36話 変わる未来
屋敷までの道中、テティスは今後の水龍の対策について、先にクロエと話したことをノアに報告した。
まずはクロエが事の顛末を父に報告し、更に水龍の祠に特定の人間以外が来られるように説得すること。
それが叶ったら、城の者たちや領民の手を借りて、早急に土砂を取り除き、祠の修復に取り掛かること。
水龍がもう暴れることはないのではないか。二人はそんなふうに感じていたけれど、対策をするに越したことはない。
十中八九、水龍が暴れた原因が祠にあるのなら、不安要素は取り除くべきだろうと、ノアはテティスの話に同意した。
「クロエ嬢の説得がもし上手くいかなかったら、俺も説得に当たるよ。祠を元の状態に戻すには、怪我をした子爵と娘の二人だけでは、どれだけの月日がかかるか分からないからね」
更に、ノアはクロエが秘密にしていたという事実を大事にするつもりはないという。
状況だけ見れば祠が土砂の影響に遭ったことで水龍が暴れ出したのだろうが、明確な証拠はないからだ。
加えて、領民は水龍のことをそれほど恐れておらず、被害にも遭っていない。ノア自身やセドリック、ほとんどの魔術師は怪我を負ったが、不幸中の幸いか、命に関わるような被害を受けた者はいなかったことも大きい。
魔術師たちも、クロエのこれまでの苦悩と『生贄』にまでなろうとしていたことを知れば、それほど怒りを覚える者はいないだろう。
「ノア様にそう言っていただけると心強いです。それと、子爵から許可が出た場合、祠の修復に関して可能な限りお手伝いをしたいと思っているのですが、よろしいですか?」
人並みの力しかないが、それでもいないよりは役に立つはずだ。
テティスは、少しでも力になりたかった。
「もちろん。仲間たちも明日にはある程度動けるだろうから手伝わせよう」
「ありがとうございます! あっ、ノア様は怪我をしているんですから、お手伝いはだめですからね……!」
「えー……。テティスがキスしてくれたら、こんな怪我すぐに治ると思うんだけどな」
「も、もう! 私にそんな力はありませんけど、公爵邸に戻ったら沢山しましょうね……!」
ノアの冗談に対して半ばヤケクソで返せば、彼は足を止めて天を仰いだ。
「ああ、幸せが限界突破しそうだ。というかした。さようなら、過去の幸せの上限」
「ノ、ノア様……! お屋敷に戻ったら怪我をしている左肩をお医者様に診ていただくんですから、お口よりも足を動かしてくださいね……!」
「照れているテティスが可愛すぎて、幸せの上限がまた突破した。それとお口って言い方が可愛い」
「〜〜っ、もう!」
これでは埒が明かないからと、テティスはノアの手を握って歩き始める。とはいえ、ノアの怪我に響かないように意識しながらだ。
すると、先程まで花が飛んでいるように見えるくらいに頬を緩めていたノアは、テティスの顔を真剣な表情で覗き込んだ。
「テティスが無事で、本当に良かった」
「……っ」
あまりの緩急に、テティスは狡いなぁと頬を赤く染めた。
◇◇◇
空が茜色に染まる頃、セドリックを含めた魔術師たち全員の意識が回復したと報告を受けたテティスは、ホッと安堵した。
診察を受けた結果、奇跡的に皆が軽症で、運動の制限などもないようだ。
(本当に良かった……)
ここはノアの部屋。
幸運なことにノアの左肩の傷口も開いていなかったが、もう少し傷が塞がるまでは安静にせよとのことで、彼はベッドの上だ。色々不便だろうとテティスはノアに付き添っている。
「ノア様、皆さん大事に至らなくて良かったですね。安心しました。しかし、皆さんお疲れでしょうから、水龍に関する話は明日にしますか?」
「そうだね。俺も今日はテティスとゆっくりしたい」
ノアの手がそっとテティスに伸ばされ、壊れ物を扱うように優しく撫でられる。
いつキスをされてもおかしくない状況に緊張していると、無常にも扉から激しいノックの音が聞こえた。
「早く開けろー」「イチャイチャしてるんでしょう」という聞き慣れた声から、それがセドリックたちであることが分かる。
額に青筋を浮かべているノアをどうどうと落ち着かせたテティスは、彼らを部屋に招き入れた。
「それで、僕たちが倒れている間に何があったわけ? ノアのその怪我じゃ、水龍を退けるの大変だったんじゃないの?」
代表で問いかけたのはセドリックだ。
皆ところどころに傷があったり、包帯を巻いていたりするが、話に聞いていた通り元気そうで良かった。
反対にノアは少し不服そうだが、理由は言わずもがなだろう。
「実は──」
とはいえ、ノアは筆頭魔術師。
セドリックたちへの説明も任務の一つだと捉えたのか、先程の水龍との出来事の一部始終とクロエの抱えていたもの、秘密にしていたことなどを話した。
「……なるほどね。そんなことが……」
「彼女が水龍の祠の件を秘密にしていたことには多少の責任はあるが、俺とテティスは今回の件を大事にしたくないと思っている。お前たちはどうだ?」
ノアが問いかけると、皆は各々で顔を見合わせてから、力強く頷いた。
「俺は、クロエ嬢に責任を取ってほしいなどとは思っていません!」
「俺もです! 水龍が暴れたことと祠が関係しているのかなんて証明できませんし! それに正直、今まで大変だっただろうなって思ったら、責められません」
続けて、セドリックが口を開いた。
「それに、一番大変だったノアとテティスがそれで良いなら、僕たちが口を出すことじゃないよ」
「そうか。分かった」
セドリックたちも同じ意見でいてくれたことに、テティスの中で無意識に張り詰めていた緊張の糸が解けていく。
