学校の怪談・改 3
ものごとは時間が解決してくれる、と言うフレーズがある。世の中の面倒ごとは、自然と対処していけばなんとかなるように収まる、というのが普通であった。
それは暑さに関しては、全くの例外である。どうやら、年が経てば経つほど、増幅していくらしい。夜という時間帯に突入することで多少ましになると言いたいのだろうが、近年はなぜか暑さが過ぎる。
今は春ではなかったのだろうか。
熱帯夜の蒸し暑いことサウナのごとし、コンクリートの焼石に蓄積された放射熱はあわれな我ら子羊をあぶり焼きにしたまう。
これも人類が温室効果ガスとかいうのを垂れ流しにせずには生きていけないという悪魔的な性から逃れられないことから来るのかもしれない。もし楽園とやらに救世主が待っているのが真だとすると、中世の人間に比べて我々はどのような退廃的思考だと断罪されてしまうのであろうか。
ああ、南無阿弥陀仏。
やっぱり神より仏にすがるべきか?
「あっちいいですわ」
最近、インターネットの中では汚い声を出す関西弁のお嬢様キャラが流行っているのだが、もれなくインターネット民であろう長岡さんもその影響を多分に受けていた。
風下にあたるこっちでは彼女の発する香りがほのかに香っている。私はそのターメリックのような臭いと夏の汗を浴びながらも、作業を続けていた。
「この不毛な戦い、いつまでやらないといけないんですか」
非モテ三人衆の一人、明井が、自我を表す。この人間は、いつもはミジンコのごとく存在が希薄であり、まるで壁面と一致しているかのようなステルス性能を誇るのだが、流石の彼でもこの状況には我慢が出来なかったらしい。
「もう夜も近いですよ」
その場にいる全員が頷いた。
「そろそろ終わりだと言ってもらいたいんだけどなあ」
「ほんとに、どこへ行ったのでしょうね」
先ほどから京香先輩の姿が一切見えなかった。
暑さでダウンしてしまった虚弱な子鉄くんを宿直室に送り届けて以来、先輩のシルエットが全く見えない。この焦熱地獄に人を巻き込んでいながらクーラーの効いた部屋に引きこもり、何もしていないというのなら、やはり弾劾する必要性が出てくる。
期待に満ちた目で、皆が私を見てきた。
私は流石に耐えかねて、とうとうこの一言を出した。
「作業、終わりにしよう!」
果てのない労働から解放された中世の小作農よろしく、蠱毒の面々は歓喜した。そのまま宴でも始めてしまいそうな勢いである。
「終わった」
深すぎるため息をつき、そのまま西日のきつさだけが残るグラウンドから撤収していると、サッカー部が練習試合を終わらせ、撤退してきている。
「あ、なんか最近出来た変な部活みたいなのだっけ」
「ひとまず、お疲れい」
「あ、お疲れー」
私には声をかけるも他の面々にはまるで触れず、一度合ってしまった視線はそのまま向けないようにして、サッカー部の男子たちはぞろぞろと帰って行った。
そんな中、数人の男子が、大きなタンクを掲げてやってきた。
試合に参加できなかったのか、少し消化不良を顔に映して彼らは歩いてくる。
「てか、あれ、あのセンタリングはないよな」
「あそこやと水沢に止められるって、なあ」
一人が、長岡さんに気づき、不満げな顔を崩してにじり寄ってきた。
「おい、お前ら、長岡おるぞ」
「え、おんの」
にやけた顔の男子が数人、タンクを抱えたまま近寄ってくる。私は軽薄そうな口ぶりに、なんともいえない不快感を感じ、目をそらした。
「なんかおるんやけど、笑える」
「え、お前もやらされてるんそれ」
その中の軽薄そうなやつが、長岡さんに気づくと、好き勝手に声をかける。
「違います」
「嘘やろ、何か知らんけどさ、あの三年の京香とかいう女にやらされてるんやろ」
「だいたいあれも頭おかしいからなあ」
嘲笑がこだました。長岡さんはうつむいたまま、肩を落としている。私はちょっとばかり行きすぎた彼らの振る舞いに流石に怒りを覚え、語気を強めて言った。
「君らが長岡さんの誰だか知らんけど、その言い方はひどくない」
「い、いや、でも」
彼らは私が反発すると、急に黙った。なんか面倒な奴に見つかったと感じたのだろう、やや猫背気味の背中が少し伸びる。
「流石に言っといてくださいよ、来るって」
私を責めるように、彼らは言った。知らない相手から急に邪魔が入ったのである。いくらか軽薄な彼らの中でも、どうやら言ってはいけない一線というのがちゃんとあるのか、視線が定まっていない状態で、なんとか絞り出した言葉を繋いだらしかった。
結果として支離滅裂どころか、余計失礼になっているんだけど。
「何が?彼女が来たらダメなわけ?」
