4話
朝、春乃はスマホの目覚ましアラームで目を覚ました。本来なら祝日なので、いつまでも寝ていたかったがそうはいかなかった。
「バイトか」
むくりと起き上がりカーテンを開ける。シャワーを浴びて、昨日帰りがけに寄ったスーパーで買った総菜パンを食べて家を出る。
持ち物は特に必要ないと言われているので、いつも通り手ぶらで事務所に向かう。
昨日と何ら変わらない蔦に覆われた暗い雰囲気の探偵事務所。
「改めて見ても、ここが探偵事務所だって思えねーな」
廃墟か幽霊屋敷の方がしっくりとくる佇まいに、哀愁を感じながら階段を登る。
「おはようございまーす」
扉を開けると紫月がデスクに座ってコーヒーを飲んでいた。
「やぁおはよう。遅刻しないで来たか」
「流石に初日から遅刻はしないっすよ」
紫月は笑いながら書類を眺める。
「それで、アタシは何の仕事をすれば良いんスか?」
「君には足で稼いでもらう」
紫月は自分が眺めていた書類を春乃に手渡した。受け取った彼女はそれを眺めて一言呟く。
「マジかよ」
「名前はアクアちゃん。ペルシャ猫の女の子だ。特徴は白色の毛に右目が黄色で左目が青。首輪も付いてる」
こうして春乃の初仕事が決まった。目当ての猫は事務所にはいないので、外に出ることになる。逃げ出したとしても、飼われていた家の近くで発見されることも多いらしいので、まずは家の近所で捜索を始める。
「野良猫なんて気にしたことも無かったからなぁ」
いつもは適当な所に寝転がっているイメージの猫も、いざ探し始めると見つからない。
時間をかけて家の近所を探し回ってみたが白い体毛の猫はいなかった。
「そうなると、居場所を変えた可能性があるのか」
事前に紫月から聞かされた話によると、餌を求めて彷徨っているうちに生ゴミの多い繁華街などに行きつく猫も多いらしい。
この近くの繫華街となると、思い当たるのは1か所しかない。現在の場所から少し離れた場所にある、商業施設などが立ち並ぶエリア。当然飲食店も多く立ち並び、餌には困らないだろう。
「これも仕事か」
バスを使えば楽なのだが、猫探しという事もあり徒歩で向かう。道すがら猫を探し、白っぽい色を見かければ追いかけて確認する。
それでも探している猫は見つからないまま、繫華街に到着した。
商業施設という事もあって、デパートやコンビニ、ゲームセンターなどが乱立している。その中でも今回の目当てである飲食店も多い。
「ファストフードにラーメン屋。ケーキまで売ってるんだから、さぞ美味いゴミが散らばってるだろううな」
猫くらいなら簡単に生き延びられそうな環境であることに加え、ビルの隙間や路地裏も少なくない。住宅街で探すよりも効率的に思えた。
まずは飲食店のゴミ捨て場を確認する。破られた袋が無いかを調べ、痕跡がないなら他を探す。
人気のない路地裏があれば、適当なところに猫がいたりもする。
紫月のアドバイス通りに探し回ってるが、猫はいても目的の猫ではなかった。
「大事な猫なら逃がすなよ」
自然と口から毒気が漏れる春乃。3時間は探し回った所で、流石に体力が尽きたのか彼女は近くのファストフードに入った。
手軽な食事は彼女の定番であり、そもそも食事にたいしての比重は軽かった。
適当なセットメニューを注文して店の中で食べる。
窓際のカウンター席に陣取り、溜息と共に炭酸ジュースに口を付ける。労働の後の炭酸は染みるとばかりに堪能し、温かいポテトを食べる。
何を考える訳でもなく、ただ窓から見える景色だけを眺めていた。
友達と談笑をしながら、急いだように時計を気にしながら。様々な人が春乃の目の前を通り過ぎていく。
適当に栄養補給をしていると、通行人の足元に違和感があった。視線を落とすと、白い塊が右から左に移動している。
モコモコとしたものが、人を避けながら歩いていた。
子供がそれに気付くと手を振ったが無視をして、女子高生が騒げば威嚇をした。
「白い猫だよな」
そう言ってポケットから折り畳まれた紙を取り出して確認する。
白い体毛で緑色の首輪。こちらを見ていないので眼の色は確認できなかったが、恐らくは合っているはずだ。
そこからの春乃の行動は速かった。残りのハンバーガーを1口で食べきり、ジュースも一気に飲み込んだ。
ゴミとトレーを片づけて走って店を出る。
相手が動物であれば、何かの気まぐれで走り出すことも考えられるのだが、幸いなことにまだ呑気に歩いていた。
自分が驚かせてしまわないように慎重に近づくと、その気配を察知してか猫が振り向いた。
その瞳は左右の色が違うオッドアイ。その色も資料通りの配色をしていた。
「見つけた」
だが油断はできない。全力で走られてしまえば絶対に追いつけないことは理解しているし、手荒な真似は出来ない。
春乃はゆっくりと近づき、しゃがみ込んだ。
猫の方も春乃にしみ込んだハンバーガーの匂いが気になるのか、鼻をヒクつかせながら近づいてきた。
よし、このまま近づいてこい。あと数メートルで猫に手が届く。そう確信した春乃だったが、思わぬ邪魔が入った。
先ほど猫に威嚇されていた女子高生たち4人が戻ってきたのだ。
「やっぱ可愛いから写真撮ろうよ。SNSに上げたいし」
