蠱毒の結成
現時点では初稿を公開しています。投稿してからも編集することがあるので一時的に中途で終わった状態になることがありますが、ご了承ください。
空気が、重い。
眉軒志和高校・図書館棟、図書室上の教室。情報処理教室から一歩手前の廊下に入り口を構えるこの場所は、グラウンドや体育館、そして音楽室の喧噪から極めて無縁な場所に位置している。校舎の真裏にして、年中校舎とコンクリート、ビオトープに挟まれたこの場所に、何も知らない状態で集められた生徒5人が、真剣な面持ちで着席していた。
小学生のように伝統的な学習机で八人掛けの椅子が囲む「島」を作ったところに座るという団結の象徴のようなことをしておきながら、公共空間のように一定の距離を開けて人との密着を拒否する構えを見せている。この一見矛盾した様子は、彼らにとっての心理的安定を確保するのに必要な行為のようだ。
なにやら小声で呟く男が一人、シャープペンシルを回し続ける男が一人、文庫本に顔を埋めている女が一人、遠くを見つめている男が一人、永遠にスマートフォンを上にスライドしている女が一人。
蛍光灯がついていない薄暗い空間のなか適当に距離を開けて座る五人の中では、無言の時間が続いている。誰か一言でも言葉を発すれば、この静寂と意味深な状況を理解できる地盤が整うのだろうが、この空間の中にいるほぼ全ての人間が、目の前に待機している生徒とのコミュニケーションを拒否していた。
おそらく、ほぼ全員が今こう思っているだろう。
「誰か、喋ってくれないだろうか」
人見知りにありがちな遠慮行動。それは、自分の得るリスクを最小限にしつつ、相手の行ったミスの責任を追及しないという暗黙の協定と同じだった。この場所で誰かが開幕一番に喋り、それが一瞬で場をしらけさせることになれば、空気は大変恐ろしいものになる。ゆえにそのファースト・ペンギンを担う者は必ずこう呼ばれる。「リーダー」と。
「あの」
本で顔を隠していた少女が、おずおずと話し出した。
数的有利を確保していたにもかかわらず出し抜かれた男子は、情けないことありゃしない。そう言われたような気がして男子は少女と目をあわせないように顔を伏せる。
しかし、その勇気ある先駆者を一瞬にして蒸発せしめたのが、馬鹿みたいにうるさい扉の音であった。
「やあ、諸君」
身長高めの、ショートカットの女性がドアを全開に開いて押し入ってきた。
このじめっぽい空き教室の面々の誰よりも、まちがいなく自信にあふれた雰囲気を纏っている。胸を張り、後ろに後輩らしき女子生徒を引き連れて、なにやら大がかりな看板を後ろに持っている。
学生章の文字がローマ数字の三をかたどっていることから、上級生であることがすぐにわかった。
「集まってくれて、誠に感謝する。いや、実に素晴らしい人選だ。紹介していただいた先生方には、感謝せざるを得ないな」
担任から放課後に教室を指定され、集まるようにと指令を受けたばかりの彼らは、困惑した。おそらく、今年受験を控えているはずの偉大なる先輩方が、なぜこんなところに?
何の用事があるのかと思ってきてみれば、特に先生方が用事があるようには見えないし、なんだか要領を得ない。
「あくまで任意だと主張したからか、残りは帰ったか」
「あの」
さっきの勇気ある女子生徒が、先輩に声をかけた。
「なんだ」
「わたしたち、何か問題でも起こしましたか」
目は帰ってもいいか、と訴えている。
「問題?特に君たちの素行に不良があるとは聞いていないが」
少し頬に肘ついたあと、先輩は右下に目線をやりつつ、呟いた。
「……なるほど、そういうことか」
「用事がないのでしたら、わたし」
本を持って立ち上がろうとする少女を、先輩は制止した。
「まあ、待て。お前たちには問題がある。ああ、問題大ありだ」
逃げ道ができないように、先輩の引き連れてきた後輩であろう人が、ドアの前で看板を持たされてその場に立っている。突如として閉鎖空間に監禁された少年少女たちは、自分の能力では新しく現れたこのリーダーに抵抗できないことを悟り、もとの沈黙に戻った。
「お前たちは、私の愛すべき「欠陥」がある」
「欠陥ですって」
黙っていた男子の一人が、声を強める。
「俺たちに欠陥があるっていうんですか」
「そりゃあ、そうさ、なにせ君らは、私がわざわざ名簿を注文して集めた、選りすぐりのポンコツたちだ」
