24話 男同士の話し合い
◇◇◇
乳白色の夜明けが闇を溶かし始めた頃、ノアとセドリックの二人だけでヴァイゼル湖の周辺を警戒していた。昨夜から早朝にかけての任務は、正直体に堪える。
テティスは、昨日の夕方までずっと独立式の結界のクオリティを上げるための練習をしていたため、現在は屋敷で休息を取っている。他の魔術師たちの多くは、未だに見つかっていない水龍が暴れる原因を探っていた。
「セドリック」
こんなふうに長時間セドリックと二人きりになったのはいつぶりだろう。少しだけ気まずさを覚えながら、ノアは彼の名前を呼んだ。
二人の距離はおよそ五メートル。
起立した状態で、互いに視線をヴァイゼル湖に向けている。
葉が風で擦れる音がやけに互いの耳に響いた。
「何?」
「昨日も言ったが、テティスが世話になった。ありがとう」
「……別に。結局僕じゃあ、テティスを助けられなかったしね」
セドリックが自嘲的な笑みを浮かべてから、敢えて明るい声色で言葉を開いた。
「……で、あの後は少しは二人で回れたの? 『水神祭』、楽しめた? どんな露店が──」
「なあ」
だというのに、ノアの声はいつもよりも幾分か低い声で、セドリックの言葉を遮った。
その時、二人はようやく互いの顔を見て、視線がぶつかる。
ノアの真剣な眼差しに対して、セドリックは瞳に動揺を滲ませていた。
「質問して良いか」
「……何さ」
「昨日、何故持ち場を離れて『水神祭』に来ていたんだ」
「それは……」
昨日、テティスが男たちに絡まれていることはもちろんのこと、その場にセドリックがいたことに、ノアは驚いた。
セドリックが理由もなく持ち場を離れるような性格ではないことも知っていたため、あの場にいたことには確実に意味があるのだろう。しかし、その理由までははっきりとは分からなかったのだ。
(……いや、違うな。おそらくこうだろうと理由は分かっていたが、セドリックの口から聞きたかった、というのが本音か)
自らの考えをまとめたノアは、催促することなく、セドリックが口を開くのをじっと待った。
「……クロエ嬢がテティスに、『水神祭』でノアと二人きりにしてほしいと話しているのを聞いたんだ」
「……それで?」
「ノアがクロエ嬢と話してる間、テティスは『水神祭』で一人になるのはどうかと思って。ほら、祭りって、家族や恋人、友だちと皆来てるでしょ? そんな中、自分だけ一人なんて寂しいっていうか、虚しいっていうかさ。同じ結界魔術師として、ちょっと可哀想だと思って」
「なるほどな」
セドリックの言い分は何らおかしいことではなかった。
確かに、周りが複数人で固まっている時に、自分だけ一人でいると、より孤独を感じることがある。
ノアは幼少期、パーティーなどでその気持ちは存分に味わったため、セドリックが言うことはすんなり理解できた。
「……だが、それだけじゃないだろう?」
「……!」
「仲間としてなんて建前で、お前は──」
「いや、ちょっと待ってよ」
セドリックは言葉はきついけれど、なんだかんだ優しい人間だ。
けれど、彼は誰彼に構わず優しいわけではなかった。
興味のない人のことはどうでもいいし、嫌いな人にはそれ相応の態度を面に出す。気に入った相手には自分から話しかけたり、世話を焼いたりするし、平たく言うと好き嫌いがはっきりしているのだ。
とはいえ、それは悪いことではない。むしろ、ノアからすればとても分かりやすいので、好ましい性格とも言える……のだが。
「好きなんだろう?」
「は……?」
「……お前、テティスのことが好きなんだろう?」
「……!」
セドリックのまん丸の目が、零れ落ちそうなほどに見開かれる。
その反応から察するに、恋心がバレたというよりも、本当に気付いていないようだった。
(セドリック、やっぱり無意識だったか)
──セドリックがテティスに好意を抱いているのかもしれない。
ノアがそう思い始めたのは、セドリックとテティスを初めて引き合わせたすぐ後のことだ。
当初、セドリックはテティスに対してあまりいい印象を持っていなかった。
テティスがあのヒルダの妹だからだ。姉妹なのだから、似たような性格なのだろうと予想するのは、分からなくもなかった。
しかし、テティスの本当の姿──ひたむきで、優しくて、努力家で、他人の能力を素直に認めたり、褒めたりするところを知ってからというもの、セドリックが彼女を見る目が変わった。
ノアやリュダンに向ける信頼や友情の類ではない、滲み出てしまう優しさと、恋情。
それは行動にも現れ、セドリックはテティスのダンスの練習に根気強く付き合った。断ることや、途中で匙を投げることだってできただろうに。
更に顕著になったのは、マーレリア領に向かうと決まってからだ。
何気ないテティスの照れた顔にセドリックも頬を赤くし、ノアとテティスが親しげに話していると、時折悲しげな表情をしていた。