「すいませーん。あなたの猫ですかぁ?」
などと言いながら近づいてくる。その瞬間、いままで大人しかった猫の毛が一気に逆立った。
大人数の声が気に入らなかったのか、彼女たちが放つ香水の匂いに耐えられなかったのか。猫は盛大に威嚇をしたのちに全速力で逃げていった。
「あー、残念」
「ねー。写真アップしたかったのに」
「この後どうする、カラオケでも行く?」
「いいね、折角なら合コンやろうよ、合コン」
邪魔をしたくせに、猫のことなど既に忘れたかのような言動に春乃は殺意を抱いた。
彼女はゆっくりと立ち上がり、女子高生たちを見た。
その視線に気付いた少女たちも春乃の方を見る。
「ひッ」
「なんで?」
そこに見たのは鬼もかくやといった表情の不良だった。
自分たちよりも背は低いので、見上げられる形ではあるのだが迫力が凄い。その眼光だけで4人の女子高生たちは全力で逃げていった。
4人を追いかけるよりも優先させるべきこと、それは逃げた猫を追いかける事だった。逃げていった方角は何となくわかるので、春乃も急いでそちらへと走っていった。
なるべく視界は固定しないように、様々な場所を見ながら足を動かす。
「白いんだ。それなりに目立つはずだ」
狭い場所に隠れていないことを祈りながら、春乃は30分ほど走り続けた。
「くそッ! どこに行った」
肩で息をしながら猫を探したが、結局見つかることはなかった。
しかし活動している範囲がわかったのは収穫と言える。時間も午後3時を迎えようという時刻なので、今日は事務所に戻ることにする。
「最後にこの周辺を見てみるか」
諦めきれないのか、春乃が最後に目を付けたのはゲームセンターの裏路地だった。生ゴミが出ないので後回しにしていたが、念のため確認する。
ほとんど人が寄り付かない場所らしく、表の喧騒など嘘のように静まり返っていた。
上から下まで隅々と確認するが、それらしい影はない。
溜息と共にその場を後にしようとした時、路地の奥で物音がした。
「行ってみるか」
本当なら物音などに興味を示すことはないが、仕事であれば確認せざるを得ない。猫であれば驚かせないように、足音を立てないように進む。
少し奥まった先を覗き込むと、少年3人が同い年くらいの少年を壁際で囲んでいた。
「金持って来いって言っただろ」
「マジで殺すぞ」
どう考えても仲良しグループなどではなかった。
(なんだ、カツアゲか)
目的の猫ではないとわかり、春乃は踵を返した。
1度金を渡してしまえば、永遠に金を運ぶ事になる。彼女自身はカツアゲなどやったことはないが、過去には上級生にせびられたことはある。その時も拳で黙らせた事が功を奏し、以降に上級生からのカツアゲは無くなった。
「それに気付けないやつは這い上がれねーよ」
彼らに聞こえない程度に呟きながら来た道を戻る。路地特有の淀んだ世界から、喧騒が響き渡る世界に帰ってきた。
「あー。疲れた」
軽く愚痴をこぼしてから事務所に足を向ける。
バスと徒歩を使って事務所に戻ると、階段で女性とすれ違った。随分と身なりが良いので場違いな違和感があった。
「戻りました」
扉を開けてそう言うと、紫月が迎えてくれた。
「おかえり。その感じだと猫は見つからなかったか」
「いえ、一応は見つけたんですけど逃げられました」
すいません。と付け足すと、紫月は納得したように頷く。
「おぉそうか。初めてで発見まで至れば上出来だ。問題ない」
「そうなんスか?」
「あぁ。猫の生活拠点が判明すれば、捕まるのは時間の問題さ」
そんなものなのかと思いながら、春乃の初仕事は終了した。
「ところで、アレは?」
春乃が指さしたのは睦樹のしている作業だった。彼は会議室にありそうな大きめのホワイトボードに何かをかき込んでいる。
「君がいない間に依頼があってね。イジメ調査の依頼だ。子供が学校でイジメにあっているらしいんだが、本人は頑なに認めないらしい」
「なら、イジメなんて無いんじゃないっスか?」
先ほどすれ違ったのが母親なのだろうが、ありもしない事で過保護になっているのでは。と疑問をぶつけた。
「そうではないらしい。もし母親の勘違いであっても、私たちには料金が入るんだから文句はないさ」
そんな事を言っているうちに、睦樹がため息交じりにホワイトボードから離れた。
「書き終わりましたよ。確認してください」
ホワイトボードには几帳面な文字で様々な事が書かれている。被害者とされる少年の名前に通っている学校などが記されていた。
そして、そこには写真も貼ってあったり、春乃の視線はそこで釘付けになった。
「コイツさっき見ました」
その言葉に紫月が反応する。
「どこで見た?」
「ゲームセンターの裏路地っスね。カツアゲされてました」
「そうか、じゃあイジメは確定だな。加害者の顔は見たか?」
「一応は」
紫月は少し考えこみ、
「よし、猫探しは睦樹に交代だ。イジメは私と春乃で追う」
(よっしゃ、探偵っぽい)
所長の判断で、イジメの依頼を担当する事になった春乃は、静かに燃えていた。
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