衝撃が走った。招集したのが先生方ではないと言う事実を聞かされると、この謎すぎる目的で集まった空間に居合わせた五人はお互いに目を合わせ、本当に目の前にいる高身長女子の仕業であることをお互いに確認した。
「まずは聞いてくれ。私は白縄 京香。君たちには私の下で社会奉仕活動を行ってもらう」
呟いていた男子生徒はもっさりとした頭を上げて言った。いまいち切りそろえられていない髪の毛は、頭髪検査があれば一発で引っかかりそうな感じの膨らみ方をしている。
「その、白縄先輩」
「京香でいい」
「京香先輩、どうしてそれがしをこのような所にお招きになったのでしょうか、それがしは今から帰投し直ぐにでも来季の臨時ダイヤの把握と非常列車の運行計画を」
「撮り鉄……?」
女子が、少し騒々しくなった。
「静かにお願いします」
後ろの看板を持っている女子生徒が一喝する。男子生徒は萎縮し、女子はその二年の学年章を見た。
「言っただろう、君らのような、孤立している生徒を集めて、集団の中での貢献意識や自立性を成長させるためだ。部活動として行うことで、社会活動に必要な協調性や社会性を気楽に学べるはず、と銘打ってな。私がそう提案すると、先生方が職員会議で取り上げられ、結果は賛成多数で可決だ。「生徒の自主性は素晴らしい」とのコメントもいただいた」
だが、と京香先輩は続ける。
「単純な貢献活動ではダメだ。面白くなさ過ぎる。だから、クラスで浮いている奴を集めて、「強制的にリア充させる」。お前らのうちだれが脱落していくのかが楽しみだ」
「あの、今すぐわたし降ります」
女子の一人が、鞄を拾おうとする。これが何らかの春の陽気にあてられた自分の悪夢であってほしいと願っている顔だ。しかし、先輩は容赦なく言い放った。
「残念だったな。おまえらの名前は、登録済みだ。部活動の申込用紙、書いただろう」
携帯から手を離し、もう一人が目を伏し目がちにして挙手する。
「でもぉ、うちは部活動、入るに「○」つけなかったのでありまして、でへぇ」
喋り終わったあとに、口癖のように少女の口から笑い声が漏れていた。誰がみても一発で孤立する原因がそこにあるとわかる。
先輩は、腕を組み、納得したように頷いた。
「なるほど、確かにそうか、お前たちは部活動に入ることはないだろうな、インドア派なら」
またも「だが」と先輩は続けた。勝ち誇ったように意地悪な笑いを浮かべると、
「お前らのだけ複写用紙になるように、細工しておいた」と言った。
流石に、その場にいた一同は、完全に声を失った状態だった。
「だから被害者はお前たちだけではない、もちろん今日来てないやつも含めて、あらかためぼしい奴はスカウトしておいた」
担任に、と付け加える。
「あなたが部長さん、ですよね。その、勝手にこういうコトされても困ります。わたし、文芸部にも入ってるんですよ」
本を読んでいる少女は、明日からどうすれば、と嘆く。
兼部しているだけならまだ何とかなるだろう。強く生きてほしい。
「あ、部長じゃないぞ、私は」
初耳である。
「ちょっと、どういうことですか」
驚きのあまり、私は看板を置いて彼女の襟首に詰め寄った。
「私は「会長」だ。だから、実務は君に任せる」
そう言って、京香先輩は私の頭を軽く叩いた。
「それ、やめてくださいよ」
体のいいことを言っているが、ようは責任逃れだ。その一言に、招集された少年少女たちが希望に満ちた目で見つめてくる。それに気づかぬふりをして、目をそらした。
「多分、私は代理人ですから」
「退部の申請は顧問の先生に相談するように。まあ、顧問は協力者だから、そう簡単にはいかないと思うがな」
ブラック企業の人事制度のような評価を平然と持ち出す。
「来る人拒めず、去る者おらず」と書けば、そこら辺の企業より悪質な勧誘だし。
「ただ、私についてくればもっと人生が楽しくなる。それは保障しよう」
そう言って京香先輩は私を見る。
「なあ、楽しかっただろう」
「ええ、まあ」
といいつつ、私は去年から続く先輩との交友関係を振り返っていた。
急な呼び出し、校舎凍結計画と、学校でのパイ投げドッキリテロ未遂事件。
反省文と悪巧みの毎日をそういうなら、確かに反省を一切しない先輩は、楽しいのだろうと思う。
「私にとっては、すごく疲れた気しかしませんでしたけどね」
