アルマ2
「お父さん、お母さん、イェルク! 早く逃げて!」
木の扉を思いきり開け放ち、息切れしながら叫んだ。
「どうしたの?」
「お母さん、先ほど負傷兵がおと……大公様と公女様が帝国軍の手によってお亡くなりになられたって! それでも帝国軍はいまだ公都へ進軍を進めていると言ってました!」
「なんだって!? 父さんとイェルクはまだ畑だから、あんたは二人を呼んできておくれ。あたしゃ荷物の準備をするからね!」
「は、はいっ!」
逃げ出すにしても最低限の荷物は必要。けれど、わたくしには必要なものが分からない。
アルマの母の指示に従い、二人を呼びに行った方が良さそうだった。
家を出て南の方向に向かって「父さん! 兄さん! 何処!?」と何度も問いかける。
しばらくすると、鍬を持った父が姿を現したので、状況を知らせると父は力強い声でイェルクを呼んで、それにイェルクが答えた。
「どうしたんだよ、まだ今日の仕事は終わってないだろ?」
「どうやら帝国軍がここまで攻めて来ているらしい。母さんが逃げる準備をしている。お前達も家に戻り準備するんだ」
「わ、分かったっ」
イェルクの慌てた表情を浮かべ、農具を持って家へと向かう。
わたくしも父と一緒にその後を追った。
けれど、帝国軍から逃げることなどできるのかしら?
エルスター公国にとって帝国とは反対の地は、山に囲まれていて相応の準備をしなければ、山を越えることは出来ない。
必要最低限とはいえ荷物を持って、大勢の人が逃げれば、帝国は山狩りをするに違いない。帝国軍すべてが山狩りに参加したとしたら、逃げ延びることができる公国の民は幾ばくもないと思える。
それほどに、帝国はジェルヴェ様が亡くなったことを口実に、エルスター公国を滅ぼしたいように見えたから。
***
結局、公都の門を出るのは叶わなかった。帝国軍が門前まで来ていたから。
皆は森へ逃れるより、公都の門を下ろし籠城することを選んだ。
けれど、籠城しても援軍に来てくれる国などなく――数日で食糧がなくなり始めた。持病を持つ者や老人、子供は次々に倒れていった。
お腹が空いたと泣く子に食べさせる食料は少ない。弱っていく病人に、薬も満足に与えられない。
他の人間も残り少ない食料をなるべく平等に分けて、意味もなく延命するだけだった。
家の畑に生っていた野菜はすぐに食べ尽くされ、もう収穫できる物はなかった。
裕福な商人は食糧の備蓄があるらしく、まだ余裕はありそうだが、普通の平民には公都で賄えるだけの食糧の備蓄は底が見えていた。
中には備蓄をしている商家に空腹の平民が押しかけたが、空腹故に力も出ず、逆に捉えられてしまうという事もあった。
公都の門の前に陣取る帝国軍は、そのことを理解しているのか、公都から逃げ出す民は殺害したが、彼らから公都を無理に攻めることはなかった。
「お腹が空いたわ」
「ああ、あるのは水くらいか……」
もともと、わたくしは公女で空腹だと思うことが今までなかった。食事は一日に三回用意されていた。それがどれだけ恵まれていることなのか、今になってようやく分かる。
父も母もイェルクも、椅子に凭れるようにして動く気力もない状態だった。
喉もカラカラに渇いていて、けれど、水を汲みに行くのも億劫だった。
数日、食事を口にしないだけで、これほど動くのが辛いなんて思わなかった。
公都の門が閉ざされたのは、いつからだったかしら?
あれから、何日が過ぎたのかしら?
考えても、答えを出すのも億劫なほど、空腹のせいか思考がまとまらない。
きっと、他の人たちも同じような感じなのでしょうね。
それにしても、何処で公国と帝国の関係は間違ったのかしら? 少し前まで、ジェルヴェ様にいつ会えるのかを、帝国に輿入れするのを心待ちにしていたのに。
帝国は皇太子を害したものとして、それほど憎いのかしら?
『わたくし』の記憶に思いを馳せていると、ドーンという大きな音が響き渡った。
その音は何度も続き、帝国軍が破城槌で門を壊している音なのだと気づいた。
他の人たちも同じように気づいたようだけれど、阻止するために、また逃げ出すために動く者はいなかった。
動く気力がないのもあるけれど、一人二人で破城槌による攻撃を止めることはできないし、門が破られたときに応戦するのもたかがしれている。
逃げるにしても、公都周辺の門は帝国軍が見張っており、逃げ出せば死が待っている。
結局、帝国軍に門を破られ、飢えで弱った公国の民は抵抗すらできずに、帝国軍に虐殺されていく。
わたくしのすぐ近くまで断末魔の悲鳴が届き、ああ、もうすぐ自分の番なのだと思い知る。
中には子供だけでも、と家の中の地下倉庫に隠したりしている家族もいた。せめて、その子達は生き残ってほしい、と。
そう思いながら、目の前に来た帝国軍の一人が血塗れになった剣を、わたくしの頭上に掲げ――肩から袈裟斬りに振り下ろされた。
傷口から血が溢れ出し、激痛が体中に走ったけれど、何も出来なくて……。
仰向けに倒れた時に青い空が目に入って、思わずジェルヴェ様の瞳の色を思いだし、思わず宙に向かって手を伸ばした。
けれど、何も掴めず――わたくしは、『アルマ』としての生を終えたのだった。