28話 セドリックの矜持
クロエの提案に、セドリックは唖然とした。
(この女、何言ってるの?)
驚きのあまり黙り込んでいるセドリックに、クロエは言葉を続けた。
「セドリック様だって、好きな人を自分のものにしたいでしょう? テティスと愛し合えたら、幸せだと思いませんか?」
「それは……」
──否、とはすぐに言えなかった。
クロエの言葉の毒に侵されて、あるはずもない未来を想像してしまったから。
(もし、ノアとテティスの間に亀裂が入ったら……。婚約が解消されて、僕がテティスに思いを伝えたら……)
ノアに向けるような笑顔を、自分に向けてもらえるのだろうか。
テティスが泣いていたら、抱き締めることが許されるのだろうか。
二人で街に出かけたり、レストランに行ったり、手を繋いだり、抱きしめ合ったり……。
(僕の好きだって言葉は受け入れられて、テティスからも好きだって言葉が返ってくるんだろうか)
そんな都合の良い未来。
好きな人と結ばれる、幸せな未来。
(確かに、それは僕にとって、とても幸せなことなんだろう)
けれど、どれだけ望んでもテティスがノアに向けているような幸せな表情を自分に向けてくれる未来はないのだ。
(……ハァ。僕は馬鹿だなぁ)
テティスを好きになったのはいつだっただろう。
ノアに言われるまで自分の気持ちに気付いていなかったセドリックには分かるはずもないけれど、もしかしたら、初めて会った時から好きだったのかもしれない。
(結界魔術が大好きで、どれだけ虐げられても、夢のためにひたすら努力して……こんな僕にも優しく話してくれるような良い奴で、笑った顔がとても可愛くて……)
ノアに恥をかかせられないために必死でダンスを練習する姿も、皆の命を守るために王都を囲うだけの凄まじい結界を作り上げる姿も、今思えばその全てが愛おしい。
(けれど、僕の恋は叶わない)
何故なら、テティスにはノアがいるから。
(……いや、少し違うな。ノアに憧れを抱き、彼に恋をするテティスを、僕は好きになったんだ)
これでノアが最低な男なら、奪う気にもなったかもしれない。
けれど、ノアは地位も名誉もある。見た目もよく、テティスのことをこれでもかと溺愛していて……。
(何より、恋敵になるかもしれない僕のことを当たり前のように庇うような、馬鹿かよって言いたくなるくらいに優しくて、良い奴だから──)
セドリックは差し出されたクロエの手を優しく払い除け、力強い瞳で彼女を見つめた。
「……悪いけど、僕はあんたと協力しないよ。二人の仲を引き裂けるとも思ってないけど、もしできたとしても、引き裂くつもりはない」
「……!」
「僕のこの恋は、叶わなくていいんだ」
クロエの顔に悔恨の色が表れた。そしてすぐに、こちらを睨みつけてくる。
返答が予想と違ったことに驚きもあるのか、表情には感情が溢れているのに、うまく言葉にならないようだった。
「……辛いだろうけど、あんたも諦めなよ。ノアは良い奴だけど、テティスを苦しめるのなら話は別だ。あんた、これ以上しつこくするとノアと友人でさえいられなくなるよ」
「……っ、偉そうに……っ」
やっと口を開いたと思ったら、クロエは続け様に声を荒らげた。
「説教を垂れないでよ! どうせノア様に勝てないからって諦めてるだけでしょ!? それともノア様への罪悪感!? ……ああ、もしかして、行動を起こす度胸さえないのかしら? 貴方みたいな人を、弱虫って言うのよ……!」
言い切ったクロエは、ハァハァと息を乱れさせている。
「……ああ、そうだね。あんたが言ってることは、別に間違いじゃない」
対してセドリックは、穏やかに微笑んだ。
「でも僕は、あの二人の笑顔を曇らせるくらいなら、一生弱虫のままでいい」
「……っ、何よ、それ……!」
クロエはその言葉を最後に、水龍の祠に続く小道へと走っていった。
祠には近付くなと言われている上、今は少し一人になりたいだろうと、セドリックがクロエを追うことはなかった。