しとやかさの欠片もないが、確かに魅力的な人物であるのは確かなのだ。他の仲間は皆受験や転校でこの悪の組織から脱退してしまったので、彼女の側に残ったのは私だけだった。
「人生を台無しにするか、しないかという瀬戸際でする遊びは、最高だ」
京香先輩はめちゃくちゃ悪そうな顔で、笑い出した。
「では、自己紹介をしてくれ」
「私ですか」
「ああ、君からだろ」
私が自己紹介をして、緊張をほぐすために先輩が軽くキンチョールが効かない虫の話などの雑談をこなしたあと、集められた五人が話す番になった。
「さあ、君たちはキンチョールが効く虫にならないでくれよ」
文脈が分からない者が聞けば、全く分からない言い回しで先輩は五人の哀れな犠牲者たちを煽る。
そのまま引くに引けなくなった被験者五名は、誰を先に生け贄にするかの相談を無言で始めた。互いの顔色を見合わせ、じつと手を見る。
またも先に立ち上がったのは、本を読んでいた少女。諦観を顔に浮かべながら、絞り出すように口を開いた。
「長岡 みなみです。 趣味は読書で、最近は松尾史論さんの本とかが好きです」
手を絞りながら周りの様子をうかがい、彼女は腰掛ける。
「いいねえ、その一言感想文みたいな紹介は。調教しがいがある」
「京香先輩」
私は長岡さんのほうを見た。鞄を自分の膝の上に抱えて引いている。
「怖がらせないでください」
「冗談だよ」
「じゃあ、次の方」
もっさりした髪の男子が立ち上がる。その動作もいちいち電車の発進のごとくのろりとしていた。
「それがしは子鉄。本名はキモいのでなしで頼みます」
語尾と人称の不一致が気になる。時代劇とかでなら、「それがし」に対しては、「ござる」で対応しているんじゃなかったか。そして珍しい、本名を名乗らない自己紹介である。
「言ってみろよ」
京香先輩が茶化す。周囲の視線が期待に変わると、子鉄くんは「どうしてもですか」と困り顔。
「聞かせてよ、でへ」
女子の一人が頼むと、子鉄くんは少し顔を明るくして、自分の手をもみながらぼそりといった。
「確かにそれはあんまり言いたくないよな」
「うわあ」
男子側からのフォローが入る。そして案の定、
「あっははは」
京香先輩は笑っていた。
「面白い名前じゃないか、それ。いいねえ、気に入った」
「でも、それがしは嫌ですよ」
先輩は「私が気に入ったから、いいんだ」と言った。少し気恥ずかしそうにしながら、子鉄くんはうつむいた。
「で、次は」
笑いを語尾にする少女が手を挙げる。
「うちは、田中 里穂です、趣味はネットで本とか読むことです、でへへ」
当たり障りのないことを言っているのに、笑い声のせいでなぜか意味深に聞こえる。
「どんな本とか?もしかしてアレとか、成人向けとか読んでたりしないよね」
「悪意ありますよ、それ」
「な、ないですよう、え、へへ」
必死に彼女は首を振った。
「わっかんないなあ」
「あ、でもうち、筋肉好きなので、たまにボディビルとか見たりします、でへぇ」
京香先輩はあまり興味なさげに「ふーん」と言った。
筋肉フェチの少女に続いて名乗ったのは遠くを見つめていた男。
「俺、三十木 雄真す。見てのとおり、ビジュ終わっているんで気にしないでください」
なんてぶっきらぼうな感じに言うが、そこまで外見は悪くない。ひどく見積もっても中の下くらいだと思う。つまりは自己評価が低すぎる男である。
「意外と悪くないけどねえ」
「別に、そうじゃないっす、ありがたいんすけど」
「ゆうまくん、私は悪くないけどね、でへへ」
「あ、結構です」
なにかを自然な流れで断った。
まあ、とりあえず彼は放っておくとして、残ったのはただ一人ペンを回したまま、何も発言しない男だ。
「で、そこの君は誰かな」
慌ててペンを落とした男子は、拾ってから大事そうに抱え、立ち上がった。
「おれは……四津角 道生。趣味はペン回しです。よろしく」
見ての通りだ。名前以上の情報が出てこない。
「他には?」
「あの、ご飯食べたいです」
マイペース。それは、クラスで孤立する。
「食べていいですか」
京香先輩に向かって、彼は言った。しかし、低すぎるボリュームのせいでほぼ聞こえない。
「え、何かいったか」
「いいです」
反応されなかったのを気にせず彼は肯定と見なして、「スゴイバー」を勝手に食べ始めた。
「おお、それスゴイバーじゃないっすか」
三十木がテンション高めの声で喋る。
