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蠱毒の結成・2

 遡ること20日前。私は、とある事情で職員室を訪れるはめになった。


「何の冗談で、この白縄が突然ボランティアみたいなことを言い出すんだ」


 学年主任の溝口先生が、呆然とした顔でそこに立っていた。その目は猜疑心にあふれ、目の前で熱弁している京香先輩の一挙手一投足すら嘘かと疑うような様子である。

 どうも他の教師も同じ感想を抱いているようで、みんなして虚ろなる目を彼女に向けている。


「おお、君。今ちょうど交渉をしているところでね。私一人では信じられないと言うんだ、失礼な話だろう」


「今までさんざっぱら迷惑をかけてきたお前がよくそんなことを。我が校の評判を落とさないだけでも精一杯だったんだぞ」


「それはまあ、私という人間が生きているのだから仕方のないことじゃないか」


「反省文、また増やしたいのか」


 と言ってから、溝口先生はため息をつく。


「お前は原稿用紙20枚だろうが長編小説のようなもんを書き上げて返してくるから、全く意味をなしていないがな」


 ははは、と先輩は高らかに笑った。


「それは失礼、どうしようもなく、この心がうずくもんでね」


 溝口先生は、頭を抱えた。他の教師も同様に暗い顔になる。職員室がお通夜のような空気になったところで、先輩はまあまあ、と言った。


「今回は本気なんだよ。私は今までいろいろと学園に迷惑をかけてきた」


「迷惑の自覚があったんだな」と先生はぼやいた。


「しかし、それは私の興味と学園の方針が対立したから起きたことであって、今回は違うんだ。私はどうも、人間観察に興味が出てきてしまってね」


 そう言って、赤いUSBカードを押しつける。


「その中には私の考えた渾身のプレゼン資料が入っている。これを見てから、考えてくれ」


 先輩はそのまま踵を返し、困惑する先生を置いて職員室を出た。


 信じられない話が出たのは、その三日後である。


 先輩のアカウントから、「作戦大成功、教師の籠絡もちょろい」とのメッセージがあった。


 思わず私は、「何をするつもりなんですか」と送ると、一分ほどの間が開いたあとに、

 たった二文字で「蠱毒」と帰ってきた。


 理解できない。ボランティアと先輩の言う「蠱毒」がどう結びつくのだろう。それ以前に蠱毒という血なまぐさいフレーズと、ボランティアという善の奉仕的イメージがあまりにも対極にありすぎていて、一切関連性を見いだせなかった。


「蠱毒って、なんですか、なんかすごそうですけど」


 文面では伝わらなかったのか、ウィキペディアのリンクが送られてくる。


「そうではなく」


 ボランティアといえばマザー・テレサ的な活動だが、学校で炊き出しなんかしなくても貧民は学校にはいない。

 そしてマザー・テレサが毒の壺で実験して笑っていたら、それはただの魔女である。

 私はその恐々としたイメージを掻き消して、冷静にメッセージを送った。


「蠱毒って、格差を生みますよね」


「もしかすればそうかもな」


 蟲がお互いに弱肉強食をする環境のどこに「もしかしたら」要素があるのだろう。それはスルーして、私は質問を続ける。


「で、ボランティアって格差をなんとかするやつじゃないですか」


「そうだな」


「同時に存在できます?」


 返信が途絶えた。

 2分経っても返ってくる様子がない。ただ一つ、「電話を」と言ったきりである。


 私は仕方なく、Wi-Fiの電波マークが全て揃っていることを確認してSNSでの通話を開始した。


「あっはははは」


 開幕、元気の良い笑い声が聞こえる。


 このシュレディンガーの猫的な問いに説明を求めるも、京香先輩は笑うばかりであった。


「ちょっと、どういうことですか」


「あはは、あまりにも君がおかしなことを言うからね、つい」


 脳内で疑問符を浮かべる私をよそに、京香先輩は1人で自己満足している。


「たしかにちゃんと説明しなければ、そうなるか。いやおもしろい。シュレディンガーの非モテか、ははは」


 ひとしきり笑ったところで京香先輩は、冷静に話し出した。


「いやね、君に誤解させておいて悪いんだけども、私ははじめから「ボランティアをする」とは言っていないんだ。一切ね」


「へ?」


「言っただろう、あくまで「人間観察」だよ、「人間観察」」


 先輩は上機嫌に鼻をならした。

 とはいえ、あくまで先輩がずっと観測者のままでいるわけがない。この女は、そんなにストレートに物事を進めるわけがない。どこかしらひねくれた方向性で何かを思いついて、私にやらせてくるのだ。