何より、セドリックが部屋を訪れてきて、クロエがどのような女性なのかと聞いてきたことに、ノアは心底驚いた。
クロエがノアに向ける感情を、ただ知りたかったわけではなく、それが事実ならばテティスが傷付くこともあるのではと、セドリックは心配していたのだろう。
(あの瞬間、疑念が確信に変わった)
──セドリックはテティスのことを好きになってしまったんだ、と。
「無理に答えなくていい。お前が自分の気持ちに無意識だったなら、まだ理解が追いついていないだろうしね」
「……っ、いや……は? 僕が、テティスを……?」
「だが、これだけははっきり言っておく」
目が泳いでいたセドリックだったが、ノアにそっと視線を向けた。
「俺は、セドリックがどれだけテティスのことを好きでも、絶対に譲れない。だから、その恋は諦めてくれ」
ノアは力強い声色でそう言い放つと、次に弱々しく微笑んだ。
「とは言ったものの、人を好きになるのは自由だ。それに、伝えるか否かも、選択肢はお前にある」
「……! 人の気持ちを決めつけ過ぎじゃない? 僕は一度もテティスのことが好きなんて言ってないでしょ」
「……そうだな。だが、否定もできないだろう?」
「……っ」
セドリックは口籠り、逃げるようにノアに背中を向けた。
「もし、僕がテティスのことを好きだったとして、何でそれを話したのさ。僕が無意識に彼女を好きなだけなら、そのままにしておけば良かったのに」
「……そうだな。だが、それじゃあ公平じゃないだろう。それに……」
ノアはそう言うと、切なげに目を細めた。
「正直言うと、お前が自分の気持ちに気付いてテティスに思いを伝えて、それでテティスの心が揺れ動いたり、彼女の頭の中がお前でいっぱいになる瞬間があるんだと思うと、それだけで嫉妬でどうにかなりそうだ。……けど俺は、セドリック──お前のことも、仲間として、友として、大切に思ってる。だから、伝えたほうが良いと思った」
「……っ、なに、それ」
セドリックは「ハァ……」と溜め息を漏らすと、地面にしゃがみ込み、頭を抱えた。
「諦めろって言ったり、自由だって言ったり……嫉妬するって言ったかと思えば、僕のことも大切だとか……。もう、訳分かんない……っ」
「…………」
セドリックの言っていることは当然だ。当人のノアでさえ、考えがうまく纏まっていなかったのだから。
テティスは譲れない、だが、セドリックのことも大切だという気持ちだけは、ブレることはない。
だが、自身の中にある美しい感情も汚い感情がぐちゃぐちゃに入り混じって、何をどう言葉にしたら良いのか、ノア本人でも分からなかった。
「けど、これだけは分かった。僕はテティスのこと──」
しかし、次の瞬間だった。
本音を吐露しようとしたセドリックと、彼の言葉に耳を傾けていたノアは、ヴァイゼル湖から聞こえる水がうねるような音にハッとした。
「セドリック! あれを見ろ!」
先に異変に気付いたノアが、ヴァイゼル湖を指差す。
水辺が激しく乱れ、そこから勢いよく水龍が姿を現した。
「グォォォォォォォォォ!!」
更に、水龍は数日前よりも大きな咆哮を上げると、鋭く大きな爪を振り下ろし、テティスの独立式の結界を打ち破った。
「……っ、セドリック! 早く俺と水龍を囲む結界を張れ!」
「分かってるよ!」
数日前の水龍の力なら、テティスの独立式の結界はそう簡単に壊せなかっただろう。
しかし、実際は水龍の一振りで結界は壊されてしまった。
テティスの結界が老朽化したという考え方もできなくないが、見たところ、水龍が強くなっているのでは? とノアは考えた。
(……というより、もしかしたら、これが本来の力なのか? この数日で強くなったのか……もしくは、俺が攻撃したことで完全に敵として認識されたため、容赦をしなくなったのか……)
ノアは思考を働かせながら、セドリックが作り上げた結界の中で、水魔法と火魔法を発動する。
だが、以前とは比べ物にならないくらいの水龍の激しい攻撃に押され、思うような攻撃ができないでいた。
「ノア……! まずいよ! 僕の結界じゃ、もうあんまり保たない……!」
「分かってる……! もう少しだけ耐えてくれ!」
水龍を殺さずに、気絶させる程度の攻撃を与えること。言うだけならば簡単だが、相手が強くなればなるほどそれは難しい。
更に、長期戦を狙えないのならば尚更だった。
──そして、最悪の事態はすぐに訪れた。
「ノア、まずい……! もう結界が壊れる……っ」
「……!」
水龍の尾の攻撃により、ピキピキとヒビが入った結界は、ガラスが割れた時のような甲高い音を立てて、粉々に瓦解した。
「ギャオォォォォォ!!」
そして次の瞬間、結界から解き放たれた水龍は、ノアからセドリックに標的を変更し──。
「セドリック……!!」
水龍の鋭い爪が、セドリックの頭上に振り下ろされた。