「えっと……」
煮え切らない態度で、腕を弄っている。
「不快なんやったら、絡まなくてよくない?無理なん、それ」
私が語気を強めると、その男子は幼児のごとくそわそわし始める。
行こ、とタンクの陰から声がして、そのまま男子たちは去っていった。
失礼なことしといて、謝りもしないのか。
流石に、声に出して言いたかったが、これ以上事を大きくして面倒になっても困るから、私はその気持ちを腹の奥に押しとどめた。
「すみません、わたしのために」
「全然。大丈夫だった?」
平気です、と言ったが、少し彼女は裾を掴んだまま、声色を落としていた。
「でも、わたし可愛いので。意地悪したくなったんでしょうね、ふふ」
一瞬で気分を切り替える素振りをみせる長岡さん。まあ、元気ならいいや。
それよりだ。
「非モテ三人衆。お前ら何してた」
完全にぬりかべと化していた彼らは、私の声に驚いた。
「ちったあ、援護してあげないの?」
彼らは、お互いに顔を見合わせる。どうやら、男子にも複雑な事情があるらしい。
それより私はあの連中に彼女なんかがいないかどうかが、問題ではあった。
「あんなんでも、いたりするからなあ、全肯定系のが」
あれについてくようなやつだ。捕捉されると、つくづく面倒なことになるのは見えていた。
横のつながりだけが、妙に広いんだよねえ。
少し暴力的な考えが浮かんだのを、私は頭の中で止める。
そこに戻ってきたのが京香先輩だった。
「何してたんですか、ほんとに」
さっきの余韻で、責めるような口調で私は先輩に言った。
「ごめん、悪かったわ、ちょっとばかり看病というかなんとかで忙しくてな」
後ろに隠れるようにして戻ってきたのは、子鉄くんだった。
気恥ずかしそうに「皆さん、ご迷惑をおかけしました」と言う。
「いや、子鉄くんは大丈夫なんだけどね」
私が言うと、先輩は頷いた。
「最近熱中症、妙に増えてるからなあ。こいつの容態とか、忙しい用務員さんが見るわけにもいかないだろうし、ついでに私が看病してやった。光栄に思えよ」
非モテ三人衆が、羨望のまなざしで彼を見つめている。
おまえらはモテたければ、長岡さんをかばえよ。
「それより、どうだ。君たちのほうは」
「草取り、あらかた完了しました。京香先輩がいなくて大変でしたけど」
長岡さんが見える範囲のグラウンドを腕で表しながら、報告した。
「次は、何をすればいいでしょうか」
「偉いぞ」と、京香先輩は長岡さんの頭をくしゃくしゃに撫でる。そして2秒ほど経って、何かの違和感を感じたのか、手を擦り合わせた。
「妙に……、まあいいか。とりあえず皆、待たせたお詫びに、部費で豪遊としようじゃないか」
「おおう」
沈んでいた空気が、一気に明るくなった。一同は、そのまま荷物を取りに戻るついでに、京香先輩に問うた。
「部費って、支給されていたんですか?」
五月の生徒総会を経なければ、手に入らないはずですが、と付け加える長岡さん。
「いやあ、まだだ。だから、これから奪りに行くのさ」
元気を取り戻した高校生は、行動力を変な方向に発揮するものである。
宿泊用の施設でコンビニ飯を食って寝ていた、独身貴族の大久保顧問代理を半ば脅迫じみた文言で追い詰め、彼の財布から食費を捻出させるに至った。
「諸君、我々は念願の、部費を手に入れたぞ!」
勝ち名乗りを上げる京香先輩。大久保先生が持っていた袋には「たばこ用」とあるが、中には一万円札が2枚も入っている。強制的に生徒に禁煙生活を強いられる羽目になる大久保先生に、私は少し同情した。
「我々は今からファミリーレストランに向かい、ハンバーグステーキを確保する」
「うおおお」
「京香先輩、我々はあなたについていきます」
非モテのジャンヌ・ダルクと化した京香先輩にテンションの上がる男性陣。それに反して、やっていることはノルマン人のそれだよなあとやや冷めた視線を向ける私と、不安げな顔をする長岡さん。
「大丈夫だって、たぶん」
軽く言う私に、首をかしげながらもなんとか飲み込もうとしている様子だ。
「そうですか、なんか校長先生とかに言われて問題になったりしません」
「あ、それはあるね」
「やっぱり問題じゃないですか」
確かに、端から見れば恐喝だ。先輩は大久保が禁煙生活を始められないことで嘆いていることを知っていて、強制的にはじめさせる代わりに中の二万円を要求したのである。
「それがね、なぜか問題にはならないんだよね」
私たちの見えないところで、大人の力が働いているのを私は感じていた。