「分けてくださいよそれ」
「だめ」
三十木が他の生徒に絡みにいったことで、おのおの緊張が多少緩んだようだ。
子鉄は様子を伺いながら、少し離れたところから会話に参加しようか迷っている。田中さんのほうは、
「三十木くん、って、なんか漫画とか興味ある、でへへ」
男子に積極的に絡みにいこうとしていた。
(個性、強いなあ)
私は内心、そう思った。このメンバーは私が気づいていないだけで相当ヤバい要素を詰め込まれているはずで、さらに二人くらい参加しなかった奴が入ってくるわけだ。と考えると、京香先輩のもくろみ通り、相当な蠱毒が完成するだろう。今から春の陽気とは関係ない、蒸し暑くほの暗い青春が、私の中で幕をあけようとしている、と少し面倒な気持ちになっていると、丸顔の少女が話しかけてきた。たしか、これは本を読んでいたから、長岡さんだっけ。
「あの」
「それ、何に使うんでしょう」
ドアの傍らに放置してあった看板を指さし、彼女は言った。確かに大きく、どう考えても教室の中とかに置いておく物体ではなかった。
「ああ、これね。京香先輩が今朝急に教室に持ってきたんだけど、何に使うのか言ってくれなかったんだよね、そのまま部室にもってこい、って」
第二学年の教室に体格のよい上級生が何らかの凶器を持ってきて暴れている、という通報があったのが午前7時30分のことである。私は突如現れたこの先輩によって、寝ぼけた視界をすっきりくっきり晴らされることとなった。
「おいお前、今日はこれをもってこい」なんて勢いで持ってきたのは、巨大な立て看板であり、ドア一個分かと思う大きさを両手で抱えたまま、先輩は私の教室に侵入してきたのだ。
当時私は絶賛朝の休憩中で、朝テストの対策が終わって少しばかり仮眠でもしていようかと思ったタイミングで友だちから血相変えてたたき起こされ、見てみればこれだ。
「流石に私の教室に置いておいたら、京大目指してる受験生の邪魔になるだろうしねえ」
「何してるんですか、これ、危ないじゃないですか、こんなとこに置かないでくださいよ」
至極まっとうな正論は通じない。
「『普通』のほうなら、流石に問題ないだろ。文化祭の時とかだったら普通に置いてあるんだし」
そう、彼女はどういうわけか特進クラスなのである。 地頭だけはいいということなのか、それとも頭がいい人間のほうがおかしいのかは分からないが、これを普通クラスの私のところに持ってきて、「保管しておいて」と言い放った。反論むなしくどう考えても私の頭の回転じゃ追いつけないレベルの理論武装をありったけ解放されて、私は仕方なく教室にこのでかぶつを預かった。
そのあと、各教科の先生が入ってくるたびに「コレなんですか」を聞いてくるので、私は六時間目まで永遠に答え続けないといけないはめになり、流石に夕方になってからは受け答えにうんざりしていたころだった。
部室に入ってもまた、頭の中に入ったマニュアルを暗唱し、私は少女の目を見る。
ちょっと目が死んでないか心配になった。
長岡さんは簡潔に「へえ」とひとこと。
「じゃあ、これ開けていいですよね」
なんて言ってタテカンを覆ってある紙を破こうとするのを、
「ダメだ!それは、まだ開けてはいけない!!」
全力でシャトルランをするより速く、京香先輩が戻ってくる。そのあまりの反応の早さに、何かを隠しているのではないかと勘ぐったのが、三十木だった。
「何かあやしいような。何の看板っすかそれ」
京香先輩の近くに向かい、看板を裏からのぞき込もうと試みた。
「君、ガードだ」
先輩は私に看板の後ろを守るよう指示する。仕方なく反対側に立つと、なんだか騒いだのを気にしたのか、室内に残った面々の視線が、全てこちらに向く。
「なんですか」
「なに、どうしたのー、でへへ」
「それがしも気になります」
一同が集まってしまった。
「そうか、まあ仕方ない。出来れば彼らをずっと観察していたかったのだが」
すごく残念そうに、京香先輩は言った。
「これを置くには一旦外に出る必要があるわけで、そうなると君たちを解放しないといけない」
ぱっと、嬉しそうな顔が広がる。
「私が解散宣言するまで、勝手に帰るなよ」
念を押しつつ、京香先輩はタテカンを持ち上げる。
「フリじゃないからな」
そして、さっきまでいた空き教室のまえで足を広げると、タテカンが自立式の看板になった。
