9話 テティスの夢
歪さはあれど、ノアとの関係は良好だという自信を持っているテティスは、望むものがないかと聞かれたこともあって、意を決したように問いかけた。
するとノアは、先程までのふわふわとした表情から一転して、やや真剣な面持ちをテティスに向ける。
「因みに、どうして魔力増加の研究について知りたいのか、聞いても?」
「もちろんです。……えっと、そもそもノア様って、私が無能だと言われていることってご存知ですか……?」
名門のアルデンツィ家に生まれ、数代ぶりの結界魔術師となったヒルダと比べられて、テティスが無能呼ばわりされていることは、割と広く知られていることだ。
しかしノアはヒルダのことをかなり好いているようなので、もはやその他の人間のことなど知らない可能性もあるのでは? とテティスは思ったのである。
「ああ、知っている。……不本意ながらね」
「……そう、ですよね」
ノアの言葉に、何故かテティスの胸はチクリと痛む。
テティスの存在がアルデンツィ家──引いてはヒルダの汚点になると考えれば、テティスが無能だと言われている事実は、ヒルダのことを愛するノアからすれば、不本意だと思っても致し方ないだろうに。
(それでも、そんな私を婚約者にするんだから、本当にお姉様に惚れ込んでいたのね)
テティスは俯きがちになりながらも、話を続ける。
「ですが、そんな私にも夢があるのです。結界魔術師に、なりたくて。ちっぽけな魔力しかないのですが……」
「なるほど。確かに、結界魔術師は膨大な魔力量を持つ者しかなれないと言われているね。……テティスの血筋的には結界魔術師の素質はあるかもしれないから、少ない魔力量をどうにかすれば可能性はあるんじゃないかと考えたわけだ」
「そうです……! そうなんです!!」
流石筆頭魔術師様は話が早い。テティスは食い気味に答えると、ノアは眉尻を下げて口を開いた。
「ごめんねテティス。協力してあげたい気持ちは山々だが、まだこれといった研究結果は出ていないんだ。筆頭魔術師である俺には全ての情報が上がってくるから、まず間違いないよ」
「そう、ですか……」
どうやら、この様子だと以前教えてくれなかったヒルダも、本当のことを言っていたらしい。
テティスのことを思ってか、それともヒルダのことを思ってか、申し訳無さそうに言うノアに、テティスはテーブルに額が着くくらいに深く頭を下げた。
「教えていただき、ありがとうございます」
「いや、力になれなくて本当に済まない。もし今後何か分かったら、直ぐに知らせよう」
「本当ですか……!? ありがとうございます……!」
それだけでも、テティスからしてみれば希望の光だった。
ノアからすればテティスも力を身につければ婚約者にしておいて恥ずかしくないし、何よりヒルダの汚点にもならないので、万々歳のはず。
(あれ……なんだかまた胸がチクって)
まるで細い針で心臓を抉られたような痛みは、過去、家族に無能だと罵られたときにも感じたものだ。
好きで無能でいるわけじゃないのに、努力だってしているのに、自身を認めてもらえない虚無感。
周りの人間は皆ヒルダだけを大切にして、愛して、自分のことは誰も興味さえ持ってはくれない寂しい現実。
(大丈夫。もう今更傷付かない。……傷付いたって、何も変わらなかったもの。もう、慣れっこでしょ、テティス)
とはいえ急に気持ちを切り替えられるはずもなく、せめて味覚くらいは幸せを感じたいと、テティスはオレンジピールが乗ったクッキーを一口齧る。
ほのかな酸味と鼻に抜ける柑橘の香り、クッキーの香ばしさと甘味にほんのりと幸せを噛み締めていると、やや無言の時間が流れた中で「それにしても」と口火を切ったのは、何故か少し嬉しそうなノアだった。
「知らなかったな。テティスに夢があったなんて」
「……身の程知らずの夢ではありますが…………」
「そんなことはないだろう。後天的に魔力が増加する例は実際存在するんだ。テティスだって明日にはどうなっているか分からないさ」
そう励ましてくれたノアに、有り難さと気を遣わせてしまった申し訳無さを感じていると。
「差し支えなければ、どうして結界魔術師になりたいのか聞いても良いか? 出来るだけ、テティスのことを知りたいんだ」
「…………っ」
それはノアの気まぐれだったのかもしれない。もしくは、テティスに対する罪悪感からだったのかもしれない。
ヒルダの代わりとしてテティスに接する上で、その情報は必要ないというのに。結界魔術師になりたいといえば、周りは皆嘲笑ってきたというのに。
当たり前のように問いかけてくれたことが嬉しくて、まるで『テティス』のことに興味を持ってもらえることが嬉しくて、テティスはおもむろに口を開いた。
「私の曾祖母様も結界魔術師だったのですが、ご存知でしょうか? 約百年前、王都への魔物の大量襲撃を強力、かつ広大な結界を張って守ったと言われる、伝説の……」
「エダー様だろう? もちろん知っているよ。あの方の力がなければ、王都は無傷とはいかなかっただろうな。彼女が時間を稼いでくれたお陰で、我々魔術師や騎士が態勢を整え、そして民や建物の心配をすることなく戦えたんだから」
現在、ヒルダを含めて結界魔術師は三人いるが、彼ら彼女らの能力は、エダーに比べれば子供のようなものだ。
というより、歴代の結界魔術師のことが記された書物によれば、エダーは他のどの魔術師とも比べ物にならないほどの魔力量を持ち、最強の結界魔術師だったと記載されている。
「私は書物でしか曾祖母様のことは知りませんが、幼少期はそれほどすぐに芽が出ず、苦労なさったとあります。しかしどこかのタイミングで結界魔術師の頭角を現した曾祖母様は、伝説と言われ、未だに語り継がれています」
ノアは、瞬きをすることなくじぃっとテティスを見つめ、しっかりと耳を傾ける。
「……私がまだ五歳くらいの頃でしょうか。両親に付いていったお茶会で、そんな曾祖母様の話題になることがあったんですが、とある夫人が、私にお礼を言ってくれたんです。『あなたの曾祖母様のおかげよ、ありがとう』って。きっとその方からしたら、なんの気無しに言ったのかもしれません。けれど私は当時から家族から期待されていなくて、ありがとうだなんて言われたことがなかったので、嬉しかったんです」
テティスは、やや唇を震わせながらも、しっかりとした口調で言葉を紡いだ。
「だから私、結界魔術師になったら、沢山の人に認めてもらえて、沢山ありがとうって言ってもらえるんじゃないかって。曾祖母様みたいな結界魔術師になれたら、周りのことも、自分のことも幸せにできるんじゃないかって。……そんな理由で、私は未だに、夢を見ているんです」
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