 

 静かに私は友達にSOSの通知を飛ばした。2秒ほどして、ガッツポーズのスタンプが送られてくる。

 「がんばれ」じゃないんだよ。静かな怒りを一つの絵に表現しながら、私は先輩の話を聞いた。


「ところで君、なかなかいい案を出してくれたじゃないか」


「何ですか?」


「シュレディンガーの非モテだ」


 まだその話擦るんですか。と思いつつ、相づちを打った。


「教室にぶち込めば非モテの存在は消える、そういうんだな」


 多分私の意味したところとは違う方向で先輩は脱線させていた。しかし、よくありそうな思考実験と日常生活に密接するものの組み合わせは斬新にして面白そうだ。かくいう私にも彼氏は出来たことはないから、非モテの部類に入るんだろうけども。


 実体として非モテは教室に存在している。しかし非モテは教室内の観測者にとっては実質的に空気だ。非モテを教室から排除したところで教室内の環境は維持される。よって教室内の観測者から見て非モテは存在していないように見えるわけだ。だが、それは非モテが存在していないと言えるのか?

 出欠を取ることによって非モテの存在を確認するまで、非モテが存在しているとも存在していないともいえないのではないか。


 そんな人権問題に抵触しそうな問いを、京香先輩は平然と言ってのける。


「失礼、ブラックジョークだ」


「かなり、全国の非モテに失礼じゃないかって思います」


 うんうん、と先輩は言った。本当に分かっているのだろうか。


「そう、このままだとただの失礼な話だ。というわけで、その反意にあたる状況を作ってみよう。「蠱毒」だ」


 蠱毒、というフレーズが戻ってきた。連想されるのは地獄、という発想から、なんとなく京香先輩の想定している事が分かり、私は青ざめた。しかしながら私はついて行くしかない。

 気がつかずに聞いてみるフリをした。


「というのは?」


「わかるだろう。教室で浮いた人間しかいない空間を作るんだよ。そこで観測できるものは何か。人類の永遠の謎だぜ」


 予想どおり、さらに失礼な話に飛躍した。


「それはちょっとあんまりじゃないですか」


「でも実際、見てみたくはないか?」


 悪魔の誘いである。確かに、ありとあらゆる浮いた人間を一つの空間に閉じ込めてどうなるかっていう実験は見てみたくはある。だが、自分の母校の生徒、なんなら後輩でやることじゃない。


 といっても、やるんだよなあ。この人は。


「ちょっと……まずくないですかねえ」


 私はなんとなくの婉曲表現でお茶を濁した。しかも、これを半分騙すような形で先生から許可まで取ってしまっている。私が参加しないと逆に不自然な形になってしまう。


「問題ない。今は多様性の時代だ。ありとあらゆる問題児たちを集めていくぜ。性格に難ありから、体質においてまで、あらゆるタイプのめんどくさい奴を集めに集めまくって、彼らだけの楽園か地獄を作るんだ!」

 

 先輩は最高のエイプリルフール企画だろう、と言って憚らない。

 

「四月馬鹿というのは、四月中に見る馬鹿なのだ。それは何も四月一日だけの専売特許じゃない。ということはだ。四月中に馬鹿をやる連中を見て、笑うのも一種のエイプリルフールの形なんじゃないか」


「それは笑いじゃなくて、()()()()って言いません?」もっとひどいやつ」


 だから何か、と言わんばかりの口調で先輩は言った。


「いいじゃないか、それでも。それに、馬鹿を見るのは、彼ら、教職員なんだからな。学生が()()()()()()方を見て笑える企画なんか、他にないぞ」


 生徒会に入会するのを謎の圧力で阻止しやがった上層部に思い知らせてやる、と先輩は息巻いている。


 そのときの先生方はこれ以上なく、素晴らしい判断だったと私は思った。

 それだけに、なぜ、と言う気持ちが沸き上がっている。


 と、この上なく邪悪な計画に半強制的に誘われて、その泥舟に同乗させられているのが、今。



 世間はもうすぐ連休だと浮き足立っているころであった。


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