「では皆さんお待ちかねの、看板のお披露目だ」
「それ」
一斉に、部員たちがその紙を破いていく。最初に亀裂が入った中から現れたのは、青色に塗られた下地である。そしておのおのが自分の破きたいように勝手に破いた結果、
「おお」
現れたのはちょっとした完成度の高い看板であり、部員たちもその出来に歓声のようなものを発した。破いた紙は全て取り払われ、看板の全貌が明らかになる。
そこには「安全部」と書かれた文字が刻まれていた。そこで歓声が疑問に変わる。
「すごいんですけど、安全部って何ですか?」
「……なんか、工事現場みたいじゃない?」
青色に黄色い字という立て看板の色合いも相まって、言われればそう見えてくる。
「ここに、安全靴とヘルメットを被った人が手を前で組んでお辞儀をしているイラストを入れれば、完全にそれじゃ」
「とにかく、安全部という名前の理由はな」
京香先輩は自慢げに説明する。
「ここはお前等にとって校内で避難場所になる「安全地帯」になるからだ。ここに来れば、いじめだろうが、事件だろうが、何も関係ない。お前の味方が、ここにいるわけだ。同じような思いをした人間が集まればお前たちは辛さが紛れる。みんなで理解しあえる。なんと素晴らしい理念だろうか」
「やってることはちょっと、まだアレですけどね」
ただ私は、この設立の理念も、その目的も聞かされていた。それはあくまで表面上の非常にお膳立てされた綺麗な理由である、こう聞けば満足するだろうと先輩が考えついたきっかけと、本当の目的も。
京香先輩の顔を肩越しに見ると、満足げな表情だった。
整列する野球部を落とし穴にはめたり、学食の一味唐辛子をブート・ジョロキアにすっかり交換してしまったときと同じ顔で、笑っている。
「わあ、素晴らしいですね!わたしみたいで」
ほぼ全員が廊下にきゅっと収まっている今、至近距離で、長岡さんが言った。
(口、臭っさ!)
みんなはそう思った。
ただ、いえない。彼女が孤立する理由は、これか。
後輩フィルターがかかって無条件に多少可愛く見えていたが、よく見てみれば、彼女は完全におしゃれに関して無頓着なようで、妙にぼさぼさの髪の毛に、顔の表面の肌荒れはそれなりにひどく、制服のスカートが不自然な光り方をしている。つまり、座った痕がついたまま、ブラシもかけていない。
「長岡さんって、何年生だっけ」
私が聞くと、彼女は二年生と答えた。他に二年生の有無を聞くと三十木くんが手を挙げる。
「私含めて三人だけなんだ」
「あの」
か細い声が辛うじて聞こえる。どこにいるのか探すと、長岡さんの右後方、情報処理教室のほうにひっそりとたたずんでいる男子がいた。
「僕も、です」
四津角くんである。やはり存在感の薄さはすごい。
ただ、今入ってくる情報だけでは、彼ら彼女らはまだ嫌われる要素はあるけれども、決定打になりそうな情報は入ってこない。もしかしたら、このあと話したり一緒に何かしていく上で少しずつ理解していくとわかってくるのかもしれないけれど、正直考えないようにしよう。
今のところ彼らはいい子なのだから。今のところは。
そんなところで、下校時刻の10分前を知らせるチャイムがなる。これを破ると門限違反ということで、違反した部活動には制限が課せられてしまう。
設立したばかりで、流石に開幕部活動制限もしくは停止などになろうものなら、笑いものでしかない。というわけで、いつもならこのまま下校時刻限界まで粘るところを、
「では、これより、我々安全部の設立を祝し、健やかなる解散をしようではないか!」
「か、解放されるのか」
「解放とは人聞きの悪い。猶予期間と呼んでくれ」
「それ、自分で言ったし。しかも拘束前提ですよね」
「細かいことは気にするな。さあ、いったいった」
解放された少年少女たちは、バケツから放流された稚魚のように、いったんはひとかたまりになって、あちこちの校門から散っていった。それを先輩と私は階上の窓から眺めて、計画の成功を密かに祝っていた。
「ついに、ついに始まったぞ君」
見えなくなるまで生徒たちを見送ったあと、鼻息荒くして京香先輩は私に迫った。身長が私より20センチも高い彼女は、黙って、じっとしていればモデルにでもなれそうなものなのだが、どうにもこの性格だとそれは好きではなさそうだった。
「できた、出来たんだよ。蠱毒の壺が。いやあ、実に楽しみだ」