が攻めて来た年だわ。

 服装からして、今は夏前のようで……そうすると、帝国が攻めてくる頃? それにしてもそんな話は聞かないから、まだ攻めてくる前なのかしら?

 だとしたら、わたくしは――エーファは生きている?


帝国歴について

帝国が1番大きな国なので、基本的に帝国の年代の数え方が共通になってます。


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