(ハァ〜〜良かった……。少なくともこれで、魔術省内でマーレリア家が問題になることはなさそうね。……あとはクロエ様が子爵を説得できるかどうかだけれど)
クロエは屋敷に戻って身支度を整え次第、子爵である父が入院する病院に行くと言っていた。
病院はここからほど近いところにあるそうなので、順調に話し合いが進めば、そろそろ戻ってくる頃だろう。
「それじゃあ話もできたし、僕たちは部屋に戻るよ。……あっ、そうだ」
ドアノブに手をかけたセドリックはおもむろにノアの方を振り向くと、彼にピシッと指をさした。
「一応言っとくけど、ノアが思ってるより僕だってノアが大切なんだからね! 変な気遣いで結婚式に呼ばないとかしたら絶交するから! じゃあね! お大事に!」
それを言い残したセドリックは、まるで逃げるようにして部屋をあとにした。
「……ハハッ、セドリックの奴」
「「「……?」」」
突然のデレに、突然の絶交の可能性を示唆する発言。
テティスも周りの仲間たちも全く意味が分からなかったけれど、ノアだけは楽しそうに笑っていた。
「「「お大事にしてください。失礼します!」」」
それからすぐに、他の仲間たちも続々と退出していった。
しかし、再び二人きりになった矢先、控えめなノックの音が聞こえた。
「クロエです。父との話し合いが終わりましたので、お話させていただいてもよろしいですか?」
「ああ、入ってくれ」
どうやらクロエが戻ってきたらしい。テティスは扉を開けて、彼女を出迎えた。
「失礼いたします」
クロエは部屋に入ると、ノアとテティスに対して、深々と頭を下げた。
「先程はアーシャを助けていただき、そしてこの土地を守ろうとしてくださり、本当にありがとうございました。それに、私のせいでノア様や皆様に怪我を負わせてしまったこと、大変申し訳ありません……っ」
「頭を上げてくれ。俺は自分のやるべきことをしただけだ。それと、あいつらも怒っていないよ。謝罪は良いから、感謝の気持ちだけ伝えるといい」
「しかし……」
後悔や罪悪感が溢れてくるのだろう。
頭を下げたままのクロエにテティスは歩み寄ると、彼女の背中を優しく叩いた。
「クロエ様もお疲れでしょう? 一旦座りませんか?」
「テティス様……」
「ね? そうしましょう?」
テティスはクロエを連れ、セドリックたちが来る前まで自身が座っていた椅子に彼女を誘導した。
その隣にもう一脚椅子を置いてテティスも腰を下ろせば、ノアが話題を切り出した。
「クロエ嬢、子爵との話し合いはどうなったんだい?」
「は、はい。先程父に全てを打ち明け、さらに今後についての話し合いをしてまいりました」
「子爵様は何と……?」
テティスが心配げな表情で窺うと、クロエはほんのりと笑顔を見せてくれた。
「私が祠の被害を秘密にしていたことや、その理由を話したら、父は泣いていましたわ……。今まで負担をかけてすまなかった、と。一言も、私を責めたりしませんでした」
「そうでしたか……」
「更に我が家以外の者が水龍様の祠に近付いても構わないと許可してくれました。言い伝えよりも、領民が安全に暮らせることのほうが大切だからって」
「そうか。それは良かった」
これで、皆が祠に自由に近付ける。
魔術師たち、屋敷の者たち、更に領民たちの手を借りれば、土砂の処理も祠の修復も、そう時間はかからないだろう。
しかし、まだ問題は残っていた。
「あの、祠の管理のお役目については、今後どうなるのですか?」
「それについては、領民にも協力を仰ぐことにしました。まだ細かいことは決まっていませんが、皆水龍様を守り神として崇めているので、快く手伝ってくださる方もいるのではないかと思いますわ」
「ええ! 私もそう思います……!」
テティスはノアと顔を見合わせ、笑みを浮かべた。
「当初は、父が私の代わりに一人で行うと言い出したのですが、多忙の父では物理的に不可能ですし、負担がかかる人を変えただけでは意味がありません。それに──」
クロエの父曰く、そもそも祠にマーレリア家の人間以外が近付くと災いが起こるとされているのには、理由があったらしい。
その昔、領民の水龍に対しての信仰心は今よりも深かったそうだ。皆が率先して水龍の祠の管理を行っていた。
しかし、とある日に事件が起こった。
領民たちの間でいざこざが起き、祠の一部を壊してしまったそうなのだ。
とはいえ、祠はすぐに修復され、今回のような大事には至らなかった。
しかし、当時のマーレリア領主はこれを重たく受け止めたようだ。
もし、祠が完全に壊れてしまったら、そのせいで水龍が棲み着く湖を変えて、再びこの土地が魔物に襲われたら、と。
「魔物の被害を恐れた当時の領主は、信頼できる自分の家族にのみ祠の管理をするよう命じたそうです。その当主の子どもにも、またその子どもにもその命令は受け継がれ、少しずつ意味合いが変わって今の形で受け継がれたというわけですわ」
『マーレリア家の人間以外が祠に近付くと災いが起きる』
テティスはその話を聞いた時、正直おかしいと思っていた。
けれど、長い月日によって少しずつ歪曲して伝わったというのなら、納得できる。
「なんにせよ、クロエ様の負担やお気持ちが軽くなるのならば良かったです。アーシャ様もきっとお喜びになりますね」
「ええ。私もとても嬉しいです。気持ち的に楽になったこともありますが、毎日祠に通わなくてよくなったら、アーシャの体調が芳しくない日もずっとあの子の側にいてあげられますから」
そう言ったクロエの笑顔は、これまで見てきたどの彼女の笑顔よりも美しく、眩しかった。
テティスは再びノアと顔を見合わせて、自然と笑みが溢れた。