自称進学校であるこの眉軒志和高校は、中高一貫校である。正確には、中・高等学校の表記が正しい。中等部、高等部への入学金は、学費以外の主要な収入源として使われている。そんなところにこの彗星のごとく現れた問題児の存在が発覚した場合、志望者数はどうなるだろうか。
目に見えて落ちること、請け合いである。
「だから、流石にこの件をおおごとにしたりはしないんじゃないかな」と私は言った。
しかも、実際今回は「合宿」を言ってるわけだし、一応後で多少の費用は回収されるけど、生徒を健康な状態でいさせるのは義務ではあるからね、先生の。
「まあ、納得はしましたけど、結構ずるいですね、大人って」
「ここだけかもしれないけどね」と私は付け加える。一応、言っておかないとまずい。
「それがしは、アンガス牛のステーキを所望するでがす」
子鉄くんが歩行者信号を見ながらいった。
《*》
「うめえ」「うめえ」「うめえ」
非モテ三人衆だが、こういうときは非常に目についた。彼らはよく食う。異様なまでに食べる。男子三人集まればその食事量推して知るべしだが、さっきまであった山のようなフライドポテトが2分もしないうちにまっさらに消え失せた。さらに15分以上前に頼んだはずのハーブチキンが未だに来る様子がない。こういうタイミングでイムちゃんがいれば、どういうリアクションをしたんだろう、と考える。三十木は……いいや。
長岡さんが呼び出しボタンを押して、伝票を透明な竹から抜き取った。
「まあ、お金は足りそうだ。よかった」
先輩は少し汗をかいていた。予想以上に男子が食うので、このままでは彼らの胃袋に行く料理と共に、紙幣すらも溶けてしまうのではないかと恐れていたが、一応は予算以内でしっかり収まる形になっていた。
回収待ちの鉄板がいくつもまとまって置いてある姿は、なんとも威圧的な光景である。
子鉄くんに、京香先輩の様子はどうだったのか聞いてみた。
「まあ、よくしてもらいましたよ」という普通の反応。
「何か、変なこととかされなかった?」
「変なこと?」
と、聞き返して子鉄君は頭を悩ませる。
「それがしの周りで、特段変なことは起こりませんでしたが……」
「ただ、用務員さんの様子が少し変でした」
用務員さんが変、とはどういうことなのか。何か調子が悪そうだとかだろうか。
「顔色とかよくなかったり」
「いえ、そういう感じではなくて、なんというか、挙動が不自然というか、ぎこちない感じというか」
心理的なものか。なにか後ろめたい事でも、抱えているのか。普通の人ならそうだと思う。
ただ、その状況で目の前にいる人が人だ。
「わかんないけど、京香先輩を見て緊張したとかじゃないか」
先輩を見て挙動不審になる理由は基本、二つしかない。困惑、そして恐怖だ。何をされるか分からない相手に対して平然と接しろというのには無理がある。特に自分の大事なものが保管してあったり仕事上使う書類があったりする時はそうだ。
「まあ、そうっぽいですよね、たぶんそうです」
子鉄くんと話している間に、ハーブチキンが届いた。
「お待たせいたしました、こちら峯雪鶏のハーブチキンと、特製ミルクパフェです」
デザートと一緒のトレーに載って。
ご注文は以上でよろしかったでしょうか、という店員の受け答えに、京香先輩が言った。
「いや、もしかしたらまだあったかもしれないですねえ、でもこっちの思い違いかもしれないんで」
適当なことを答えて確認させ、焦らせようとしている。相手のミスは2回目なのだ、それこそ躍起になってないはずの注文を探そうとするはずだろう。
「やめましょうよ、出禁喰らいますよ」と内心言いたいが、それが原因で悪意と思われても損なので、面と向かっては言えない。その代わりに、私は鋭い視線を送った。
「あ、間違いでした、来てますね。すみません」
気づいたのか、先輩は訂正する。その隣で、長岡さんはパフェを食べていた。
「おいしいです」
それはそれはおいしそうだ。隣の芝生が青く見える。私の食べているチョコレートブラウニーよりもとろけそうだし、甘そうな気がする。
「なんか、物欲しそうな顔してますけど、交換しません?わたしはぜーんぜん、かまわないですよ」
「交換」と言うワードで私は思い出した。彼女の口腔環境は壊滅的である。
どうしよっかな、と悩むフリを見せ、やっぱりいいと言って断った。
「私、甘すぎる物も苦手だから」
非モテ三人衆がチキンを頬張る中、一通りの食事は終わり、それぞれが忘れ物を確認する。
「とりあえず、外出とこうか」
約三名から間抜けな返事が聞こえた。
とりあえず、腹は満たせた。戦はできる。
戦場に向けて、士気の向上はたった今完了したのだ。あとは、突入するだけである。